「悪食」の続篇。食べるということ、少なくとも食べることについて語ることを、日本の文学者たちは忌避し続けているように見える。しかし嵐山の労作によって、噴き出す食への欲求(同時に性への欲求でもある)を作品に昇華させ得た人間こそが文豪なのだと知れる。
「悪食」「暴食」はひたすら読み終えるのに時間がかかった。なにしろ一人ひとりの人生が濃くて濃くて(T_T)。どうも明治の人間は異様にウナギが好きだったあたりもうかがえて楽しい。
編集者だった嵐山の、作家たちとの私的な交遊が味になっている。武田百合子が胸をはだけ、男に吸わせるあたりの色っぽいエピソードが実話であると語れるのも、嵐山が武田泰淳の人となりを知っているからこそだ。
いやそれにしてもみんなダイレクトな人たち☆☆☆☆
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