事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「情と理」後藤田正晴回顧録その3

2008-06-10 | 国際・政治

Gotoda02 ……その2はこちら

 後藤田正晴の頭の中にあったのは、まず「治安」だったようだ。警察畑を歩むなかで彼が常に意識していたのは日本共産党。言っていいのか「暴力革命路線の転換がむしろ幸いした」なんてことまで。

左翼革命が起こる可能性は戦後何度かあったと彼は述懐している。筆頭はもちろん戦後まもなくの混乱期。そして60年安保がそれに続くと彼は考えている。ちなみに、インタビュアーが「社会党の方はいかがでした?」ときくと「彼らが政権を取ると考えたことは一度もない」とにべもなかった(T_T)。

 その治安優先の発想でいくと、戦後は左翼方向に民意がなびいていたが、どうも近ごろは右翼方向に傾きすぎていると後藤田は考えていて、それゆえ意図的にリベラル発言をくりかえしたのだと思う。

 加えて、自民党には大きく分けて二つの相容れない流れがあると正直に語っている。国家主義的思想を中心に置く岸信介、福田赳夫、中曽根康弘、そして小泉純一郎系の派閥と、旧田中派、宏池会を中心とした経済優先、平和主義の派閥と。後藤田ははっきりと後者の側に立っており、日中国交回復こそが田中角栄最大の功績だと絶賛しているし、安保の混乱が一気に収束したのも、思想云々よりも池田勇人内閣(宏池会はこの人中心のグループが発祥)の所得倍増計画によると評価している……このあたりは沢木耕太郎の「危機の宰相」でも同様のことが語られているのでぜひ。

 だから前者の政治家への評価はずいぶんと辛めだし、友好派閥だった宏池会の代議士、特に官僚出身者のことはとてもかわいがっている様子だ。米価引き下げの頃など……

次の年(昭和62年)もきつかった。加藤紘一君も逃げてきたんだよ。夜明けに、加藤君とあと二人くらい官房長官室に逃げてきた。とてもじゃないが抑えきれない、僕らは部屋におれないって言うんだ。表向きは(引き下げの)反対の申し入れに来たんだけれど、実際は逃避してきた。それくらいきつかった。

……なさけないぞ加藤(笑)。この本にはその他にも人確法成立の裏話も語られているのでそのうち部報でご紹介しましょう。

 にしても、一応左翼の側の人間がこんなことを言ってはなんだが、今の日本を考えると「後藤田さえいてくれれば」なんて事態に突き進んでいるような気がしてならない。ネオコン連中のしたい放題を牽制するためには、やっぱり政権交代しかないでしょうや。一応、小沢も旧田中派ですし(いいのかオレもこんなこと言って)。後藤田も、安倍晋三内閣よりはずっと草葉の陰でよろこぶことであろう。

※福田康夫をどう評価しているかはもちろんこの書にはでてこない。お父さんの赳夫ははっきりと国家主義的な人ではあったが、後藤田と同様にダーティな能吏でもあったわけだ。“次の次の総理”とも噂される甥っ子のことは、はたしてどう思っているのだろう。

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