事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「情と理」後藤田正晴回顧録その2

2008-06-09 | 国際・政治

Gotoda その1はこちら

一読してまず、この人はやはり高級官僚、しかも官庁のなかの官庁だった内務省出身であることが政治家としての性格に歴然と影響していることがわかる。役人を入省年次で考え、人事というものを知悉しているものだから徹底して利用している。これは、彼が所属した派閥の領袖、田中角栄の手法そのものだし、おそらくは角栄の官僚掌握術に影響も与えたのだと思う。

しかし帝大→内務省→政治家とエリートコースまっしぐらに見えるこの人も、実は挫折を経験している。最初に徳島で立候補したときに、一度落選しているのだ。これは、同じ選挙区に三木武夫直系の候補者がいたことが影響している。このときの選挙違反摘発数はものすごく、「なんでオレの側だけこんなに検挙するんだ!」と警察に怒ったら、「だってあなたがそう指導したじゃないですか」と返されている(笑)。ロッキード事件に連座しているとして(本人は強く否定している)ダーティなイメージがつきまとったこともあった。彼が最後まで田中角栄シンパとしてふるまったことで、そのイメージはしばらく後藤田を苦しめた。

そうなのだ。わたしが後藤田を政治家として意識したときは、カミソリである以前に悪徳政治家、というイメージだった。それが次第に変化したのは、とにかくこの人、常に入閣しているという印象があり、その背景に「とにかく仕事が出来る」ことがあったのだと思う。だから、というわけでもないが、彼の人間の評価軸には「有能か否か」がまずある。後藤田の下で働くのは並大抵ではないだろうな。彼が担当したあさま山荘事件を描いた映画「突入せよ!あさま山荘事件」で、藤田まことが後藤田を演じて味のあるところを見せているが、実際にはかなりきつい上司だったろう。しかし情がないわけでもないようだ。警察庁長官時代を思い返して……

-殉職警察官の遺族などに対しては、どうされたんですか。

後藤田:長い間の騒擾事件で多くの殉職者や負傷者を出しました。警察が先鞭をつけると、消防がついて来るんだ。ただ、今でも当時の後遺症で苦しんでいる人はたくさんいるんですよ。今でもいるんだ。かわいそうなんですよ、これは。現職のまま置いておけという指令だったんです。構わんといった。定数外で出来る限りは置けばいいんですよ。

……これを情があるととるかは微妙なところだけど。彼がリベラル(に見える)発言をするようになったのは、しかしこの警察畑を歩んだ経験が裏にある。次回はそのあたりを。

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「情と理」後藤田正晴回顧録 講談社+α文庫

2008-06-09 | 国際・政治

2810281 後藤田正晴(ごとうだまさはる)
 1914年(大正3年)、徳島県生まれ。東京帝国大学法学部卒業後、1939年、内務省に入省。以後、自治省官房長、警察庁長官、内閣官房副長官を経て、1976年、旧徳島全県区から衆議院議員に当選し、以来当選7回。その間、自治相、内閣官房長官、総務庁長官を歴任。宮沢内閣で副総理兼法相を務めた。
 1996年9月に政界からの引退を表明したが、国家の危機管理への手腕に加え、政界の危機に何度も立ち会った御意見番には、歴代の首相から若手議員まで、重要な判断を仰がれる大きな影響力を持っていた。2005年、肺炎で死去。享年91。

……公式な経歴は以上の通り。しかしカミソリ後藤田として知られる彼のことを、わたしはどうにも捉えきれないでいた。官僚としてトップにのぼりつめ、特に警察で公安情報を一手に握っていたものだから“日本のアンドロポフ”と恐れられ、同時に憎まれたかと思えば、逆に近年は靖国参拝や改憲潮流に昂然と批判をくりかえし、まるで市民派かと見紛うほどだった。たとえば靖国についてはこの回顧録で

 ただ僕は、公的参拝、私的参拝というのはおかしいと初めから言っている。国務大臣は二十四時間国務大臣だと言うんだ。あのときは私的な活動だったよ、ということで説明がつくかと言うんだ。ひとつの人間を二つに使い分けするなんて器用なことが本当にできますか。

……でも本人は参拝してたんですけどね(^o^)。
戦犯であった岸信介の公職復帰、そして総理就任についてはこう語る。

僕は個人的には、戦犯容疑で囚われておった人が日本の内閣の首班になるというのは一体どうしたことかという率直な疑問をもちました。文字通り統制経済の方ですよね。そして中央集権主義的な行政のあり方、政治の主張、これを色濃く持っている方ですから。わたしはたまさか課長から局長のとき、あの人の幹事長時代にお会いしたことがありまして、大変な素晴らしい能力の方だという印象を持つとともに、率直なところ、今言ったような気持ちを持っていました。これは、戦争に対する反省がないからです。それが、いまにいたるまでいろいろな面で尾を引いている。

-後藤田さん以外でも、当時官職におられた方は多少なりともそういう気持ちはあったのでしょうか。

後藤田:話をしたことはあまりないけれど、話をすればみんなそうだなと言うだろうね。普通の役人なら。戦争責任を考えたらね。

……てんこ盛りのエピソードなどは次号で!

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