荒井晴彦の「争議あり」(青土社)はものすごい本だった。脚本家として、「映画芸術」の編集長として、とにかく誰彼かまわずケンカをうりまくり、同時に荒井の団塊の世代としてのこだわりとダメダメさが噴出する映画論集。荒井が難癖をつける相手は、脚本家の許しも得ずに現場で勝手にシナリオを変更する監督たち、その現状に唯々諾々としたがっている脚本家たち、現場の痛みも知らずに作品を切って捨てる評論家たち、そして、それらを穏やかに見過ごすことがどうしてもできない自分自身……山田洋次や三谷幸喜、鈴木清順に噛みつき、黒澤明の映画を一本も観たことがないと豪語する“現役の”シナリオライターの本が面白くないわけがない。
特に、畏友にして亡くなってしまった斎藤博という脚本家(フジテレビでオンエアされたTV版「桃尻娘」は傑作だった!)について語られた項と、「熱中時代」などの脚本家にして桃井かおりのお兄さん、桃井章が結局は水商売に流れた話は泣かせた。
その荒井の代表作といえば「遠雷」。この頃のATG(アートシアターギルドのことです)の映画はほとんど観ていたわたしなのに、この作品だけは見逃していた。なぜなら「都市化の波が押し寄せる北関東で、ビニールハウスでトマトを作り続ける農村青年の日常と狂気」こんなの他人事じゃなさすぎて(T_T)絶対に観るもんかと思っていたので。
根岸吉太郎の演出は、役者の特質をうまく引き出すことで成立している。「探偵物語」の薬師丸ひろ子や「ウホッホ探検隊」の子役たちがまさしくそうだったように。永島敏行は「いるんだよこういうお兄ちゃんが田舎には」と思わせる圧倒的な存在感。見合いのあとに直接モーテルに女性を誘う無軌道さがいい。そのモーテルで「もう一回できる?」というセリフがどうしても言えなくて何度もリテイクしたのが、今思えばそんなに純情だったのか石田えり。身体とアンバランスな巨乳がいい味を出しております。そして誰よりも横山リエ!ちょいとセックスにだらしない女を演じさせたら、彼女(山形中央高校卒です)と伊佐山ひろ子にかなう女優はいない、と当時のATG映画ファンなら同意してくれるはず。ビニールハウスのなかでのファックシーンは淫らだ。
“女(横山リエ)を殺したのは、友人ではなくてひょっとしたら自分であってもおかしくない”という鬱屈を抱えながら、自分の披露宴で「わたしの青い鳥」を♪クックックックー♪と永島敏行に涙を流しながら歌わせる……こんな設定、確かに荒井でなければ書けない。若い頃に観ていたら、農村青年だったわたしはどんな思いで映画館を出ていただろう。
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