「見だが、きんなのあの映画。オレ、ねぶらんねぐなたけぜ!」
(見たか、きのうのあの映画。オレ、眠れなくなっちゃったぜ)
高一のとき、クラスメイトが興奮しながら語った映画は、日テレ「水曜ロードショー」で放映されたアーサー・ペンの「逃亡地帯」。アメリカ中南部の、保守的な住民の偏狭さを描いたこの映画に、彼は高ぶりを抑えきれなかったのだ。
そんな彼は、のちに史上最もいいかげん(笑)と評される応援団長になったが、中年になった今、マイケル・ムーアが『ブッシュのアメリカ』の虚飾を剥ぎまくる「華氏911」を見たらなんと言うだろう。
多くの批判を浴びているように、確かにムーアのやり口は汚い。爆撃によって手足が吹き飛んだイラクの子どもの映像のあとに、いきなりブッシュのアップを挿入したり、数多くのコメントからチョイスして、その発言に違った意味合いを持たせたりしている。まるで後出しジャンケンのようだ。
アメリカに銃犯罪が多いのは、その臆病さのせいだと喝破した前作「ボウリング・フォー・コロンバイン」の方が数段出来は上だろう。
でも、そんなルール破りをあげつらうことで、ブッシュ的なるものに対抗できるのか。愛国、自由、民主主義の守護者、世界の警官……アメリカが自らを飾り立てる言葉は一種の宗教的陶酔を含んでいる。これらに冷水を浴びせるために、情緒的ルール違反はむしろ必要な作業だったのではないかとすら思う。
それに、ブッシュ批判連発の前半が退屈なのに比べ、米軍兵士の構成を支えているのが貧困層だと検証する後半の冴えはみごとだ。
「なぜ息子はイラクで死ななければならなかったの?」
とホワイトハウス前で号泣する兵士の母親の痛みを、少なくとも真っ先にアメリカ追従の手を挙げた日本人は理解しなければならないはず。
戦士を鼓舞する有効な言葉すら失った無能な王に、アメリカが、そして世界がどうしてここまで踊らされなければならないのか……ムーアの憤怒は、ブッシュ個人よりも、むしろそんな体制に向けられているように思う。その意味で必見。今夜は、ちょっと眠れそうにない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます