事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

JR 5両目~付和雷同

2008-05-05 | ニュース

4両目からのつづきです。

わたしが目にしたかぎりでは、今回の脱線事故については以下のように報じられた。

第1報:脱線→死傷者の数の速報
第2報:原因探し→JR西日本が、意図的になのか置き石にミスリードしようとした時点でこの会社の隠蔽体質は露わになっていたわけだ。
第3報:事故のあった夜に、社員たちがいたるところで宴会をやっていたことの糾弾。
第4報:事故当時車両にいた社員が、負傷者を助けることもせずに出勤したことの糾弾。
第5報:被害者たちがなぜその車両に乗ることになったかの追跡。および激高する遺族を含めた葬儀の映像を繰り返しオンエア。
第6報:高見運転士の行状と日勤教育の影響の検証。
第7報:過密なダイヤグラムがなぜ組まれたかを経営的視点で追う。

そして一ヶ月がすぎ、例によって忘却が始まろうとしている。
わたしがつくづく情けないと思うのは、これらがとにかく“一斉に”行われたことだ。宴会の糾弾に顕著だが、糾弾が始まった途端、その会合の意義や事情も忖度せず(旅客を引率していた事例すらあるというのに)、宴席は徹底的にほじくり返され、広報担当者は内心はどうあれ何度も何度も謝罪する。こんなことで事故の原因がわかるわけでもなく、体質の改善につながるかは甚だ心許なく、そして遺族の心が慰撫されるかは疑問だというのに。それでも報道各社は宴会の糾弾に血眼になり、もう誰にも止められなくなっている。記者会見における読売のヒゲ記者の横柄な態度が問題になったりしたのは、視聴者もそんなマスコミの姿勢に辟易していたからではないのか。

“付和雷同”“極端から極端へ”“みんないっしょに行動する”……日本人の特性だとよく言われる。でもその習性は、マスコミの姿勢が加速させていると考えられないか。記者クラブなどという存在にいまだにあぐらをかいている彼らは、特ダネをねらうより先に、特オチを恐れている。どの新聞も主張はともかく内容に差がないのはそのせいだ。

足を引っ張り合い、突出を認めず、既得権にしがみつく……一種の特権意識を武器に、彼らは今日も心ない報道を続けている。わたしたちはそんな紙面や映像に踊らされることなく、実は多くのJR社員が献身的に救助活動や遺族への対応を行っている事実を知るべきだし、遺族の怒りがマスコミにも向かっていることを感じるべきだ。多くの市民がそんなメディアリテラシーを獲得した瞬間こそ、マスコミも覚醒せざるをえず、日本人が一律一斉主義から脱却できるときでもあるだろう。わたしが生きている間に、そんな瞬間はとても訪れてくれそうもないが。

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