手塚治虫の功罪はこちら。
今思えば不思議なくらい大友克洋の「AKIRA」は熱狂的に迎えられた。「童夢」(’82 双葉社刊……「真っ赤なトマトになっちゃいな」という衝撃のセリフあり)でSF大賞を後にとることになる大友は、いきおいをそのままにこの大ヒット連載を開始する(『ヤングマガジン』1982年12月16日号)。そしてこのころから、自らをオタク(そんな言葉はまだ一般的ではなかったが)であると意識した読者たちは、単行本発売時に爆発した。
連載時と同じ判型、値段は他の少年コミックスの3倍、青年コミックスと比べてもほぼ2倍という強気の講談社の商売は奏功し、誰もが驚くような売り上げを記録した。オタクごころをくすぐったわけね。わたしもよくおぼえている。発売当日、書店に何段も平積みされた「AKIRA」第1巻を前に、いかにもそれ風のオタクたちが嬉々としていたのを。でまた続刊が出るのが遅いものだからそのたびに大騒ぎになるのだ。
そして88年、自らの手で映画化された劇場版「AKIRA」は、ぶっ飛んだ映像表現と、革新的と言っていい“音”で(先日DVDで久しぶりに見直してよくわかった)またしてもオタクを熱狂させた。動かない画と無音のマンガ表現へのフラストレーションを解消したかったんだろうなあ。
それにしても、デビュー当時は「原稿が(スカスカだから)なんとなく白い」と言われていた大友が、「童夢」以降徹底して書き込むようになったのはなぜだろう。モンスター化した鉄雄の姿や、瓦礫のネオトーキョーなど、これがあの大友かと思うほどだ。当時漫画界でニューウェイブと呼ばれた大友、高野(「絶対安全剃刀」)文子、吉田(「カリフォルニア物語」)秋生などの“瞳がキラキラ輝いたりしない三白眼な日本人顔”キャラが世界に通用したことも画期的だった。そして結果的にはこの映画が起爆剤となり、「攻殻機動隊」ブレイクへの道を開いたのだ。ジャパニメーションが、商売と芸術表現が両立しうると世界へ証明した記念碑的作品。
次回は(やると思ったでしょ)「機動警察パトレイバー」を。
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