クリント・イーストウッドの西部劇「許されざる者」を日本でリメイク。脚本と監督は「69 sixty nine」「フラガール」「悪人」と傑作連発の李相日(り・さんいる)。主演は渡辺謙、共演に佐藤浩市と柄本明。これで期待するなという方が無理。
でもちょっと心配もしていた。李の作品はどうも“語りすぎる”“わかりやすすぎる”部分があるので、無表情に許されざる行為を完遂するイーストウッド映画とは相性がよくないのではと。
その心配は半分当たり、半分は杞憂だった。登場人物のセリフがどうにもストレートでこなれていないので、ここは背中で語ってほしかった、という場面がいくつかある(柄本明との別れのシーンなど)。逆に、娼婦を痛めつけた男たちを主人公が殺しに行くきっかけに、妙な理屈をつけることなく、貧乏に耐えかねてとシンプルなのはよかった。
なにより、時代がオリジナルといっしょなのがいい。アメリカの西部開拓時代と、日本の明治の色彩がきっちりシンクロしている。これは大河ドラマとかを見ていると歴然で、南北戦争終結によって、大量に余った兵器が幕末に日本に流れこむなど日米の歴史は当時からちゃんとつながっています。
また、アメリカに人種差別があれば、こちらにもアイヌ差別が存在するという意味でもシンクロ。在日三世である李にとって、ここはどうしても描かなければならなかったのだろう。
役者の演技はみなすばらしいが(高見盛みたいな若いもんが出ていると思ったら久しぶりの柳楽優弥だったのはびっくり)、ほんとうの主役は北海道の風景だろう。空気が冷えていて、手つかずな、そして酷薄な環境であることがビシビシ伝わる。
南北戦争も戊辰戦争も、内戦とは血なまぐさく、死者も膨大になる傾向がある。人心は荒れ、同じ血をもつ敵を許すことができない。錆びた日本刀、ライフル、火縄銃、短銃、アイヌのナイフと、登場人物たちが持つ武器がそれぞれの罪を象徴する。みんな、許されざる者なのである。
いくら努力しても報われない土地があるという絶望感が
この映画とマッチして……
あ、こんなことを言うと北海道生まれの妻に
怒られる(笑)
やっぱ、イーストウッド見るのは、若すぎたかなあ。
あの頃、私のおやじは絶賛してたんですが、どうにもアタシはいまいちだったんですよね。
見事だったのが、時代の映し方。
この時代のこの地に持ってきたのが、果たしてぴったり!
ここまではまるとは!!!です。
いや、いいもん見た気がします。
実はイーストウッド版は意外にシンプルな造りで、
過去にそれほど拘泥していない感じ。
そこは渡辺謙なので……
ただ、どうしてもいい人ルックスなので、アイヌの女性を
拉致した凄みの方まで消えているのは残念かも。
当方、密かに同業者です。
私が本作がクリント・イーストウッド版より秀逸と思ったのは、ラストシーン。
「許されざる者」とは結局誰の事だったのか。
クリント・イーストウッド版ではどう見ても敵方のこととしか読み取れないのですが、本作では、渡辺謙さんを指しているようにも思えるのですね・・・。
なんだか深いなあ・・・と。
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