長友健二、といえば男性誌のグラビアで必ずお目にかかった名前。アイドルの撮影なら篠山紀信か沢渡朔か十文字美信か長友じゃないですか(十文字はアート寄りすぎるか)。グラビアの撮影とくれば生意気そうなカメラマンが(たまに役得なんかもあったりして)「いいねー○○ちゃん!」とやっているイメージだったけれど、長友は50年以上ものキャリアがあるおじいちゃんであり、しかも昨年亡くなっていたなんて初めて知った。今回のテキストはその長友にルポライターの長田美穂が聞き書きをした芸能裏面史。
◎アグネス・ラムの発掘はひとりの慧眼の士による。現在スペースクラフト(神田うのや栗山千明が所属)の社長をつとめる大西一興が28才のとき、当時所属していた芸能事務所の自社モデルを使って撮影された資生堂のCMポジに、背景の「その他大勢」として写り込んでいた少女を見て……「近くの公園で撮ったような写真がきて、それを見てから会いに行きました。この目で見るまでは不安でしたよ。写真はよくても、会ってダメな娘もいる」待ち合わせ場所はオアフ島のシェラトン・プリンセスイカイウラニのロビー。朝11時。すらりと伸びた肢体。小さな顔。ああ、よかった……大西は肩で息をついた。
◎日活アクション路線が全盛の頃、大学を出たばかりで衣装係の助手のような仕事をしていた女性がいた。北原三枝はいつも彼女のところで衣装をつくっていた……彼女の名は森英恵。
◎講談社が男性向け週刊誌を発行するにあたり、「週刊現代」よりも「週刊日本」「週刊富士」という名前の方が有望だった。光文社の「女性自身」も創刊前は「美しい人」に決まりかけていた。
◎日本初の芸能学校「東京音楽学院」は、学院生のなかから優秀な生徒を集めて「スクールメイツ」をつくり、デビューへの道筋とした。なんと森進一や布施明もスクールメイツ出身。そしてキャンディーズも。
◎キャンディーズは当初、スクールメイツのラン、ミキと太田裕美のトリオで考えられていたが、太田裕美の声は高くてソロ向きで、ほかの二人との調和がとれなかった。
……アグネス・ラムの人気の秘密は、自己主張しない、母性的な顔と胸。しかし彼女の時代は76年から77年の短い間にすぎなかった。彼女自身がハワイから離れたがらなかったことと、マスコミと大衆があっという間に“消費”したからだ。この傾向は、今も変わっていない。
今がちょっと知りたいですね!
何年か前のクルマのCMでもそんな感じだったし。
“母性”が前面に出ているみたいでした。
それはそれで、あの頃を知っている男たちは
ホッとしたはず。わたし、しました。