【牛乳と日本人】
神:高度成長期の日本には、抜きがたい牛乳信仰があったのう。
唐:なんでまた、そんなに子どもに牛乳を飲ませたがったんでしょうね。
神:太平洋戦争の敗戦で、日本が未だ西欧、とくにアメリカに及ばぬことを思い知らされ、その反動でアメリカ式生活のシンボルとしての牛乳の地位が上がった。飲まない奴は非国民、みたいなムードはこのあたりから定着したようだな。
唐:日本人の飲乳習慣は、あれはアメリカの占領政策なんですよね。
神:戦争で増産に増産を重ねて、終戦で大量に余った小麦粉と牛乳を日本で消費させようと、パンと牛乳を試食させて、これを普及させようとした。あの頃、くそまずい脱脂粉乳を飲まされ続けて、そのおかげで一生牛乳は飲むまい、と決意した子も多かろうなあ。
唐:そう言えば、小学校のクラスに牛乳がどうしても飲めない女の子がいましたが、担任の女教師がなきわめくその子の顔を押さえつけて牛乳飲ましていましたね。
……脱脂粉乳、あったなあ。わたしは確か小学校中学年あたりまで飲んでいたような気がする。今でもあの味を、瞬時に思い出すことができる。確かに、うまいもんじゃなかった。なきわめくほどではなかったが。たまにココア味の、今で言うミルメークみたいな粉末がついたときは、それはもう嬉しくて嬉しくて。
今でも学校給食のお世話になっているわたしは、おそらく日本の42才(当時)のなかでは有数の牛乳消費野郎だと思う。少なくとも一日一本は飲んでいるわけだから。ウチでも宅配の牛乳をとっていて、朝もはよから中国人のお姉さん(ものすごく背が高い)が瓶入りの牛乳を配達してくれている。子どものときから母親に「ほれ、牛乳きた。“コピッと”飲んでいげ!」としつけられていたし。あ、コピッと飲め、という表現はすべての家庭で使うものだと思っていたら、あれはうちの母親オリジナルだと気づいたときはショックだったなあ。瓶牛乳を飲んだとき、残った牛乳がコピッと音たてるじゃないですか(笑)。あれからきてるらしいんだが。
おかげで180を超す身長になったと思いこんでいて、子どもにも「大きくなりたかったら牛乳のめ。」と堀家の指導をくり返すわたしも、牛乳信仰から離れられていない。でも給食のない日にわざわざ買ってまで飲もうとまでは思わないのだが、なかには駅のスタンドで「おばちゃん、“白”ちょうだい。」と牛乳をオーダーし(黒はコーヒー牛乳?)、一気のみしていくサラリーマンも多いというから、日本人のなかに、牛乳という存在はもうしっかり確立されているのだろう。乳脂肪分解酵素を、全日本人の95%が持っていないと言うのに。
画像は、このあたりの事情を文学にまで昇華させた阿部和重の「シンセミア」ぜひ。
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