事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

深夜の人たち 第1夜

2007-05-08 | 芸能ネタ

Allnight_nippon01 1981年1月1日(!)、ダディ竹千代の降板をうけて始まったオールナイトニッポンの新パーソナリティによって、革命は起こった。

 大げさに聞こえるかもしれないが、聴いたことのある人なら、同意してもらえるはずだ。このパーソナリティは、ほんの3ヶ月ほどのつなぎのはずだったのに、以降、1990年12月27日まで、まるまる10年間深夜放送のトップランナーとして突っ走ることになる。幸運にもその1回目を聴いていたわたしは、午前1時から3時まで、帰省していた実家のふとんの中でのたうちまわることになる。あまりに笑いすぎたせいで。

♪ジャッジャジャ・ジャッジャジャ・パラッパッ♪

おなじみのビタースィートサンバが流れ、その男はやけっぱちのようにこう叫んで革命の開始を宣言した。

「ビートたけしの、オールナイトニッポン!」

 それまでの深夜放送といえば、局アナが担当することが多かったし、その後フォーク系のアーティストに移行し、そしてこの時期からお笑いがメインストリームになったのだろう。

レスを参考に大別するとこんな具合だろうか。

局アナ……斎藤安弘、亀渕昭信、高島秀武(以上ニッポン放送)、落合恵子、土居まさる、吉田照美(文化放送)小島一慶、林美雄(TBS)

アーティスト……谷村新司、山本コータロー、さだまさし、近田春夫、谷山浩子、長渕剛、かぜ耕士(たむたむたいむの人。作詞家で、今はドキュメンタリーなんかを撮っているらしい)、松任谷由実、北山修(元フォーク・クルセダースにして精神科医)

色物……とんねるず、所ジョージ、ナインティナイン、コサキン

分野別に考えてみる。まず、革命前の深夜放送がどんな存在だったかを、よーく理解できるレスが来ているのでご紹介。

私はセイ・ヤングを聞いていました。一番好きだったのはゆうちゃん(山本雄二)です。全国放送ではがきを読んでもらったのもこの方からです。ほとんど毎週かかさず聞いていました。たぶん木曜日だったような。「きりんさん」の作詞者でもあります。(作曲者はべーやんこと、堀内孝雄です)「きりんさん」の歌詞でもわかるように放送の内容もいつもあったかい感じで大好きでした。

 グレープも好きでしたが、チンペイ(谷村新司)の放送もよく聞いていました。(Horiさんが好きそうな)「今だから言える暗い過去コーナー」は次の日学校で話題になっていました。私にはよくわからない内容でしたが……。

 剛と千春のオールナイトニッポンもたまに聴いていましたが、ちょうど就職して初めて一人暮しを始めた頃だったので、すごく励まされたという思い出があります。

 今では全然聴かなくなってしまいましたが、昔は生活の一部だったような気がします。なつかしいですね。初めてはがきが読まれた時の感動は忘れられません。

…… そうなのだ。深夜放送とはこのように、時間帯ゆえに孤独な存在であるリスナーの悩みを聞いたり、励ましてくれる存在だったのである。「深夜の解放区」というキャッチフレーズがそれを物語っている。ここでなら、取りつくろわず、本音をさらすことができた人は多かったはず。

その代表が野沢那智&白石冬美のナッチャコパックだったのだが……これは次回でいこう。それにしても、ゆうちゃんて知らないなあ。

第二夜につづく

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