わたしは鄭義信(てい・よしのぶ)を信頼している。ここは韓国語でチョン・ウィシンと呼ぶべきなのか、あるいは違うのか、そのあたりまで理解が及ぶ日本人ではない。申しわけないと本当に思う。その、申しわけないと思う姿勢にかみつくネトウヨ連中がいる(たくさんいるらしい)ことにまず謝罪する。この映画にもたくさんのいちゃもんがつけられているとか。ふざけんなよ。
脚本と監督の鄭義信はわたしとほぼ同世代だ。1957年生まれというからおれが中学一年生のときに三年生だったわけだ。これまで彼が脚本家として描いてきた
「月はどっちに出ている」
「刑務所の中」
「OUT」
「血と骨」
ラインナップだけでもわかってもらえるというものではないか。
この映画できついのは、在日の子が私学の進学校に行って壮絶にいじめられるシーン。いじめる側は一切描写されず、裸にむかれた背中にビニールテープで貼られた「キムチ」で、そのすべてを想像させる。
あ、この瞬間に「きつそー」とこの映画を敬遠する人もいるかもしれない。ごめんごめん。この映画は圧倒的に“笑い”の映画でもあるの。
昭和44年、というか1969年にスタートするこの物語は、ある在日朝鮮人家庭の、小さな小さな話だ。この当時、小学四年生だったわたしには苦笑するような事物がたくさん登場する。小川ローザとか、ボンカレーとか、そして大阪を舞台にしているだけに万博(人類の進歩と調和)とか。
これは鄭義信が「ALWAYS 三丁目の夕日」への返歌として意図的にしこんだらしい。わたしはあのシリーズも大好きだったので(安倍晋三的なるものへすり寄る山崎貴、椎名林檎って、本気なのだろうか。本気なんだろうな)、ダークサイド・オブ・三丁目(この映画の登場人物の住まいには地番すらない)というありようは有効だと思う。以下次号。