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「道徳を教えるために、教育勅語を使ってはいけないと私が申し上げるべきではない」
松野博一文部科学相が教育勅語を教材で使うことを政府答弁書で認めたことに関して。ほー、と思いました。つまりは何でもありなんだと。これ以降、教員が教材に選択するネタに文科省が文句を言うことは一切ないと考えていいわけだ。ここは、きっちりとおさえておきましょう。
しかし内心では「サヨク系のネタを使ったら容赦しないぞ」と思っているのは見え見え。かように、森友学園をめぐるお話で顕著だったのは“嘘はいくら言ってもいい”という新しい常識だったと思う。
誰もが森友学園への利益供与が首相、および首相夫人のためにあったことはわかっているにもかかわらず、当事者のみんなが否定する。そしてそれをなんとなくみんな納得している。「世の中なんてそんなものさ」と。防衛大臣がまさしくそうですよね。どれだけわかりやすい嘘をつくものだか。
彼女と森友学園が昔からの知己だったという話にはつくづくと感じ入った。類は友を呼ぶんだなあ。そして彼女に向かって「怨」なるFAXを送る籠池夫人がオモテに(ようやく)出てくるなど、レベルの低いやりとりは続いている。
この件に関しては、野党の追及がやはり甘い。籠池氏と野党の関係者がいっしょにマスコミに写真を撮らせるセンスには死んだ。でも真に怖いのは、あの幼稚園ではこの問題があからさまにならなければ、まだあのような教育が行われていたことだ。
そして国粋的な主張を持っている人たちは、その考えのためならいくらでも嘘をついてもいいとどうやら考えている。大義のためならと。
そして思う。お馬鹿なキャラクター合戦を笑っている場合ではないと。この人たちがいま、政治を動かしていることこそが怖いのだ。
2017年5月号PART1「読売新聞を読んでね」にすぐつづく。