事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「秋刀魚の味」(1962 松竹)

2013-06-21 | 港座

486917b211a8d4430c5108daac992f6c 冷徹きわまりない作品。笠智衆、中村伸郎、北竜二の同級生三人(彼らは人生の勝ち組だ)の会話はユーモアに満ちているが、小津安二郎の編集が、ユーモアの裏にある現実の冷たさつらさを露わにする。穏やかな会話が途切れ、男たちが自らの老いと向き合う瞬間まで、小津は画面を切り替えてはくれないのである。

監督の遺作であるこの作品で、主人公はラストに驚くほど悲しい表情を見せる。笠智衆は小津映画では完全に監督のいうとおりの演技しかしないので、これは小津の明確な指示があったと考えるしかない。いったい、どんな意図だったのだろう。

奇妙なシーンもある。

笠智衆は戦時に駆逐艦の艦長であり、当時の部下で、いまは町工場を経営している加東大介とトリスバー(!)で痛飲する。ママはなんと岸田今日子。加東の達者さと笠の朴訥さがかみあい、岸田のまなざしもやさしい。ここまではいつもの小津映画だ。ところが、ここからこのシーンは異様さに満ちていく。

「ねえ艦長、これでもし日本が(戦争に)勝ってたら、どうなってたんですかね」

「負けて……よかったんじゃないか」

「そうですかねえ。まあそうかもしれないなー。バカな野郎がいばらなくなっただけでもね。いや艦長、あんたのことじゃありやせんよ。あんたは別だ」

……むき出しの反戦ととると足元をすくわれる。だってこのあと、バーでは軍艦マーチが流れ、三人は敬礼ごっこを始め、加東は海軍式の行軍をやってみせるのだから。ここは長いですよ。この長さも意図的だったはずだ。

徹底して脚本を練り、俳優の一挙手一投足にまでこだわる小津にとって、「秋刀魚の味」は遺作にはなったけれども、自分の寿命を知っていたはずはない(彼は60才の誕生日に死んだ)のに、なぜこんなに性急だったのだろう。

いつものルールを変えて、娘が嫁に行くのは悲しくて仕方がないと露骨に描き、戦争ではなくて、えらぶった軍人たちの品性に失望していた小津の本音がここで爆発。もしも小津にあと十年の命があったら、違ったスタイルの小津映画を観ることができたかもしれない。なんか、そんな気がする。

コメント
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