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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

大瀧詠一 Writing & Talking PART4 A面で恋をして

2016-04-11 | 音楽

A面で恋をして/ナイアガラトライアングル

PART3「さらばシベリア鉄道」はこちら

「ロング・バケイション」「イーチ・タイム」を発表して以降、大瀧はまたしても沈黙する。山下達郎との新春放談でも、彼の“隠居”はすでにギャグの域に達していたくらい。しかしたまにさすがと思えるヒットを出すのだ。

「冬のリヴィエラ」
サッチモをやろうと思っていた。森進一でルイ・アームストロングをやる。言い出しっぺは川崎徹。森進一と大瀧詠一でサントリーのCMやれば面白くなるだろう、と目論んできた話。

……サントリーのウインターギフトのために用意された曲。大瀧自身も「夏のリヴィエラ」としてカバー。エアチェックした音源を何度もカーステで聴いたっけなあ。

「A面で恋をして」はうまくできたんだけどね、モデルの女の子が文春で恋愛問題で叩かれてスキャンダルになって1週間でオンエアが中止になっちゃった。資生堂の呪いでしょうか(笑)

……わたしもこの曲は大好きで、だからクルマのなかで何度も流していた。うちの子たちは例の「ウインクのマシンガンで」の部分にはいるパーカッションにびっくりしていたので大笑い。

このスキャンダルというのは、CMのモデルとなった宝塚のトップスターだった美雪花代と、あの金まみれ糸山英太郎自民党議員(当時)のことで、文春の見出しは「資生堂イメージガール美雪花代と糸山英太郎の"困った関係"」。

この記事一発でCMオンエアは吹っ飛び、わずか十日ほどしか見ることができなかったのである。大瀧、杉真理(まさみち)、佐野元春による「ナイアガラ・トライアングルVol.2」における、A面の1曲目を飾った名曲だったのになあ。

ちなみに、Vol.1は大瀧、伊藤銀次、山下達郎のコラボでした。もちろんこちらも名盤。

あ、ロング・バケイションに関してはインストアDJのような形で大瀧が解説している。

CDが出ましたのは1982年の10月。世界的に同時に出まして、日本では邦楽の1枚目に「ロング・バケイション」が選ばれまして、当時3500円でしたね。……試聴……音圧が低いでしょ?当時アナログのオーディオでこのCDをもしそのままかけると、オーディオが壊れてしまってたんですね。

……知りませんでした(笑)。以下次号

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大瀧詠一 Writing & Talking PART3 さらばシベリア鉄道

2016-04-09 | 音楽

さらばシベリア鉄道 / 大滝詠一

PART2「夢で逢えたら」はこちら

このままフェイドアウトしていったら、(有能なプロデューサーとして評価はされただろうけれども)大瀧の名はマニア向けの範疇にあったはずだ。でも、それを打ち破ったのが「ロング・バケイション」だったのだ。このアルバムがどんなものだったかというと、スタッフやアーティストはこう語っている。

「1000時間の録音、日本のレコーディング史上空前の額がかかった」

「リズム録りからして通常じゃない。まず、コードだけ入った五線紙を渡されて説明会。これに1~2時間。1曲に4時間はかかった。」

「リズム隊は生ギター4人、エレキ2人、パーカッション4人、ピアノ2~3人……普通のレコーディングの3倍。リズム録りだけで。」

……尋常ではなかったようだ。まるで邦楽版のスティーリー・ダン。そして今度はあの曲の話。

「ロング・バケイション」の制作も佳境に入った頃、スタジオで「さらばシベリア鉄道」の歌入れをやってた時に、どうも歌っててしっくりこないんだよ、気持ちが悪い。なんだろうと思ってプレイバックを聞いていたら、この曲は女が歌った方がいい、と思ったんだ。すぐに太田裕美が頭に浮かんだ。

……なるほど、彼女もCBSソニー所属だったしね。「スピーチ・バルーン」についてもコメントを。

ナイアガラ時代は“君”って使ったのは2曲しかないんだよ。それが“君”のラッシュでさ、“お前”まで出て来ちゃって、“スピーチ・バルーン”じゃ“人生”まで出てくるんだよ。“君の人生(運び去る)”だよ。勘弁してよって思ったけどね。

……しかしそうは言いながら、ロング・バケイションの成功は松本隆の詞によるものだと大瀧は評価している。以下次号

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大瀧詠一 Writing & Talking PART2 夢で逢えたら

2016-04-07 | 音楽

大滝詠一 夢で逢えたら

PART1「スピーチ・バルーン」はこちら

はっぴいえんどのメンバーが集まる過程は、まるで七人の侍のようだ。

「絶対お前とぴったり合う人間がいるから紹介する」って言われて、会って話をしたら、本当にぴったりだった(笑)。それが中田佳彦(中田喜直の甥)。彼は立教行ってて社会学部で細野(晴臣)と同じクラスだったの。2人でサイモン&ガーファンクルみたいなのやってたの。

(ライブハウスの)エイプリルフールで松本隆と会ったの。細野宅でソファに座って、黒い衣装に身を包んで本を読んで(笑)、ひとことも口きかなかった。慶応だし、やな野郎だなって思ったんだよ(笑)

リードギターを誰にしようかってことで、3人ぐらい候補がいたんだけど、細野が鈴木茂を連れてきた。茂は「12月の雨の日」のテープを聞いてすぐにあのフレーズを弾いたんだって。それで松本と細野は感激してさ「おお、もうこいつしかいない」ということになったらしい。

……天才は天才を呼ぶというか、実は東京におけるロックシーンはそんなに厚くなかったというか(笑)。

ソロになった大瀧は、プライベートのレーベル「ナイアガラ」を設立する。なにしろ大きい瀧ですからね。

契約していたレコード会社が放漫経営などで悪名高かったエレックレコードだったこともあって(吉田拓郎や泉谷しげるはいちはやく逃げ出していた)、かなりの苦境に陥る。ただし、ラジオDJとしてラジオ関東でやっていた「ゴー・ゴー・ナイアガラ」でマニアを熱狂させてはいたようだ。というのも、田舎ではなかなかラジ関を聴くことはむずかしかったの。SONYのスカイセンサー5500をもってしても。

そして、あの曲の話になる。

沢田研二の仕事のラインからアン・ルイスの曲を、って話が来たんで「夢で逢えたら」が出来た。そしたら(吉田)美奈子のディレクターが「ぜひとも、それ欲しい」って言い出してね。美奈子本人はあまり乗り気じゃなかったみたいだけどやることになった。

……日本の曲でもっともカバーされた「夢で逢えたら」はこのようにして生まれたのでした。わたしはシリア・ポールのバージョンが好きで好きで。以下次号

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大瀧詠一 Writing & Talking PART1 スピーチ・バルーン

2016-04-05 | 音楽

大瀧詠一 スピーチバルーン

「ロング・バケイション」を久しぶりに聴いて、つくづくとすばらしいアルバムだと感じ入った。大瀧詠一が亡くなってもう二年以上たつ。弁当箱なみに分厚い「大瀧詠一Writing & Talking」という、彼のインタビューやエッセイをこれでもかとつめこんだマニアックな本が出たので(こういうことをするのはどこの出版社かと思ったら、白夜書房でした。さすがやの)読みこむ。

ああ、やっぱり知らないことっていっぱいあったんだ。ちょっと紹介します。

大瀧のブレイク(と言えるかはちょっと微妙だけれど)は、もはや伝説となっているバンド、はっぴいえんどによるものだ。現在は高名な存在だから(なにしろメンバーが大瀧、細野晴臣、鈴木茂、松本隆である)さぞや売れたと思われるだろうがそんなことは全然なかった。わたしがリアルタイムで聴いたのは「さよならアメリカさよならニッポン」だけだったし、「風をあつめて」を知ったのは矢野顕子のカバーによって。

はっぴいえんど以前について大瀧はこう語っている。

高3の頃には少しギターが弾けるようになって、曲をつくりはじめた。で、68年に「スピーチ・バルーン」の原曲が出来た。それが最初に曲らしい曲だったね。

……スピーチ・バルーンが処女作だったとは(笑)。

それで遊んでる時に布谷文夫に会うんだよね。布谷はその頃、専修大学行ってた。クレージー(キャッツ)好きの中学時代の友達も東京に来てて、彼の友達も専修で、バンドを作ってるってわけ。そしたらヴォーカルだって入ってきたのが布谷だった。

布谷が(エキス)トラでやっていたジャガーズの弟バンドに新しいギターが入ってきた。それが高校生の竹田和夫だった。それがだんだんブルース・クリエイションになっていく。その頃、ブルース・クリエイション向けに1曲だけ曲をつくった。

 ……つながってるなあ。ここで布谷経由でクリエイションの竹田和夫まで。専修大学出身者としてはうれしゅうございますよ。以下次号

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村上春樹三昧PART2

2016-01-04 | 音楽

Seiji Ozawa - SAITO-KINEN Chaconne

PART1はこちら

「小澤征爾さんと、音楽について話をする」が刊行されていたことをわたしはさっぱり知りませんでした。

小澤征爾に、創作者として、そして教育者としての喜びを語らせる腕前と、該博なクラシック音楽の知識にびっくり。やるなあ。おかげで小澤は、怖いくらいの本音を語るのだ。

村上「日本の音楽家には、と十把一絡げにするといけないんだろうけど、高い技術はあっても、技法として破綻のない、平均点の高い音楽を演奏できても、明確な世界観がこっちに伝わってこないというケースが少なくないような気がします。自分独自のこういう世界を立ち上げて、それをそのままナマに人に伝えたい、という意識がいささか弱いんじゃないかと。」

小澤「そういうのって、音楽にとっていちばんまずいことですよね。そういうのをやり始めると、音楽そのものの意味が失われてしまいます。本当に下手をすると、エレベーター音楽になってしまう。エレベーターに乗ったらどこからともなく流れてくる音楽、ああいうのがいちばん恐ろしい種類の音楽だと、僕は思うんです」

……村上春樹の採録は、体調の悪い小澤が途中で干し柿を食べるフレーズを挿入するなど、心憎いばかりだ。

いやしかし指揮者とはここまで激しい存在だったのか。文字通りオーケストラが発するすべての音をコントロールしていて、コンサートのときにタクトを振っている彼らの晴れ姿は、単にそれまでの過程を再現しているだけとはねえ。

むかし「空飛ぶモンティ・パイソン」(東京12チャンネル)で、深夜の人だったタモリが、レコードプレーヤーに向かってタクトを振り、しかもダメだしまでする(笑)芸にさんざん笑わせてもらったものだが、やはりあんな怖い顔をした人たちって、それなりの仕事をしていたんだねえ。お勉強になりました。

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「田舎でロックンロール」 奥田英朗著 角川書店

2015-10-20 | 音楽

中学生のころ、同級生が酒田でいちばん大きなレコード屋(死語)に行き「バングラデシュ・コンサート」をレジのお姉さんに渡したら、

「坊っちゃん育ちだの」

と言われたと怒っていた。LP三枚組、確か6000円近くしたはずなので、彼にとっては清水の舞台から飛び降りるような決断だったのだが。

この本は、1959年10月生まれの奥田英朗が、岐阜県の各務原ですごした中学高校での音楽をめぐるエッセイ。奥田も、LPを買うのにさんざん苦労している。

それにしてもわたしと共通点ありまくり。

・わたしは1960年2月生まれなので同学年

ソニーのラジオを買ってもらったことでオトナになった

・コンサートなどほとんど行われない田舎で育つ

・73年1月のホノルルにおけるエルビスの生中継ライブに(悪い意味で)気が遠くなった

なにより、聴いていた音楽がほとんどかぶっている。BTO(バックマン・ターナー・オーバードライブ)やウィッシュボーン・アッシュ、ビョルンとベニー(アバの前身ですよ)など、もう誰も思い出さないような名前のつるべ撃ち。そりゃ、若い読者は敬遠するし、1959年2月生まれの山田詠美は絶賛するはずだ。

奥田少年が特異なのは、興味の対象が短期間に変わっていくところ。天地真理や南沙織などのアイドルに半年で見切りをつけ、フォークに走らず、徹底して洋楽一本やり。

ポップスとロックの区別もつかなかったのに(当時は厳然とこのふたつは相いれない曲調だった)、ハードロックにめざめ、ギターは速弾きが命だとリッチー・ブラックモアに傾倒し、名古屋にやってきたクイーンの最初の日本公演を堪能、そして……

「ラバーソウル」に始まり、「ホテル・カリフォルニア」「エイジャ」で終わったとする、ロックの熱い時代に十代を過ごせたことは幸せだったとの述懐は渋い。わたしはその後の産業ロックもまた好きなのだけれど。

「バングラデシュ~」を買った同級生は三年前に病気で死んでしまった。でも若いころにジョージやクラプトンのギターを聴いた思い出は、確実にあいつの財産になっていたはず。音楽が好きでよかった。ロックが好きでよかったなあ。

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Crusaders-I'm so glad I'm standing here today(reprise)

2014-09-16 | 音楽

Crusaders-I'm so glad I'm standing here today(reprise)


……ありました。乱発はやめようと思いつつ、ウィルトン・フェルダーのサックスに泣いたっけなあと。

ファンには怒られるでしょうが、わたしはジョー・コッカーはいらないんじゃない?と。ひー。

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Joe Sample - MELODIES OF LOVE

2014-09-16 | 音楽
Joe Sample - MELODIES OF LOVE


わたしの世代は、この曲を流せば女の子を落とせるという伝説に……落とせないって。さよならジョー・サンプル。
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「ポップミュージックで社会科」 細見和之著 みすず書房

2014-06-27 | 音楽

Nakajimamiyukiimg01 ボブ・ディランをもっと知りたくて読む。

確かに社会科のお勉強になる。著者はドイツ哲学の人。ユダヤ人に音楽の才能が豊かなのは、徹底して偶像崇拝が(ユダヤ教によって)禁じられていたため、という理由には納得。「ドナ・ドナ」を、単に暗い歌とはもう呼べない。そこにはユダヤの哀しい過去がうっすらと(じゃなくて露骨に)仕込んであるから。なるほど。

中島みゆきの「4.2.3」にもふれてある。ペルーの人質事件に彼女は憤っているか、あるいは諦念をいだいていることを論述。

♪リポーターは日本人が手を振っていますとだけ嬉々として語り続ける
担架の上には黒く煤けた兵士

そうだったのかイエモンの「JAM」

♪外国で飛行機が落ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
「乗客に日本人はいませんでした」「いませんでした」「いませんでした」
僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう

よりも前にそこを中島みゆきは意識していたのか。

ジャニス・イアンが政治的な人だったというのも意外だった。それにしても、おれがみすず書房の本を読むなんて……

ポップミュージックで社会科 (理想の教室) ポップミュージックで社会科 (理想の教室)
価格:¥ 1,404(税込)
発売日:2005-06

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「ボブ・ディラン ロックの精霊」 湯浅学著 岩波新書

2014-06-25 | 音楽

Bobdylanimg01 常にリスナーを裏切り続けている先導者にして扇動者ディラン。これだけ名声と売り上げがシンクロしないアーティストもめずらしいと前書きで。確かに(笑)。

でも、あのメジャーのコロンビア(現ソニー)が彼を手放さないのは、彼がソニーのアーティストであることに、やはり大きな恩恵があるからだろう。誰もがリスペクトするミュージシャンズ・ミュージシャン

教科書に載り、ローリングストーン誌のもっとも偉大なロックランキングの一位が「ライク・ア・ローリングストーン」だった寓意も含めて、すばらしい存在であることに異議はございません。

もっとも、わたしにとってディランは「ハリケーン」や「コーヒーもう一杯」の人なんだけど。

ボブ・ディラン――ロックの精霊 (岩波新書) ボブ・ディラン――ロックの精霊 (岩波新書)
価格:¥ 821(税込)
発売日:2013-11-21
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