陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ「返品可能で販売中」その2.

2011-03-12 23:29:29 | 翻訳
その2.

 クノプフシュランクの作品を念入りに検討したり、鑑定したりする機会ならいくらでもあった。レストランの常連との社交生活からは、断固として距離を保っていた彼ではあったが、自分の作品は、連中の詮索好きな視線から隠そうとはしなかったのである。毎晩、というか、ほとんど毎晩のように、七時近くになると彼はやってきて、決まったテーブルに着く。そうしてふくらんだ黒い紙ばさみを向かいの椅子に放り出し、顔見知りの客に向かって均等にうなずいてみせる。それからやっと飲んだり食べたりを始めるのだった。

コーヒーが運ばれてくると、タバコに火をつけ、紙ばさみを引き寄せて、中味を引っかき回す。考え深げな悠々たる仕草で、何枚かの習作やスケッチを選び出し、黙ったままテーブルからテーブルへと渡していくのである。新顔の客でもいたことなら、特別な注意を払いながら。それぞれの絵の裏には、はっきりとした字で「価格 十シリング」と書いてあった。

 彼の作品にはまぎれもない天才の刻印が押してあったわけではないが、少なくとも非凡でありながら、なおかつ普遍的な主題を選択しているという点に、顕著な特色があった。彼の絵はかならずロンドンの有名な通りや公共の場所が描かれていた。しかもそこはすべて廃墟となっており、人間の姿はなく、死に絶えたものらしい。その廃墟に野生動物――外来種ばかりであることを考え合わせると、どうやら動物園から逃げ出したものらしい――が、ほっつき歩いている。

『トラファルガー広場の噴水で水を飲むキリンたち』は彼の習作のなかでももっとも注目すべき作品であったし、『アッパー・バークリー・ストリートで死に瀕したラクダを襲うハゲタカたち』という身の毛もよだつような絵は、さらに評判を呼んだ。彼が数ヶ月に渡って専念した巨大なキャンバスに描かれた写実画もあった。彼はそれをどうにかして投機的な画商や、勇気ある素人に売りつけようと試みているところだったのである。そのモチーフたるや『ユーストン駅に眠るハイエナたち』というもので、計り知れぬほどの深遠さを暗示することにおいては、これ以上望めないほどの作品である。

「もちろんね、すばらしい作品かもしれませんし、絵画に新たな時代を切り開くものなのかもしれませんけれどね」とシルヴィア・ストラブルは自分のファンに向かって言った。「でも、別の見方をすれば、ただの頭のおかしい人とも言えるんです。もちろん商品価値ばかりに目を奪われるのは考えものなんですけれど、それでもあのハイエナの絵とか、スケッチでもいいですから、画商が値を付けてくれたら、わたしたちにもあの人とあの人の作品をどう評価したらいいか、もっとよくわかるのに」

「そのうち、わたしたちみんなが自分を呪いたくなるかもしれませんね」とヌガート=ジョーンズ夫人は言った。「なんでわたしたち、あの紙ばさみごと買ってしまわなかったんだろう、って。だけど、ほんとに才能がある人だって、実際にごろごろいるわけでしょう? だから、ただ物珍しいからって、十シリング、ポンと出すなんて気にはなれませんよねえ。確かにあの人が先週見せてくれた『アルバート記念碑に留まる砂鶏』は印象的なものでしたし、もちろん確かな技術があって、雄大さが効果的に表現されているのを認めるのにやぶさかではありません。それでも、わたしにはどう見てもあれがアルバート記念碑には見えないし、それにね、サー・ジェイムズ・ビーンクエストがわたしに教えてくれたんですけれど、砂鶏って木に留まるんじゃなくて、地面で眠るんですってよ」




(この項つづく)





※しばらく所用で出かけていました。
わたしがいたところではほとんど変わったこともなく、何の実感もなかったのですが、その反面、ニュースで地震の被害状況を見るにつけ、その規模の大きさに言葉を失います。
海外から安否を気遣ってくれるメールが何通か来ているのですが、その文面の深刻さからも、かえって「どれだけの規模なのか」が実感されます。
このブログやサイトを見に来てくださっている方の中にも、被災地区にお住まいだった方もいらっしゃいます。そうした方々の目に届くかどうかわかりませんが、皆様や、皆様の大切な方々がご無事でいらっしゃいますよう、心より願っています。