よく言われる話に、高校野球を見ていて、子供の頃は大人がやっていると思っていたのに、いつのまにか自分と同年代となり、やがて年下になり、そのうちに子供がやっていると思うようになる、そういうときに「歳を取った」と実感する、というものがある。
高校野球をまともに見たことがないわたしでも、それが意味するところはよくわかる。
『あしながおじさん』をわたしが初めて読んだのは小学校の低学年ではなかったかと思うのだが、主人公のジュディを女子大生、と意識はしなかったように思うのだ。自分より、少し年上のおねえさん、というぐらいの感覚だった。
彼女が女子大の寮に入って、部屋を飾ったり、いろんな本を読んだり勉強したりする。それが自分の延長にあるようで、読んでいて実に楽しかったのだ。
ところがそれが最後に「あしながおじさん」と結ばれるのだ!
もちろんこの「おじさん」は、当初ジュディが思っているような老人ではなく、三十代半ばの社会改良家(?)なのだが、当時のわたしには、「初老の評議員」と「三十代半ばの社会改良家」の区別など、ロクにつかなかったのだ。
「皺をのばしてさしあげる」という記述があるくらいだから、そんな皺があるような年代のおじさんと一緒になるなんて!
これにはかなりショックを受けた。
だが、いまのわたしから見れば、三十代半ばの男性が、大学を卒業して間もない女の子と結婚しようが、まったく違和感を覚えることはない。なんでそんなに「年寄り」に感じてしまったか、当時の自分の感覚のほうが「子供」だったんだなあ、と、感慨を覚えてしまうのだ。
わたしが初めて人を教えたのは二十歳のときで、あいては小学校五年生の子だった。のちにその子のお母さんと電車の中でばったり会ったとき、はっきりと記憶にあるそのお母さんの横で、照れくさそうな顔をしているスーツ姿の青年が、かつての小学生だ、ということに気がついたときほど、自分の年齢を強烈に感じたことはない。自分の中では二十歳のときなんてついこのあいだのような気がするのに、あれから11年もたっていたのだった。
記憶の中の時間、物語の時間、時間というのはそれぞれに「場」を持つのである。
以来、しばらくぶりに会うかつての「子供」が、どれほど大人になっていても、びっくりするのはやめてしまおうと決めたのだ。
ところで、近所にもついこのあいだ子供で、わたしが頼まれて英語を教えてやっていた子がいたのだけれど、その子が下の駐車場でバイクにもたれてタバコを吸っていた。
こちらを照れくさそうにちらりと横目で見やったきり、挨拶もしてこない。
ついこのあいだ中学生だったのになあ、と思いながら、わたしはつらつら考えてみた。
…英語、教えてやったの、たった二年前じゃん。
高校野球をまともに見たことがないわたしでも、それが意味するところはよくわかる。
『あしながおじさん』をわたしが初めて読んだのは小学校の低学年ではなかったかと思うのだが、主人公のジュディを女子大生、と意識はしなかったように思うのだ。自分より、少し年上のおねえさん、というぐらいの感覚だった。
彼女が女子大の寮に入って、部屋を飾ったり、いろんな本を読んだり勉強したりする。それが自分の延長にあるようで、読んでいて実に楽しかったのだ。
ところがそれが最後に「あしながおじさん」と結ばれるのだ!
もちろんこの「おじさん」は、当初ジュディが思っているような老人ではなく、三十代半ばの社会改良家(?)なのだが、当時のわたしには、「初老の評議員」と「三十代半ばの社会改良家」の区別など、ロクにつかなかったのだ。
「皺をのばしてさしあげる」という記述があるくらいだから、そんな皺があるような年代のおじさんと一緒になるなんて!
これにはかなりショックを受けた。
だが、いまのわたしから見れば、三十代半ばの男性が、大学を卒業して間もない女の子と結婚しようが、まったく違和感を覚えることはない。なんでそんなに「年寄り」に感じてしまったか、当時の自分の感覚のほうが「子供」だったんだなあ、と、感慨を覚えてしまうのだ。
わたしが初めて人を教えたのは二十歳のときで、あいては小学校五年生の子だった。のちにその子のお母さんと電車の中でばったり会ったとき、はっきりと記憶にあるそのお母さんの横で、照れくさそうな顔をしているスーツ姿の青年が、かつての小学生だ、ということに気がついたときほど、自分の年齢を強烈に感じたことはない。自分の中では二十歳のときなんてついこのあいだのような気がするのに、あれから11年もたっていたのだった。
記憶の中の時間、物語の時間、時間というのはそれぞれに「場」を持つのである。
以来、しばらくぶりに会うかつての「子供」が、どれほど大人になっていても、びっくりするのはやめてしまおうと決めたのだ。
ところで、近所にもついこのあいだ子供で、わたしが頼まれて英語を教えてやっていた子がいたのだけれど、その子が下の駐車場でバイクにもたれてタバコを吸っていた。
こちらを照れくさそうにちらりと横目で見やったきり、挨拶もしてこない。
ついこのあいだ中学生だったのになあ、と思いながら、わたしはつらつら考えてみた。
…英語、教えてやったの、たった二年前じゃん。
小学館のロゴ(黄色の○に赤でテーブルと向かい合う人がいたような)が記憶に残っていたので、そこから探してみました。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000324529-00
だと思います。
シリーズの一覧を見ると、確かに私が譲り受けたのはこれだと思うんですが…。
似たようなシリーズは何度も出されていて、田村セツコさんのものも流通しているみたいですが、残念ながら絵がちがいますね。
厨川さんの古風な翻訳、私もまた読み直してみたいです。
何かのご参考になればよいのですが…。