その2.
乳母がお湯を持って部屋に入ってきたときには、フランシスは一切をピーターにまかせてしまって、安心して横になっていた。ピーターは言った。「ねえ、フランシスは風邪をひいちゃったんだ」
背が高く、堅苦しい乳母は、金だらいにタオルを広げながら振り向きもしないで言った。「洗濯物は明日まで戻って来ないのよ。フランシスにはあなたがハンカチを貸してあげなさいね」
「だけどね、ナニー」ピーターは頼んでみた。「フランシスはベッドに寝てた方がいいんじゃないかな」
「今朝はあなたとわたしで散歩に連れていってあげればいいわ」と乳母が言った。「ばい菌も風に吹き飛ばされてしまうわよ。さあ、ふたりとも、起きてちょうだい」
「役に立てなくてごめん」とピーターは言った。「だけどベッドに入ってたらいいさ。ぼくからママに言ってやるから。調子が悪くて起きられないって」
だが運命に逆らうなど、フランシスの手に余ることだった。もしこのままベッドにいれば、大人たちがやってきて、胸をトントン叩いたり、体温計を口の中に突っこんだりするだろう。そしたらすぐに仮病もばれてしまう。確かに、気分が悪いのは本当だった。胃のあたりがからっぽになってムカムカするような感じがしたし、動悸も速くなっていた。だが、それもひとえに恐怖、パーティの恐怖、暗闇の中、ピーターとも離れ、闇を引き裂く終夜灯のあかりもない中で、ひとりきり隠れていなければならないという恐怖から来ていることが、フランシスにはよくわかっていた。
「ううん、ぼく、起きる」そう言ったあと、急にせっぱつまった調子で「でもね、ミセス・ヘン=ファルコンのパーティには行かないんだ。聖書に誓って行かない」これでまちがいなく万事うまくいく、と思った。神様はこんな厳粛な誓いを破ることなど、お許しにならないにちがいない。何か手だてを示してくださるにちがいない。まだ、午前中いっぱいと、午後も四時まで時間はある。草の霜も溶けてない、こんなに朝早いうちから心配しなくてもいい。何か起こるに決まってる。ハサミかナイフで手を切るとか、脚を折るとか、本当にひどい風邪になるかもしれない。とにかく神様が何とかしてくださるはずだ。
彼は神様にそれほどまでに信頼を置いていたので、朝食の席で母親が「フランシス、あなたが風邪を引いたって聞いたんだけど」と言い出したときも、たいしたことないよ、と受け流すことができた。
「今日の夕方、パーティがあるから」と母親は皮肉な調子で続けた。「あなた、たいしたことはないなんて言うんでしょう」
この言葉にはフランシスも驚き、母親はここまで何も気がついていないのかと思うとすっかり気持をくじかれて、仕方なくほほえんでみせたのだった。
彼の幸福な気持は、朝の散歩に出たときにジョイスに会っていなければ、もっと長く続いただろう。彼は乳母とふたりきりだった。というのも、ピーターはウサギの檻を仕上げるために、薪小屋に行っていたからだ。もしピーターが一緒なら、それほど気にする必要もなかった。乳母は、ピーターの乳母でもあったのだから。だがいまは、まるでひとりで散歩にも行けない彼のために、乳母がわざわざついてきているように見える。たったふたつ年上のジョイスが、ひとりきりでいるというのに。
ジョイスはお下げを揺らしながら大股で近寄ってきた。フランシスをあざ笑うかのようにちらりと見やると、これみよがしな態度で乳母に話しかけた。「こんにちは、ナニーさん。夕方のパーティにフランシスを連れて行くの? メイベルとわたしも行くのよ」それからふたりから離れ、どんなに遠くて寂しい道だってわたしならひとりで行けるのよ、と言わんばかりに、メイベル・ウォーレンの家がある方角に歩いて行った。
「しっかりしたお嬢さんね」乳母は言った。だがフランシスは何も言わなかった。ふたたび胸がどきどきし始め、パーティの時間がまもなくやってくるのを感じていたのだ。神様はぼくのために何もしてくださってないのに、時間がどんどん過ぎていく。
(この項つづく)
乳母がお湯を持って部屋に入ってきたときには、フランシスは一切をピーターにまかせてしまって、安心して横になっていた。ピーターは言った。「ねえ、フランシスは風邪をひいちゃったんだ」
背が高く、堅苦しい乳母は、金だらいにタオルを広げながら振り向きもしないで言った。「洗濯物は明日まで戻って来ないのよ。フランシスにはあなたがハンカチを貸してあげなさいね」
「だけどね、ナニー」ピーターは頼んでみた。「フランシスはベッドに寝てた方がいいんじゃないかな」
「今朝はあなたとわたしで散歩に連れていってあげればいいわ」と乳母が言った。「ばい菌も風に吹き飛ばされてしまうわよ。さあ、ふたりとも、起きてちょうだい」
「役に立てなくてごめん」とピーターは言った。「だけどベッドに入ってたらいいさ。ぼくからママに言ってやるから。調子が悪くて起きられないって」
だが運命に逆らうなど、フランシスの手に余ることだった。もしこのままベッドにいれば、大人たちがやってきて、胸をトントン叩いたり、体温計を口の中に突っこんだりするだろう。そしたらすぐに仮病もばれてしまう。確かに、気分が悪いのは本当だった。胃のあたりがからっぽになってムカムカするような感じがしたし、動悸も速くなっていた。だが、それもひとえに恐怖、パーティの恐怖、暗闇の中、ピーターとも離れ、闇を引き裂く終夜灯のあかりもない中で、ひとりきり隠れていなければならないという恐怖から来ていることが、フランシスにはよくわかっていた。
「ううん、ぼく、起きる」そう言ったあと、急にせっぱつまった調子で「でもね、ミセス・ヘン=ファルコンのパーティには行かないんだ。聖書に誓って行かない」これでまちがいなく万事うまくいく、と思った。神様はこんな厳粛な誓いを破ることなど、お許しにならないにちがいない。何か手だてを示してくださるにちがいない。まだ、午前中いっぱいと、午後も四時まで時間はある。草の霜も溶けてない、こんなに朝早いうちから心配しなくてもいい。何か起こるに決まってる。ハサミかナイフで手を切るとか、脚を折るとか、本当にひどい風邪になるかもしれない。とにかく神様が何とかしてくださるはずだ。
彼は神様にそれほどまでに信頼を置いていたので、朝食の席で母親が「フランシス、あなたが風邪を引いたって聞いたんだけど」と言い出したときも、たいしたことないよ、と受け流すことができた。
「今日の夕方、パーティがあるから」と母親は皮肉な調子で続けた。「あなた、たいしたことはないなんて言うんでしょう」
この言葉にはフランシスも驚き、母親はここまで何も気がついていないのかと思うとすっかり気持をくじかれて、仕方なくほほえんでみせたのだった。
彼の幸福な気持は、朝の散歩に出たときにジョイスに会っていなければ、もっと長く続いただろう。彼は乳母とふたりきりだった。というのも、ピーターはウサギの檻を仕上げるために、薪小屋に行っていたからだ。もしピーターが一緒なら、それほど気にする必要もなかった。乳母は、ピーターの乳母でもあったのだから。だがいまは、まるでひとりで散歩にも行けない彼のために、乳母がわざわざついてきているように見える。たったふたつ年上のジョイスが、ひとりきりでいるというのに。
ジョイスはお下げを揺らしながら大股で近寄ってきた。フランシスをあざ笑うかのようにちらりと見やると、これみよがしな態度で乳母に話しかけた。「こんにちは、ナニーさん。夕方のパーティにフランシスを連れて行くの? メイベルとわたしも行くのよ」それからふたりから離れ、どんなに遠くて寂しい道だってわたしならひとりで行けるのよ、と言わんばかりに、メイベル・ウォーレンの家がある方角に歩いて行った。
「しっかりしたお嬢さんね」乳母は言った。だがフランシスは何も言わなかった。ふたたび胸がどきどきし始め、パーティの時間がまもなくやってくるのを感じていたのだ。神様はぼくのために何もしてくださってないのに、時間がどんどん過ぎていく。
(この項つづく)
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