陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ 『スレドニ・ヴァシター』 その3.

2005-05-10 21:18:17 | 翻訳
メンドリをスレドニ・ヴァシターの礼拝に参加させたことは一度もない。ずっと前にコンラディンはこのメンドリが「アナバプティスト」だと決めつけていたのだ。アナバプティストが何のことだかちっともわからなかったけれど、荒々しく、もったいぶってはいないものではないかとひそかに思っていた。デ・ロップ夫人は、コンラディンが想像し、かつ嫌い抜いている、あらゆるもったいぶったものの見本だったのだ。

そのうち、コンラディンが物置に夢中になっていることにデ・ロップ夫人が気がつくようになった。
「どんな天気の日だって、あんなところでぶらぶらしているのだもの、あの子には良くないわ」
早々にそう決心すると、ある朝、朝食の席で、昨夜のうちにメンドリは引き取ってもらいましたからね、と言い渡したのだった。夫人は近眼の目でコンラディンをねめつけ、怒ったり悲しんだりしてわっと泣き出すのを待ちかまえた。そうすれば、さっそくものごとの道理と教訓を説いて、びしびし叱ってやらなくちゃ、とてぐすね引いていたのだ。

ところがコンラディンは無言だった。言うべきことなど何もないのだ。青ざめ、強ばった表情を見て、さすがに夫人も多少なりとも気が咎めたらしく、午後のお茶の時間には、食卓にトースト、普段なら「コンラディンに良くない」という理由で禁じていたトーストが出されていた。トーストは「手間がかかる」という、中流階級の女性の目からすると許し難い欠陥を持つものである、という理由からでもあったのだが。

「トーストは好きだったはずじゃなかったの」
コンラディンが手を出さないのを見て、傷ついたような声を出した。

「そういうときもあるけど」とコンラディンは答えた。

その日の夕方、檻に棲む神に、まったく新しい礼拝を考え出した。いつもは賛美の詠唱をささげていたのだが、今日は願い事をしたのである。

「スレドニ・ヴァシター、どうかぼくの願いをひとつだけ叶えてください」

願いの中味は言わなかった。神であるスレドニ・ヴァシターなら、わかってくれているに相違ない。すすりなきをじっとこらえて、空っぽの一隅に目を凝らし、コンラディンは憎むべき世界に戻ったのだった。

それから毎晩、寝室の心落ち着く暗闇のなかで、あるいは夕方の物置の薄暗がりのなかで、コンラディンのせつない祈りは続いた。
「スレドニ・ヴァシター、どうかぼくの願いをひとつだけ叶えてください」

(コンラディンの祈りとは何か? そしてそれは叶えられるのか? 次回いよいよ最終回)

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