今日からしばらくキャサリン・マンスフィールドの短編「ディル・ピクルス」を訳していきます。
ディル・ピクルスというのは、例のピクルスにハーブの一種であるディルを香り付けに入れたもの。再会したカップルはどうなるんでしょう。ピクルスのようにちょっと酸っぱい短編です。
全部で5日ぐらいだと思います。まとめて読みたい方はそのころまたのぞいてみてください。
原文はhttp://digital.library.upenn.edu/women/mansfield/bliss/pickle.htmlで読むことができます。
「ディル・ピクルス(A Dill Pickle)」
By Katherine Mansfield
その1.
そして六年後、彼女は彼に再会したのである。彼がすわっている席はいくつもある小さな竹製のテーブルのうちのひとつで、和紙でできた水仙が日本製の花瓶に飾ってあった。すぐ前には脚台のついた大皿があり、慎重な手つき、彼女もすぐに思いだした彼独特の仕草でオレンジの皮を剥いているところだった。
彼女が受けた衝撃が伝わったにちがいない、彼は顔をあげ、目と目が合った。信じられないわ! わたしのことがわからないなんて! 彼女はにっこりと笑った。彼は眉を寄せた。彼女は歩み寄っていく。彼は目を閉じ、その直後、ふたたび目を開けたときには、その顔は、まるで暗い部屋でマッチをすったかのように、ぱっと輝いていた。オレンジをおろして椅子をうしろに引いて立ち上がったので、彼女もマフのなかから暖かい手を引き出して、彼に向かって差し出した。
「ヴェラ!」彼は嘆声をあげた。「こんなことってあるかな。ほんとうに、一瞬、だれだかわからなかったよ。座らないか。お昼はもうすませたの? コーヒーでもどうだい?」
彼女の方はためらっていたが、もちろんそれはそうしてみせただけだ。
「ええ、コーヒーをいただこうかしら」そう言って、彼の向かいに腰をおろした。
「きみは変わったよ。すごく変わった」熱のこもった明るい顔で、彼女の顔を見つめた。「元気そうだね。いままでこんなに元気そうな君は見たことがないぐらいだよ」
「あら、ほんと?」彼女はヴェールをあげ、毛皮の高襟のボタンをはずした。「そんなに調子がよくもないのよ。この季節はきらい」
「ああ、そうだね、君は寒いのがきらいだよね……」
「憎んでるわ」そう言って身を震わせた。「なによりいやなのが、歳をとればとるほど……」
言い終わらないうちに彼は「すまない」と遮り、テーブルを叩いてウェイトレスを呼んだ。「コーヒーとクリームを頼むよ」それから彼女に向かって「何も食べなくていいの? 果物なんかいいんじゃないか? ここの果物は上等だよ」
「ありがとう、でも結構よ」
「それじゃ、片をつけようか」それから微かにぶしつけな笑い方をすると、もういちどオレンジを手に取った。「君が話してたのは――歳を取ればとるほど、なんだっけ?」
「いよいよ寒くなってくるのよ」彼女は声を上げて笑った。だが、胸の内にあったのは、わたしはこのひとの癖、わたしの話を遮る癖をちっとも忘れていないんだわ、ということだった。わたしは六年前、どれほどそれにうんざりさせられただろう。突然、わたしがしゃべっている最中に、わたしのくちびるに手を当てる。そっぽを向いて、まったくちがうことを言いだすのよ。それから手を離して、あの同じ、ちょっとだけぶしつけな笑い方をして、わたしの方に気持ちを戻す……さて、いいぞ。それじゃ、片をつけようか。
(この項つづく)
ディル・ピクルスというのは、例のピクルスにハーブの一種であるディルを香り付けに入れたもの。再会したカップルはどうなるんでしょう。ピクルスのようにちょっと酸っぱい短編です。
全部で5日ぐらいだと思います。まとめて読みたい方はそのころまたのぞいてみてください。
原文はhttp://digital.library.upenn.edu/women/mansfield/bliss/pickle.htmlで読むことができます。
「ディル・ピクルス(A Dill Pickle)」
By Katherine Mansfield
その1.
そして六年後、彼女は彼に再会したのである。彼がすわっている席はいくつもある小さな竹製のテーブルのうちのひとつで、和紙でできた水仙が日本製の花瓶に飾ってあった。すぐ前には脚台のついた大皿があり、慎重な手つき、彼女もすぐに思いだした彼独特の仕草でオレンジの皮を剥いているところだった。
彼女が受けた衝撃が伝わったにちがいない、彼は顔をあげ、目と目が合った。信じられないわ! わたしのことがわからないなんて! 彼女はにっこりと笑った。彼は眉を寄せた。彼女は歩み寄っていく。彼は目を閉じ、その直後、ふたたび目を開けたときには、その顔は、まるで暗い部屋でマッチをすったかのように、ぱっと輝いていた。オレンジをおろして椅子をうしろに引いて立ち上がったので、彼女もマフのなかから暖かい手を引き出して、彼に向かって差し出した。
「ヴェラ!」彼は嘆声をあげた。「こんなことってあるかな。ほんとうに、一瞬、だれだかわからなかったよ。座らないか。お昼はもうすませたの? コーヒーでもどうだい?」
彼女の方はためらっていたが、もちろんそれはそうしてみせただけだ。
「ええ、コーヒーをいただこうかしら」そう言って、彼の向かいに腰をおろした。
「きみは変わったよ。すごく変わった」熱のこもった明るい顔で、彼女の顔を見つめた。「元気そうだね。いままでこんなに元気そうな君は見たことがないぐらいだよ」
「あら、ほんと?」彼女はヴェールをあげ、毛皮の高襟のボタンをはずした。「そんなに調子がよくもないのよ。この季節はきらい」
「ああ、そうだね、君は寒いのがきらいだよね……」
「憎んでるわ」そう言って身を震わせた。「なによりいやなのが、歳をとればとるほど……」
言い終わらないうちに彼は「すまない」と遮り、テーブルを叩いてウェイトレスを呼んだ。「コーヒーとクリームを頼むよ」それから彼女に向かって「何も食べなくていいの? 果物なんかいいんじゃないか? ここの果物は上等だよ」
「ありがとう、でも結構よ」
「それじゃ、片をつけようか」それから微かにぶしつけな笑い方をすると、もういちどオレンジを手に取った。「君が話してたのは――歳を取ればとるほど、なんだっけ?」
「いよいよ寒くなってくるのよ」彼女は声を上げて笑った。だが、胸の内にあったのは、わたしはこのひとの癖、わたしの話を遮る癖をちっとも忘れていないんだわ、ということだった。わたしは六年前、どれほどそれにうんざりさせられただろう。突然、わたしがしゃべっている最中に、わたしのくちびるに手を当てる。そっぽを向いて、まったくちがうことを言いだすのよ。それから手を離して、あの同じ、ちょっとだけぶしつけな笑い方をして、わたしの方に気持ちを戻す……さて、いいぞ。それじゃ、片をつけようか。
(この項つづく)
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