陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

今日はつなぎです

2006-04-24 21:59:12 | weblog
すいません、ここ数日仕事のほうが忙しく、なかなか翻訳の手入れが進んでいなかったのですが、なんとか3/4くらいまでできたので、明日にはアップできると思います。

ということで、今日はつなぎの話。

わたしのサイトやこのブログをあちこちお読みの方は、すでにわたしが大変、人なつこくない、無愛想な人間であることはご存じだと思います。別にぶすっとしているわけではなく、逆に小さい頃からよく親に、へらへら笑うんじゃない、馬鹿に見える、と始終たしなめられていたぐらい、基本的に機嫌はいいほうなのですが、特に用事もないのにしゃべることができない。何をしゃべっていいかわからない。場の雰囲気を和ませるためにしゃべることができないわけです。

だから、美容院とか、店に行ってもできるだけしゃべりたくない。
もう美容院はなんだかんだ話しかけるのがサービスみたいなものらしいので、半ば諦めているのですが、ゴハンを食べるところや喫茶店で店の人に話しかけられるようなところは、まず絶対に行かないことにしています。

学生時代、寮の近くにお好み焼き屋が二軒ありました。
寮をはさんで東西にそれぞれ三百メートルずつぐらい離れているんですが、ここでは仮に、東の店をA、西の店をBとしておきましょう。

お好み焼き、わたしは好きでたまらない、というほどではないけれど、たまに食べたくなるもののひとつです。友だちと、どこかでゴハンを食べようか、という話になると、候補にあがるのがその東の店Aでした。Aはちょうど通り道に当たっていたので、何の気なく入ったのが初めです。学生のたまり場で、夜にはコンパの流れみたいな連中もたむろしてやかましいこともありましたが、お好み焼きはおいしくて、わたしは内心、ひいきにしていました。

ところがこの店、よく休む。不定休だったわけでもないでしょうに、あー、お好み焼きが食べたい、と思ったときに、行ってみて「本日休業」の札が下がっていたのを見たときは、もう気分はお好み焼きになってるし、いまさら変更もきかないし、で、どうしたもんだろうか、と思ったものでした。

そんなとき、一緒にいった連れから、お好み焼き店Bの存在を教えてもらったのです。

そこは真ん中に大きな鉄板があって、カウンターがそこを取り囲む、マスターが目の前で焼いてくれて、客の前に移す、というスタイルの店でした。

そこのおじさんがまた、やたら話し好き。
「うちはね、イカ、冷凍ものなんて使ってないのよ」と、妙に女性的な話しぶりで、ねちこく話しかけてくるわけです。
「学校は、どこ? 学部は?」
と、なんだかんだうるさいから、そこにあるマンガに手を伸ばそうとすると、
「『がんばれ元気』読んでみて。すっごく泣けるから」

わたしは小学生の時、近所の本屋で全巻立ち読みはしたけれど、なんかお涙頂戴のメソメソしたマンガだな、と思っていたので、いかにもあんなのが好きそうな手合いだ、などと思って(笑)、そんなおじさんのアドバイスなんて無視して、『わたしは真悟』かなんかを取り出す。するとまたなんだかんだと話しかけてくるわけです。

やっと焼けたお好み焼きを食べてみると、基本的なところを間違っている。小麦粉が粉のまま、ダマになって残っていたりするんです。
おいおい、ぐちゃぐちゃしゃべってないで、ちゃんとやってくれよ、と思いはしたものの、とりあえず片づけて、もう二度と来るもんか、とお金を払いながら胸の内で思いました。
サービス券だかスタンプカードだか、ごしゃごしゃいっぱいくれたような記憶があります。

ところが驚いたことに、そのおじさん、界隈でも結構有名人みたいで、寮のなかにも、話がしたいからあそこにお好み焼きを食べに行く、という人間までいるわけです。
え? なんで? なんであんなおばさんみたいなおじさんに話なんてすんの?
と聞いてみました。
え、だってあのおじさん、すごく優しいから。

そのとき、人間なんて意外に簡単にダマされるものなんだな、と思いました。
「わたしは優しい」って看板出してたら、優しいってことになるのか。

そのときから年も取り、多少の知恵もついたわたしは、そんなふうに決めつけるのはよくない、と思うのですが、それでもそういう例をいくつも見てきました。「わたしは優しい」と信じて疑わない人間が、そんなふうに看板を出し、なんとなく周りもそう思って慕ったり、集まったりしている。
そんな簡単なもんじゃないだろう、と思うのですが、信じたい人は信じたいのだから、それはそれで良いのかもしれません。

もちろん、お好み焼き屋Bのおじさんがほんとうにそんな人間だったかどうか、わたしには知るすべもありません。ただ、店も清潔ではなかったし、味も良くなかった。小麦粉のダマもあった(笑)、というだけ。
ただ、わたしはそういう人の「人柄」はあまり信じないことにしていますが。

このあいだ、職場にその地域のタウン誌が置いてありました。
ずいぶんあたりも変わったな、知っていた店もほとんど残ってないなー、と思いながら見ていたら、なんとその「お好み焼き屋B」が載っていたではありませんか!
メニューが紹介してあって、マスターの写真もちゃんと載っていました。間違いない、あのオネエ言葉のおじさんです。

世の中、わからないものです(笑)。
いまでもダマ、あるんでしょうか。
確かめに行きたいとは思いませんが。


明日には「ジュリア」アップできると思います。
また遊びに来てくださいね。
それじゃ、また。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お好み焼き (arare)
2006-04-25 01:12:46
ちょっと前のことです。夫婦で遠出した町で、お好み焼きでも食べようという話になりました。歩き疲れていたので、手っ取り早く、駅前にあった1軒のお好み焼き屋へ入りました。テーブルが2つと鉄板の周りに椅子が3つだけで、雑然としたいわゆる普通のお好み焼き屋という感じの小さな店で、客は子供連れの親子が1組だけでした。



私達は鉄板のほうに座り、それぞれが好みのものを注文しました。店の主人は40代くらいの男の人。不愛想というわけではありませんが、余計な話は一切ありません。私達のを焼いている途中で中学生くらいの女の子が店にはいってきてカウンターの中にはいり、店の主人と何やら楽しそうに話をしていました。どうやら、ご主人の娘さんのようで、今日、学校でこんなことがあったよというような話をしていましたが、主人はにこにこして話を聞いていました。



私達のがまだ焼けないうちに、もう一組の親子連れが食べ終わり、レジで会計をしました。主人はお金を受け取って「ありがとうございました」と言って客を見送ると、なんと、流しで手を丁寧に洗いはじめました。



お金をさわったあとは、いつも手を洗っているのか、それともたまたま手が汚れていたから洗ったのかはわかりませんが、こんな清潔なお好み焼き屋さんははじめてです。小さい頃、祖母に「お金は誰がさわったかわからないから、汚い。お金をさわったら、必ず手を洗いなさい」と躾けられてきた私にとって、主人のこの1つの動作は、とても好ましく映りました。



いや、ちょっと、お好み焼きで思い出したので。
返信する
やはり店は清潔であってほしい (陰陽師)
2006-04-25 22:27:40
arareさん、こんばんは。



食べ物屋さんって、やっぱり清潔であってほしいものですよね。

なかなか厨房が見えないところも多いのですが、店内の掃除が行き届いているような店は、やはり奥もそうなんだろうな、と思います。



わたしが一日でクビになった喫茶店では、「そんなに丁寧にしなくていいから」と、もうひとりのバイトのお姉ちゃんからいわれてしまったのですが、そんな店だからわたしをクビにしたんでしょうか(笑)。



お店の人と話がしたい人もいると思うんです。特に、カウンター形式の店だと、そこで働いている人とお客さんの距離は近いわけですから、そういうのを魅力に感じる人がいても不思議はない。

ただ、わたしがそうではない、というだけで。

そうではない客は、放っておいてほしいのです(笑)。



ところで「お金は誰がさわったかわからないから、汚い」、こういう考え方って、昔からありますよね。

だけど、それを言うなら自分のものじゃない、たいがいの公共のものは誰がさわったかわからない。あえて「お金」とするところに、やはり貨幣に対する不浄感みたいなものがあるのかな、と思います。



またここらへんのことは、いつか項を改めて考えてみたいな、なんて思っています。



書き込み、どうもありがとうございました。
返信する

コメントを投稿