陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ 『ハツカネズミ』 その2. 

2005-05-02 18:54:53 | 翻訳
汽車が駅をすべりだしても、すっかり神経質になったセオドリックは、自分がかすかに厩の臭気を漂わせていて、いつもはしっかりブラシもかけている上着にも、カビの生えた藁くずが一、二片、くっついているような気がしてならなかった。幸いにも客室の相客はひとりだけ、セオドリックと同じ年齢層の女性で、他人の観察よりは、居眠りをしていたいようだった。ほぼ一時間後、終点に着くまで汽車が停車する予定はないし、車両も旧型で通路から行き来ができなくなっているため、この半ばセオドリックの専用車に、これ以上乗客が侵入してくることもなさそうだった。

ところがやっと汽車が通常の運行速度になったかならないかというところで、セオドリックは自分が眠っている女性といっしょにいるのは自分だけではないことを、いやいやながらもはっきりと認めないわけにはいかなかった。いや、服のなかにさえも、ひとりきりでいるわけではないのだ。皮膚のうえをもぞもぞとはいまわる、歓迎されざる、かつ極めて不快な存在が知覚されたのである。姿こそ見えないが、この身を苛んで止まぬ迷いネズミがいっぴき、どうやらポニーに馬具をつけているうちに、この隠れ家に飛び込んだらしい。こっそり足踏みしたり、体を揺すったり、むやみやたらにつまんでみたりしたのだが、侵入者を除去することはかなわないまま。どうやらこいつのモットーは、確かに「より高く!」というものらしかった。服の合法的占有者はクッションにもたれて、共同所有の状態に終止符を打つ方策を速やかにたてなければ、と頭をひねった。

これから一時間のあいだずっと、ホームレスのネズミども(もはやセオドリックの頭のなかでは、侵入者の数は少なくとも二倍には膨れ上がっていた)に宿を提供するというおぞましい境遇を続けるなどということは論外である。そうはいっても、苦痛を和らげるためには、着ているものの一部を脱いでしまうこと以外に抜本的な解決はないのだが、ご婦人の前で服を脱ぐなどということは、まっとうな目的のためとはいえ、想像するだけで耐え難い恥ずかしさのために真っ赤になってしまう。

女性がいるところでは、透かし織りの靴下がちょっと見えてしまうことにさえがまんができないのだ。だが、今回、この婦人はあきらかにぐっすりと眠り込んでいるようだ。いっぽう、ネズミときたら諸国遍歴の道程を、わずか数分間に繰り上げてすませようとしているらしい。

輪廻説にいくばくかの真実があるならば、この特筆すべきネズミこそ、まちがいなく前世は山岳会の一員だったにちがいない。ときどきあまり夢中になりすぎて、足を踏み外して1センチほど滑り落ちる。すると、怖がるのか、おそらくはこっちのほうだろうが、腹を立てるかして、噛みつくのだ。

セオドリックは人生最大の大胆な行為に出る羽目に陥った。

(この項つづく)

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