娘時代、トム・ウィラードと結婚する前のエリザベスには、ワインズバーグでいささか危なっかしい評判が立っていた。何年もの間いわゆる「芝居狂」で、父親の旅館に泊まっている旅回りの商人たちと連れだって闊歩したかと思うと、派手な服を着たり、泊まり客がこれまで行った都会の話をしてくれるようねだったりもした。男物の服を着て、メインストリートで自転車を乗り回し、町中をぎょっとさせたこともあった。
当時、その背が高く、濃い色の髪をした娘の胸の内は、たいそうこんがらかっていたのだ。気持ちは絶えず揺れていて、それがふたつの方向に表れた。ひとつは変化を、自分の人生を決定的に動かすような何かを、不安な思いで待ちわびていた。この気持ちは、気持ちを舞台へと向かわせる。どこかの劇団に入って世間を回り、いろんな人々に会って、自分の内からわき上がってくるものを与えたい、と夢見るのだった。その考えに夢中になった夜には、何度かワインズバーグにやってきて、父親の旅館に泊まっている劇団員にそのことを話そうとしたのだが、結局はどうにもならなかった。エリザベスが何を言おうとしているのかなど、わかろうとはしてくれなかったし、たとえ自分の情熱をなんとか言葉にすることができたときでも、座員たちは笑うだけだった。
「そんなもんじゃないよ」と彼らは言った。「退屈でおもしろくないのは、ここにいるのといっしょだよ。なんにもなりはしないさ」
旅回りの商人たちと歩いていると、そうしてのちにトム・ウィラードと歩いていると、まったくちがった。いつでもよくわかる、ほんとうにそうだよ、と言ってくれるのだった。町の横町や木陰の暗がりで、彼らはエリザベスの手を取る。そうすると内側にある言葉にできないものがあふれ出し、彼らの内にある言葉にされないものの一部になっていくような気がするのだった。
そうして、揺れ動く気持ちがもうひとつの表れ方をしたのだ。そのときが訪れたとき、しばらくの間、救われたように思い、幸せだった。一緒に出歩いた人間のだれも責めようとは思わなかったし、のちのトム・ウィラードも責める気にはなれなかった。いつもまったく同じ、キスで始まり、奇妙で激しい感情が堰を切ったようにあふれ出したあと、穏やかに終わり、後悔してすすり泣く。すすり泣きながら、手で相手の男の顔にふれ、いつも同じ思いにとらわれるのだった。相手が大きく、ひげ面の男であっても、急に小さな男の子になったような気がするのだ。なぜこの人は一緒に泣いていないのか、不思議に思うのだった。
(明日この章最終回)
-----【おまけ:昨日のできごとの追加】------
ジュンク堂にはスーパーにあるような買い物かごが置いてある。わたしの夢は、その買い物かごが使えるほど、本をたくさん買うことだ。って、週に最低一回は寄って、そのたびに何か買ってるんだけど、たいていは一冊だし、昨日のようにたくさん買っても文庫本だと持って歩いてもしれてるので、ついぞ使ったことがない。
ところで、昨日、レジでわたしの前に並んでいたおじさんは、そのあこがれの買い物かごを下げていた。カウンターにかごをのせて、レジのお姉さんが一冊ずつ取り出す。
「カバーご入り用でしょうか」
「ああ、カバーかけて」
わたしは散歩に連れて行ってもらうイヌのように、じっと待つ。
出てきた本。
『キャバクラの教科書』
『キャバクラのモテ方』
『大人の悦楽講座』
『文藝春秋』
『世界の中心で、愛をさけぶ』
すると後ろからお姉ちゃんが「これも~」と言いながら、本を追加した。
『骨盤教室』
つくづく世の中にはいろいろな本があるものだなぁ、と感心した。
それにしても。タイトルを並べるだけで、おぼろげに見えてくるものがありますね。
(ちなみにわたしが買ったのは市川浩『〈身〉の構造』、桑子敏雄『環境の哲学』、赤坂憲雄『境界の発生』『異人論序説』、竹内敏晴『動くことば動かすことば』……これもビミョ-に見えてくるものが、あるかなー)。
当時、その背が高く、濃い色の髪をした娘の胸の内は、たいそうこんがらかっていたのだ。気持ちは絶えず揺れていて、それがふたつの方向に表れた。ひとつは変化を、自分の人生を決定的に動かすような何かを、不安な思いで待ちわびていた。この気持ちは、気持ちを舞台へと向かわせる。どこかの劇団に入って世間を回り、いろんな人々に会って、自分の内からわき上がってくるものを与えたい、と夢見るのだった。その考えに夢中になった夜には、何度かワインズバーグにやってきて、父親の旅館に泊まっている劇団員にそのことを話そうとしたのだが、結局はどうにもならなかった。エリザベスが何を言おうとしているのかなど、わかろうとはしてくれなかったし、たとえ自分の情熱をなんとか言葉にすることができたときでも、座員たちは笑うだけだった。
「そんなもんじゃないよ」と彼らは言った。「退屈でおもしろくないのは、ここにいるのといっしょだよ。なんにもなりはしないさ」
旅回りの商人たちと歩いていると、そうしてのちにトム・ウィラードと歩いていると、まったくちがった。いつでもよくわかる、ほんとうにそうだよ、と言ってくれるのだった。町の横町や木陰の暗がりで、彼らはエリザベスの手を取る。そうすると内側にある言葉にできないものがあふれ出し、彼らの内にある言葉にされないものの一部になっていくような気がするのだった。
そうして、揺れ動く気持ちがもうひとつの表れ方をしたのだ。そのときが訪れたとき、しばらくの間、救われたように思い、幸せだった。一緒に出歩いた人間のだれも責めようとは思わなかったし、のちのトム・ウィラードも責める気にはなれなかった。いつもまったく同じ、キスで始まり、奇妙で激しい感情が堰を切ったようにあふれ出したあと、穏やかに終わり、後悔してすすり泣く。すすり泣きながら、手で相手の男の顔にふれ、いつも同じ思いにとらわれるのだった。相手が大きく、ひげ面の男であっても、急に小さな男の子になったような気がするのだ。なぜこの人は一緒に泣いていないのか、不思議に思うのだった。
(明日この章最終回)
-----【おまけ:昨日のできごとの追加】------
ジュンク堂にはスーパーにあるような買い物かごが置いてある。わたしの夢は、その買い物かごが使えるほど、本をたくさん買うことだ。って、週に最低一回は寄って、そのたびに何か買ってるんだけど、たいていは一冊だし、昨日のようにたくさん買っても文庫本だと持って歩いてもしれてるので、ついぞ使ったことがない。
ところで、昨日、レジでわたしの前に並んでいたおじさんは、そのあこがれの買い物かごを下げていた。カウンターにかごをのせて、レジのお姉さんが一冊ずつ取り出す。
「カバーご入り用でしょうか」
「ああ、カバーかけて」
わたしは散歩に連れて行ってもらうイヌのように、じっと待つ。
出てきた本。
『キャバクラの教科書』
『キャバクラのモテ方』
『大人の悦楽講座』
『文藝春秋』
『世界の中心で、愛をさけぶ』
すると後ろからお姉ちゃんが「これも~」と言いながら、本を追加した。
『骨盤教室』
つくづく世の中にはいろいろな本があるものだなぁ、と感心した。
それにしても。タイトルを並べるだけで、おぼろげに見えてくるものがありますね。
(ちなみにわたしが買ったのは市川浩『〈身〉の構造』、桑子敏雄『環境の哲学』、赤坂憲雄『境界の発生』『異人論序説』、竹内敏晴『動くことば動かすことば』……これもビミョ-に見えてくるものが、あるかなー)。
しかし「キャバクラのモテ方」などという本があるということは、もっとほかにモテるコツがあるということでしょうね。いくら高いお酒を飲んでも、ブスッとしていたんでは、モテないでしょうから、話術に長けて、彼女たちを笑わせることもモテるための条件なのでしょうか?
彼女たちは一応接客のプロでしょうから、その接客に自分が満足したということを態度で示せば、モテるのでしょうか。それとも「キャバクラでもてる」というのは、私の知らない何か深い意味があるのでしょうか。
最近は客引きのお兄ちゃんも見かけなくなりましたが、「キャバクラ=ぼったくり」というイメージが私の中にあるので、キャバクラの世界に一歩踏み出せないでいます。
本題と関係ない話で失礼いたしました。
今日も早起きの陰陽師でございます。
確かに世の中には、名前は知っていて、そのなかはどうなっているのだろう、と思っていても、決して自分が足を踏み入れることのない場所というものが存在しますよね。
わたしもいくつかありますが、おそらく自分が内部を知ることは、一生ないだろうなぁ、と思いつつ、これも「何かを選択することは、別の何かを諦めることである」と納得することにしています。
> キャバクラってお酒を飲んで女の子たちとワイワイ楽しくやるところだと思っていましたが、そうではないのでしょうか?
そういう場所だったんですか!?
なんだか思ったより楽しそうな場所ですね。もうちょっとイカガワシイ場所を想像しておりました……。
> 話術に長けて、彼女たちを笑わせることもモテるための条件なのでしょうか?
なるほど、やはりコミュニケーション・スキルが重要、ということですね。
スキルの獲得には、まず本を読む。これは一種の鉄則でもあります。
> その接客に自分が満足したということを態度で示せば、モテるのでしょうか。
以前、西原理恵子がホステスになったマンガというか、エッセイというか、本というかを読んだことがあるのですが、あれがキャバクラだったのかな? とにかく場所は忘れましたが、その本で読んだのですが、ナンバーワンの女性は、年も若くない、大変物静かで地味な女性だったそうです。ただじっと座って、お客の話をじっくり聞いてあげる。そういう人がナンバーワンになる、というのを見て、G.H.ミードの『精神・自我・社会』という本にあった「社会的動作が意識の先行条件である」(p.23)という部分を思い出しました。
つまり「じっと聞いてあげる」という動作が「このホステスさんはいい人だ」というお客の意識を引き出す、というわけですね。
これを敷衍していけば、「自分が満足した」という動作は、ホステスさんの何らかの意識を引き出すものなのでしょうが、それが「この人っていい金ヅルだわ」(何か言葉が古いな……)って思うか、「この人、いい人ね」か、「スキになってしまいそう」であるかはいくつもの複合的な要素があって、なかなか一概に言えないのではないかと思います。
> それとも「キャバクラでもてる」というのは、私の知らない何か深い意味があるのでしょうか。
その世界にはその世界独自の〈コード〉(暗号)というものがありますからね。言葉は同じでも、内包されている意味がちがう、というのはよくあることです。
> キャバクラの世界に一歩踏み出せないでいます。
その場に留まっていらっしゃることを希望しております。
arareさんといえば、当ブログでは、学生時代、バイトで高級クラブでガーシュウィンを弾いていらっしゃった方、ということになっておりますので。
> 本題と関係ない話で失礼いたしました。
とんでもありません。よくお越しくださいました。
ただ、「キャバクラ」という検索子でこのブログにいらっしゃった方には、お気の毒かと思いますが、そういう方のご希望に叶うブログではないことを示すために、普段よりいささか固い言葉遣いでお答えさせていただきました。
あ~、舌かんじゃいそう。