陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サイト更新しました

2006-08-20 18:54:27 | weblog
先日までここで連載していた「ものを贈る話」(芸のないタイトルで、実に、「読みながら考え…」のページを更新しているときにそっくりなタイトル―「ものを食べる話」―というのを書いていたことに気がつきました)を大幅にあらため、サイトにアップしました。
またお暇な折りにでも読んでみてください。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

* * *

すでに気がついていらっしゃる人もいるかもしれませんが、わたしはいまはほとんど小説を読みません。ここ数年では、最初から最後まで読み通す新しい作品は、年間では十冊ないと思います。
ただ、八十年代から九十年代の半ばまでの十五年間くらい、ひたすら読んできた本のストックがあるだけです。
ひとつラッキーだったのは、その時期がいわゆる翻訳バブルの時期と軌を一にしていたことです。特にアメリカの同時代の小説がどっと翻訳された時期で、わたしは19世紀の文学も、日本の明治時代の文学も、同時代のアメリカ小説も、なにもかもを端から読んでいきました。

その時期に読んだ本は、相当細かいところまで覚えています。このところ記憶力の減退ときたら、もうしゃれにはなんないんですが、当時読んだ本は、背表紙を見ただけで、かなり細かい点まで思い出すことができる。だから、本棚の前に立って、ネタ出しをするんです。

「贈り物…贈り物…『リア王』の領土…『大農場』の農場…『港湾ニュース』のタマゴ…『人間失格』の肖像画…」

そうやって使えるかどうか考えていく。
ということで、どうしてもわたしが引用する本は、古いものが多いのです。
どうか最近こんな本読んだよ、とってもおもしろかった、っていうのがありましたら、どうか教えてください。

残念なことに、当時読んだ小説、とくに翻訳本の多くが、すでに手に入りにくいものになっていることが少なくありません。
今回引用したドラブルの『碾臼』にしても、ドラブルの作品のなかでは非常に読みやすいものですし、おもしろいものだと思います。
ですからどうか興味をひかれたかたは、図書館か、古書店のサイトをさがしてみてください。文庫なら手に入るみたいです。

ということで、それじゃまた。
また明日から、何かあたらしいことを書いていくつもりです。

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