陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

歴史小説の楽しみ

2010-12-28 08:30:55 | weblog
小学生のころ、授業で歴史を教わっているときに、平安時代の終わり頃に来て、担任の先生がやたらと平清盛を悪く言い、源頼朝を持ち上げるのに気がついた。

曰く、平清盛は悪い人間で、人びとを苦しめた……。自分の一族で要職を固めて、権力をほしいままにした……。しかも平家というのは、一門で要職を独占したあげく、「平氏にあらずんば人にあらず」などと公言するような、貴族かぶれしたいやらしい連中だった……などなど。

そうして、その貴族かぶれした平家を追い落としたのが源頼朝だったと、あたかも救世主か、はたまたナポレオンか、という調子で誉め称えたのだった。

当時のわたしは、子供向けにリライトした『平家物語』を繰りかえし読んでいて、なかでも歌を詠み、舞いを舞う、光源氏の再来とまで言われた平惟盛が、当時の(言っておくが、あくまで十歳当時のわたしにとっての、である)アイドルだった。「貴族かぶれ」という言葉は、自分のヒーローを直接貶めるもののように思え、内心悔しくてたまらなかかった。

登場人物の系図も、主だった出来事も、すべて暗記していたぐらいだから、「平氏にあらずんば……」という言葉が平氏一門とは血縁関係のない、清盛の妻時子の弟である平時忠の言葉であることも知っていた。確かに時忠はつまらないいやな人間だったが、公家出身で、「貴族かぶれ」ではなく、貴族そのものだったのだ。平氏が権力を握る前の公家たちが、どんなにいやらしい連中だったか。清盛の父、忠盛を辱めたことにも見て取れる。そんな連中の一人が、権力の近くにいることに気をよくして、そんないやらしいことを言ったのだ、と指摘したように思う。もちろんそんなに理路整然とは説明できなかっただろうが。

そのときの先生の返事はまったく記憶になかったが、ともかく源頼朝はすばらしい、私利私欲に走らず、御家人のために鎌倉幕府を開いたのだ、という話が続いていった。

こんなふうに書いてしまうと、ずいぶんバイアスのかかった、とんでもない授業をするような先生に思えるが、中学、高校に行ってもやはり、先生は、誰それはつまらない人間だった、とか、誰それはほんとうに立派な人物だった、という程度のことは言っていたように思う。

現に「暴君ネロ」や「賢帝マルクス・アウレリウス」、「凡将徳川秀忠」などのように、人物の名前には、すでに評価が組みこまれているようなケースも少なくない。どうやらわたしたちは歴史的人物を評価抜きに見ることは、かなり難しいらしい。

ところで、こうした歴史の勉強とは別に、歴史小説というものがある。
わたしたちが歴史小説を読むのは、「その出来事に関わった人がどんな人か」を知りたいからである。1600年に関ヶ原の合戦が起こったことは知っていても、それがどんなものだったかはわからない。だが、ひとたびフィクションを通してみると、「人間が起こしたこと」「ある種の人間の普遍的な資質が引き起こしたこと」として、眺めることができるようになる。出来事が立体的に浮かび上がってくるばかりではない。ある登場人物が備えている資質を読む内に、自分のなかにもほかならぬその資質があることを発見する、自己発見の機会でもある。

つまり、歴史小説を読むということは――歴史の勉強をするといっても良いのだけれど――、出来事の見方を学ぶということなのである。作者はひとつの見方を提示してくれる。ひとつの出来事が、途方もなく複雑な人びとの行き交いによって支えられていることが見て取れるよう、その見て取り方を示してくれるのである。

わたしたちはそれによって、「出来事を起こした人間」を知る。「出来事を起こした人間」の持つ「資質」――権力欲であるとか、正義感であるとか、傲慢さであるとか、向上心であるとか――を理解する。そしてまた、人間の評価の仕方を知る。歴史の勝者がすなわち立派な人間ばかりではないことや、滅びるとわかっていながら、懸命にそれを先へ送ろうとする人間の努力、といったことを。

そうしてひとつの歴史小説を通じて興味の深まった出来事や人物をさらにくわしく知るために、今度は歴史小説を離れ、もっとほかの論説書や資料を見ることによって「自分の見方」を作っていくようになる。

「自分の見方」ができれば、人に知らせたい。だからこそ、織田信長や豊臣秀吉や勝海舟らについて、多くの小説が書かれていくのだ。

いずれも、その底にあるのは、人間の興味である。そんな出来事を起こした人は、どんな人なのだろう。

「どんな人か」というのは、個人の解釈を通してしかありえない。解釈をつきつめていけば、結局その底にあるのは、好きかきらいか、なのである。



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