陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

今日はつなぎ、ということで

2005-10-19 22:37:21 | weblog
こんばんは。
「ワインズバーグ・オハイオ」第二部は、いませっせと手を入れているところです。希望としては、明日あたりにはアップしたいのですが、やりだすとやはりキリがない領域なので、なかなかこれでいい、というところまでは行けなかったりします。どうかいましばらくお待ちください。

ところで、今日、自転車で狭い歩道の端を、通行人に気をつけながら走っていました。と、前を走っていた女の子が、急に止まった。あやうく追突しそうになって、「いきなり止まるなよ」という視線で追い越そうとしたのですが、彼女はうつむいたまま、こちらのことなど気がつきさえしませんでした。そうです、携帯メールを読んでたんです。

実に多くの人が、歩道に突っ立って、うつむいています。十年ほど前だったら、うつむいている人は、気分が悪くなった人か、落ちた百円玉をさがしている人だけでした(コンタクトレンズと五百円玉を落とした人は、さらにはいつくばることになります)。ところが今日では、あれ、あの人、調子悪いのかな、大丈夫かな、なんて思うことさえありません。

アメリカのコラムニスト、マイク・ロイコは'80年代の初めにこんなことを書いています。

 それでなくとも私はもともと電話というものを忌み嫌っている。たしかにオフィスには一台電話を置いているが、それは仕事上の必要があって仕方なく置いているにすぎない。家にも一台電話があるが、こちらのほうは、それがないとピザを注文できないから、これまた仕方なく取り付けてあるにすぎない。
 
 電話が一般に普及する前のほうが、世の中はどんなに住みやすかったことだろう。当時は、たとえ口うるさい人間が他人に向かってなにか愚かなことを口走りたくなっても、いったん机の前に座って手紙を書くか、相手の家まで何マイルか路面電車に乗って出かけて行かなければその目的を果たすことはできなかった。……

 しかし、電話だとそうは問屋が卸さない。電話の場合には、ボタンを七つ押せば、それだけでむこうはこちらの人生に土足で踏み込んでくることができる。ベルを何十回鳴らしっぱなしにしようが、五分おきに電話をかけてこようが、敵の思うがままである。……
(マイク・ロイコ『男のコラム2』井上一馬訳 河出文庫)


確かに携帯メールは一応、いつ出てもいいことになっています。急ぎの用件なら電話すればいいのだし。ただ、多くの場合、たとえメールでも、着信すればあたりかまわず携帯を開いている人の方が多いような気がする。

こうなると、電話と変わらない、なのにどうしてメールにするんでしょう。

喫茶店に座っている四人のグループが、みんな一斉に携帯を開いている、という摩訶不思議な光景もめずらしくありません。それよりは、一緒にいる子たちと話した方がいいんじゃないの、って、携帯を打つのが苦手な、年寄りのわたしはそう思ってしまいます。
何か、どんどん間接的なコミュニケーションの方向に行っているかなぁ、って。

なんだかなぁ、って思った、まぁただそれだけの話なんですけど。

そういえば、この間、薄暗い中、街灯の明かりの下で、近所のおじさんが、仕事の帰りらしいスーツ姿で、それはそれは幸せそうな顔で携帯に見入っていました。もちろん、生け花の会が次回展示会の会場が取れた、という案内だったのかもしれませんが……。なんとなく、見てはいけないものを見てしまったみたいで、気づかれないように(なんでわたしが……)そそくさと通り過ぎていきましたっけ。

ということで、それではまた♪

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