その5.
夕食後、ロイスが電話を終えて戻ってくると、ミセス・タゲットは本から顔をあげてたずねた。「誰と話してたの? カール・カーフマンさんだった?」
「そうよ」ロイスはそう言うと、腰を下ろした。「バカなやつ」
「バカなんかじゃありません」ミセス・タゲットはうち消した。
カール・カーフマンは、太い足首をした背の低い男で、いつも白い靴下をはいている。色ものの靴下をはくと炎症を起こすのだという。おそろしくいろんなことを知っていて、たとえば日曜日に車で試合を見に行くつもりだ、とでも言おうものなら、すかさず、どのルートで行くつもりか聞いてくるのだった。「まだ決めてないんだけど、国道26号線かな」と答えると、カールは、そっちより7号線の方が絶対いい、と主張して、ノートとエンピツを取り出し、あれこれ説明してくれる。手間をかけさせて悪かったね、とお礼を言うと、短くうなずき、たとえ道路標識が出ていても、クリーブランドの有料高速道路のところで曲がったりしちゃいけないよ、と念を押す。エンピツとノートを片づけているカールを見ていると、申し訳ないような気がしてくるのだった。
リノから帰って数ヶ月が過ぎたころ、カールはロイスに結婚を申しこんだ。断られることを前提としているかのような言い方だった。〈ウォルドルフ・アストリア〉で開かれたチャリティダンスパーティから、一緒に帰っているときである。セダンのバッテリーが上がってしまい、どうにかしてスタートさせようと悪戦苦闘しているカールに、ロイスは「焦らなくていいわよ、カール。まずは一服しましょうよ」と声をかけた。ふたりが車の中でタバコをふかしているときに、カールが陰気な調子で切り出した。
「ぼくとなんて、結婚するのはきっといやでしょうね、ロイス」
ロイスはタバコをふかしている彼を見ていた。煙を吸いこんでいない。
「あら、カール。そんなこと言ってくださるなんて、いい人ね」
「君を幸せにするためなら、ぼくは何だってしますよ、ロイス。できるだけのことをね」
カールが坐り直したので、ロイスのところから彼の白い靴下が見えた。
「そう言ってくださって、ほんとにうれしいわ、カール」ロイスは言った。「だけど、しばらくあたし、結婚のことなんて考えたくないのよ」
「そうだろうね」カールはすかさずそう言った。
「そうだ」ロイスは言った。「五十丁目と三番街の角に修理工場があったわ。そこまで歩きましょう」
そのつぎの週のある日、ロイスはミディ・ウィーヴァーと〈ストーク・クラブ〉で昼食を取った。ミディ・ウィーヴァーはうなずいたり、タバコの灰をトントンと落としたりしながら、話の相手をしてくれる。ロイスはミディに、最初のうちはカールってバカだと思ったのよね、と言った。まあ、ほんとはそんなにバカってわけじゃないんだけど、でもね、ほら、あたしが何が言いたいか、わかるでしょ。ミディはうなずき、タバコの灰を灰皿に落とした。だけどね、あの人、ちっともバカじゃないの。ちょっと神経質で内気なんだけど、すっごく優しいのよ。おまけに、とっても頭がいいし。ミディ、あなた〈カーフマン・アンド・サンズ〉を実際に切り回してるのはカールだって知ってた? ええ、そうなのよ、ほんとなの。おまけに彼、ダンスがそりゃもううまいのよ。髪の毛もステキだし。なでつけてないときは、天然パーマなの。それはそれはすてきな髪なのね。それに、たいして太ってないし。筋肉質なのよ。それに、とにかくとっても優しいの。
ミディ・ウィーヴァーは言った。「そうよね。わたし、昔からずっとカールが好きよ。いい人だと思うわ」
ロイスは家に帰るタクシーの中で、ミディ・ウィーヴァーのことを考えた。ミディっていい子だわ。ほんと、ちゃんとしてる。頭だっていいしね。頭がいい人なんて、そうそういるもんじゃないけど。ほんとうに賢い人となると。ミディは完璧。ロイスは、ボブ・ウォーカーがミディと結婚したらいい、と思った。あたしはボブなんかにはもったいなさすぎるもの。あんなドブネズミ。
ロイスとカールは春に結婚し、結婚式から一ヶ月もしないうちに、カールは白い靴下をはくのをやめた。タキシードを着たときに、ウィング・カラーをつけるのもやめた。マナスカンに行く人に、海岸を避けて行くルートを教えてやることもやめた。海岸通りを行きたきゃ、勝手に行かせればいいじゃない、とロイスが言ったのである。ロイスはさらに、バド・マスターソンにはもうお金を貸しちゃダメ、とも言った。あとね、ダンスのときは、もう少し大きくステップを踏んで。気取って小さく踏んでる人なんて、チビの太っちょだけよ。それに、もしこれから先、あなたが頭をベタベタに固めたりしたら、あたし、頭が変になっちゃうわよ。
ふたりが結婚して三ヶ月も経たないうちに、ロイスは朝の十一時になると、映画に行くようになった。ボックス席に坐って、ひっきりなしにタバコを吸う。たいくつなアパートに坐っているよりはましだった。自分の母親のところへ行くよりも、そっちの方が良かった。最近では母親ときたら、ひとつことしか言わないのだ。「あなた、痩せ過ぎよ」映画を見に行く方が女友だちに会うよりも良かった。実際には、ロイスがどこへに行こうが、かならず誰かに出くわしてしまう。ほんと、あの子たちバカばっかり。
かくてロイスは朝の十一時に映画館に通うようになったのである。映画の間は腰を下ろし、それから化粧室へ行って髪の毛を梳かし、お化粧を直した。そのあとは、鏡の中の自分に向かって言うのだった。「さて、と。これから何をしたらいいのかしら」
(この項つづく)
夕食後、ロイスが電話を終えて戻ってくると、ミセス・タゲットは本から顔をあげてたずねた。「誰と話してたの? カール・カーフマンさんだった?」
「そうよ」ロイスはそう言うと、腰を下ろした。「バカなやつ」
「バカなんかじゃありません」ミセス・タゲットはうち消した。
カール・カーフマンは、太い足首をした背の低い男で、いつも白い靴下をはいている。色ものの靴下をはくと炎症を起こすのだという。おそろしくいろんなことを知っていて、たとえば日曜日に車で試合を見に行くつもりだ、とでも言おうものなら、すかさず、どのルートで行くつもりか聞いてくるのだった。「まだ決めてないんだけど、国道26号線かな」と答えると、カールは、そっちより7号線の方が絶対いい、と主張して、ノートとエンピツを取り出し、あれこれ説明してくれる。手間をかけさせて悪かったね、とお礼を言うと、短くうなずき、たとえ道路標識が出ていても、クリーブランドの有料高速道路のところで曲がったりしちゃいけないよ、と念を押す。エンピツとノートを片づけているカールを見ていると、申し訳ないような気がしてくるのだった。
リノから帰って数ヶ月が過ぎたころ、カールはロイスに結婚を申しこんだ。断られることを前提としているかのような言い方だった。〈ウォルドルフ・アストリア〉で開かれたチャリティダンスパーティから、一緒に帰っているときである。セダンのバッテリーが上がってしまい、どうにかしてスタートさせようと悪戦苦闘しているカールに、ロイスは「焦らなくていいわよ、カール。まずは一服しましょうよ」と声をかけた。ふたりが車の中でタバコをふかしているときに、カールが陰気な調子で切り出した。
「ぼくとなんて、結婚するのはきっといやでしょうね、ロイス」
ロイスはタバコをふかしている彼を見ていた。煙を吸いこんでいない。
「あら、カール。そんなこと言ってくださるなんて、いい人ね」
「君を幸せにするためなら、ぼくは何だってしますよ、ロイス。できるだけのことをね」
カールが坐り直したので、ロイスのところから彼の白い靴下が見えた。
「そう言ってくださって、ほんとにうれしいわ、カール」ロイスは言った。「だけど、しばらくあたし、結婚のことなんて考えたくないのよ」
「そうだろうね」カールはすかさずそう言った。
「そうだ」ロイスは言った。「五十丁目と三番街の角に修理工場があったわ。そこまで歩きましょう」
そのつぎの週のある日、ロイスはミディ・ウィーヴァーと〈ストーク・クラブ〉で昼食を取った。ミディ・ウィーヴァーはうなずいたり、タバコの灰をトントンと落としたりしながら、話の相手をしてくれる。ロイスはミディに、最初のうちはカールってバカだと思ったのよね、と言った。まあ、ほんとはそんなにバカってわけじゃないんだけど、でもね、ほら、あたしが何が言いたいか、わかるでしょ。ミディはうなずき、タバコの灰を灰皿に落とした。だけどね、あの人、ちっともバカじゃないの。ちょっと神経質で内気なんだけど、すっごく優しいのよ。おまけに、とっても頭がいいし。ミディ、あなた〈カーフマン・アンド・サンズ〉を実際に切り回してるのはカールだって知ってた? ええ、そうなのよ、ほんとなの。おまけに彼、ダンスがそりゃもううまいのよ。髪の毛もステキだし。なでつけてないときは、天然パーマなの。それはそれはすてきな髪なのね。それに、たいして太ってないし。筋肉質なのよ。それに、とにかくとっても優しいの。
ミディ・ウィーヴァーは言った。「そうよね。わたし、昔からずっとカールが好きよ。いい人だと思うわ」
ロイスは家に帰るタクシーの中で、ミディ・ウィーヴァーのことを考えた。ミディっていい子だわ。ほんと、ちゃんとしてる。頭だっていいしね。頭がいい人なんて、そうそういるもんじゃないけど。ほんとうに賢い人となると。ミディは完璧。ロイスは、ボブ・ウォーカーがミディと結婚したらいい、と思った。あたしはボブなんかにはもったいなさすぎるもの。あんなドブネズミ。
ロイスとカールは春に結婚し、結婚式から一ヶ月もしないうちに、カールは白い靴下をはくのをやめた。タキシードを着たときに、ウィング・カラーをつけるのもやめた。マナスカンに行く人に、海岸を避けて行くルートを教えてやることもやめた。海岸通りを行きたきゃ、勝手に行かせればいいじゃない、とロイスが言ったのである。ロイスはさらに、バド・マスターソンにはもうお金を貸しちゃダメ、とも言った。あとね、ダンスのときは、もう少し大きくステップを踏んで。気取って小さく踏んでる人なんて、チビの太っちょだけよ。それに、もしこれから先、あなたが頭をベタベタに固めたりしたら、あたし、頭が変になっちゃうわよ。
ふたりが結婚して三ヶ月も経たないうちに、ロイスは朝の十一時になると、映画に行くようになった。ボックス席に坐って、ひっきりなしにタバコを吸う。たいくつなアパートに坐っているよりはましだった。自分の母親のところへ行くよりも、そっちの方が良かった。最近では母親ときたら、ひとつことしか言わないのだ。「あなた、痩せ過ぎよ」映画を見に行く方が女友だちに会うよりも良かった。実際には、ロイスがどこへに行こうが、かならず誰かに出くわしてしまう。ほんと、あの子たちバカばっかり。
かくてロイスは朝の十一時に映画館に通うようになったのである。映画の間は腰を下ろし、それから化粧室へ行って髪の毛を梳かし、お化粧を直した。そのあとは、鏡の中の自分に向かって言うのだった。「さて、と。これから何をしたらいいのかしら」
(この項つづく)