陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ・コレクション「モウズル・バートンの平和」その1

2010-03-02 23:14:51 | 翻訳
今日からサキの二篇目「モウズル・バートンの平和」を訳していきます。
原文はhttp://haytom.us/showarticle.php?id=37で読むことができます。


* * *

THE PEACE OF MOWSLE BARTON
(モウズル・バートンの平和)


 クレフトン・ロックヤーは身も心ものびやかに、モウズル・バートン村にある農家の庭先に、のんびりと腰をおろしていた。そこから地続きのせまい地所は、半ば果樹園、半ば菜園になっている。

都会の喧噪のなかで久しくストレスにさらされ続けた体を、なだらかな丘陵に囲まれた田舎に置いてみると、静けさとやすらぎが五感の隅々にまで染みいるのを感じる。時間と空間は意味を失い、溶け出していくようだ。数分間は知らぬまに数時間へと伸びていき、草地も休耕地も向こうの方までなだらかに切れ目なく続いていく。

生け垣にはびこる雑草は花壇へ伸びて交じり合い、壁をつたうニオイアラセイトウや庭の低木は、逆に庭から小道の方へ攻勢をかけている。眠そうな顔のメンドリや、まじめくさって何かを考えているらしいアヒルは、庭であろうが果樹園であろうが道であろうが、いっこうに頓着なく歩いていく。境界というものがどこにも見当たらないのである。門の扉さえも、真ん中で開くとは限らなかった。

あたり一帯に平和な雰囲気が満ちあふれ、まるで魔法にかけられているようだった。午後は、いつ始まったかもわからず、いつまで続くかも定かではない。宵闇せまる頃合いになればなったで、たそがれ時が永遠に続いているように思える。クレフトン・ロックヤーは古いマルメロの木の下の丸太のベンチに坐ったまま、心を決めた。ここは人生の錨をおろすのにふさわしい場所だ。昔から夢に見、疲労と神経の消耗が高じてきた近ごろでは、なおのこと思い焦がれてきたのは、まさにこういう場所だった。素朴で人なつこい人びとの住む村にずっと滞在しよう、ここを終の棲家とするのだ。快適に暮らせるように、少しずつものを買いそろえながら、同時に村の人びとの生活様式にも馴染んでいこう。

 自分の決意を頭の中で少しずつ具体化しているところに、年取った女がよたよたとおぼつかない足取りで、果樹園を抜けてやってきた。彼が滞在している農場の家族の一員だ。一家の女主人の母親だったか、義理の母親だったろうか。感じのいい挨拶をしなくては、と、大慌てで言葉を探した。ところが相手に先を越されてしまった。

「あっちの戸にチョークで何か書いてあるだろ。なんて書いてある?」

 のろのろとした語調は、どこか上の空で、何年も喉の奥に引っかかっていた質問を、やっと片づけたという感じだ。だが、視線の先にあるのはクレフトンの頭越しの、まばらに続いていく納屋の列の一番奥の戸で、そこを憎々しげににらんでいるのだった。

何が書いてあるんだろうといぶかりながらクレフトンが振り返って見てみると、「マーサ・フィラモンは魔女」とある。一瞬、そのまま世間に広めて良いものかどうかためらわれた。自分は何も知らないし、もしかしたら自分が話をしているこのおばあさんが、マーサその人かもしれないのだ。スパーフィールドの奥さんの結婚前の姓がフィラモンなんだろうか。痩せてしわくちゃのおばあさんの姿は、彼の目にはいかにもこの土地の魔女らしく映った。

「マーサ・フィラモンとかいう人は、何とかかんとかだって書いてありますよ」と彼は慎重に答えた。

「何とかかんとかだって?」

「あまりいいことじゃありません」とクレフトンが言った。「魔女だとか。こうしたことはあまり書いちゃいけませんね」

「ほんとのことさ。まるっきり」彼の答えはどうやら相手の期待に添うものだったらしく、さらに説明が加わった。「おいぼれのヒキガエルめが」

 ふたたび足を引きずりながら庭を抜け、しわがれ声で怒鳴った。「マーサ・フィラモンは魔女だ!」



(この項つづく)