hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

講演「古事談の世界」を聴く

2010年02月23日 | 雑学

白百合女子大の伊藤玉美教授による講演「貴族社会の裏話―『古事談』の世界」を聞いた。
中世日本文学講演会として図書館で行われた一時間半ほどの講演で、数十名の参加者だった。

『古事談』(こじだん)は、鎌倉初期に書かれ、奈良時代から平安中期までの462の説話を収める。内容は、貴族社会の逸話、有職故実、伝承などで、天皇を始め貴族の秘事を遠慮なしに暴き、正史とは別世界の人間性あふれる王朝史を展開している。
この本は、週刊誌なみのいかがわしい話が出ているようで、面白そうだ。私はこの本を知らなかったが、まあ、教科書には引用されそうもない本ではある。

講演では、優雅な王朝物語を書いた清少納言、和泉式部の連れ合いが武士であったなど当時の社会構成や、桟敷や、現在でも神主や行司がかぶる烏帽子など日常生活に関する説明があった。
ちなみに、当時は、烏帽子(冠)を人前で外すことはいわば下着を露出するのにも等しい大変な恥であったとのことだ。そのため、男性貴族の髪型は、髻(もとどり)とか、一髻(ひとつもとどり)と呼ばれ、肩を越すぐらいまで伸ばした髪を一つにまとめ、くるくると巻き上げて、結い上げた後は冠の上部分に押し込んで簪(しん)で冠ごと留める。烏帽子は中に詰まった髪に止められているので、簡単には落ちないのだ。


以下、私のでたらめな現代語訳というよりお話。

2巻54
待賢門院(たいけんもんいん)璋子は、白河法皇の養女となり、法皇の孫の74代鳥羽天皇の中宮となった。しかし、璋子は白河法皇の愛人であり、璋子の生んだ第75代崇徳天皇は鳥羽天皇でなく白河法皇のお子であることは皆知っている。鳥羽天皇もそのことを知っていて、わが子崇徳院を伯父さんと呼んで嫌っていた。鳥羽院の臨終のときも、「崇徳院には死顔を見せるな」と言っていて、崇徳院は「ご遺言ですから」と言われ、会うことはできなかった。

当時も、この話は噂としてはあったが、書物にしてしまったのはすごい。秦の始皇帝誕生を思わせる話だ。
長く実権を離さなかった白河法皇が77歳で崩御すると、璋子と幼帝崇徳は窮地に立つ。
鳥羽院が力を持ち、璋子に代わって藤原得子(美福門院)を寵愛した。1139年、鳥羽院は、崇徳天皇にいずれ上皇にするからと言って、得子が生んだ生後三ヶ月の第八皇子躰仁親王(近衛)を立太子させた。ところが、2年後近衛を天皇としたときには、23歳の崇徳天皇は退位させられ、上皇にもなれなかった。さらに、近衛天皇が17歳で夭折すると、鳥羽院は、優れていた崇徳の子の重仁親王でなく、うつけの評判であった崇徳の弟を後白河天皇とした。これらが、1時間半で終わったとはいえ実際、都で源平の武士を巻き込んだ保元の乱(1156年)の原因となった。

2巻26
高階家は、在原業平の末裔だ。業平は勅使となって伊勢神宮に参った時、天皇の娘である斎宮(いつきのみや)を妊娠させ、男子が生まれた。露見するのを恐れ、摂津守の高階成範の子、師尚とした。師尚の孫が成忠で、その娘、高階貴子(きし)と藤原直隆の娘が一条天皇の后となった定子だ。
この話は、伊勢物語「69狩の使」にもあり、斎宮は55代文徳天皇の娘とある。斎宮というのは、伊勢神宮に使えている間は清い体でいなくてはいけないのだ。なお、定子は清少納言の仕えた中宮だ。

2巻55
清少納言が零落した後、若者がその荒れ果てた家の前を通るとき、「少納言もひどくなったものだ」と車中で言った。桟敷に立っていた清少納言は、簾(すだれ)をかきあげて、鬼の女法師のような顔で、「駿馬の骨をば買はずやありし」と言った。

「死馬の骨を買う、まず隗より始めよ」と言うが、これは、『戦国策 燕』にある話だ。燕の照王が即位し、国力を回復させようと、宰相の郭隗に相談する。
郭隗は言う。「ある君主が3年も名馬を買うことができなかった。そこである男に頼むと、彼は名馬の死んだ骨を高額で買ってきた。そのうちに、死んだ馬でも買うのだからと、ぞくぞく名馬を売りに来るようになったという。照王殿が賢者を集めようとするなら、まず郭隗を重く用いることです」と言った。
漢籍に詳しかった清少納言は、このことを持ち出したのだ。

2巻57
源頼光が四天王をやって、清少納言の兄の清原致信を襲ったとき、清少納言も同じ家にいたが、法師(僧兵)に似ていたので殺されそうになった。彼女は、着物をまくって秘所を出して逃れたという。



『古事談』は、刑部卿源顕兼の編で、1212年)から1215年の間に成立。人に関する王道后宮、臣節、僧行、勇士の4巻と、事物に関する神社仏寺、亭宅諸道の6巻からなる。なお、「諸道」とは、専門分野のこと。
貴族社会の逸話・有職故実・伝承などに材を取り、『小右記』『扶桑略記』『中外抄』『富家語』などの先行文献からの引用が多い。同時期の作品と比べて尚古傾向が薄く、天皇・貴族・僧の世界の珍談・秘話集。
『宇治拾遺物語』『古今聴聞』『十訓抄』などは『古事談』をネタ本としていて、作者はことなるが、続編の『続古事談』も1219年に成立している。



伊藤玉美氏は、白百合女子大の国語国文学科教授。神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。東京大学文学部卒業。同大学院修士・博士課程修了。共立女子短期大学文科を経て、2005年より白百合女子大学に勤務。博士(文学)。『院政期説話集の研究』(武蔵野書院 第23回日本古典文学会賞受賞)、『京都魔界紀行』〔共著〕(勉誠出版)、『新編日本古典文学全集 沙石集』〔本文作成・校注協力他〕(小学館)、『小野小町-人と文学』(勉誠出版)、『『古事談』を読み解く』〔共著〕(笠間書院)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 上野千鶴子「男おひとりさま... | トップ | 新日本フィルの英雄を聴く »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

雑学」カテゴリの最新記事