hiyamizu's blog

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梁塵秘抄の講座を聞く

2017年01月14日 | 雑学

 

 古典講座「後白河法皇と梁塵秘抄 ~平安流行歌を熱愛した王者と老歌姫~」を聞いた。

 講師は元中学教諭の貝瀬弘子氏で、後白河天皇の生涯、人柄、乙前との関係について約1時間わかりやすく解説され、さらに約1時間、梁塵秘抄から15首選んで、それぞれをトピックを交えながら興味深く解説された。

 

後白河法皇と乙前

 雅仁親王(後の後白河天皇、法皇、1127年~1192年)は鳥羽天皇の第4皇子として生まれた。通常なら皇位継承とは無縁な立場なので、遊興に明け暮れ、当時の貴族は相手にしなかった今様(民謡・流行歌)を愛好し、熱心に研究していた。

 しかし、1155年、中継ぎとして即位し、後白河天皇となった。その後、保元の乱、平治の乱など諸勢力間の戦乱が続き、幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれたが、そのたびに平気で翻意し裏切りを重ねて復権を果たした。

 今様の師匠の流れ遊女で老女の乙前(おとまえ)だけが、法皇に真正面から小言して、厳しく指導した。だれも信じることがなかった法皇も、乙前だけには信頼と敬意を寄せ、84歳で乙前が死去するまで親身になった世話をした。

 

梁塵秘抄

 梁塵秘抄は1180年前後、後白河法皇が編んだ歌謡集。主として「今様」と呼ばれる平安末期に流行した声楽の歌詞の集大成。現存するのはごく一部のみで、2016年にもわずかだが写本が発見されている。文に添えられていたとおもわれる記譜は失われている。

 「梁塵」は、名歌手の歌で梁の上の塵が3日も舞ったという中国の故事による。

 

紹介された歌の一部  ( )内の解説の文責は私、というか責任持ちませぬ。

26 仏は常に在(いま)せども現(うつつ)ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁にほのかに夢に見へたまふ

(仏様はいつも私たちのそばにいらっしゃる。この眼では見ることは出来ないが、尊いのだ。人の物音のしないような静かな暁には、かすかに夢の中に姿をみせてくださる。)

 

339 我を頼めて来ぬ男 角三つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ 霜雪霰(あられ)降る水田の鳥となれ さて足冷たかれ 池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け

(あてにさせておいて、通って来ない男よ。角の三つ生えた鬼になってしまえ。人から嫌われるがいい。霜雪霰の降る水田の鳥になれ。水田で足が冷たくなってしまえ。いっそ、池の浮き草になって、あっちこっちに揺られ揺られて、揺られ歩くがいいわ)

⦅大昔から女性は恐ろしいですね。でも、ちょっとだけ、こんな思いもしてみたい。⦆

 

368 このごろ京(みやこ)にはや流行るもの 肩当、腰当、烏帽子止め 襟(えり)の堅(た)つ型 錆(さび)烏帽子 布打ちの下の袴 四幅(よの)の指貫(さしぬき)

(このごろ都での流行ファッションは、上衣には肩当てと腰当て。ピンで止めた烏帽子。襟は糊を付けて堅くし、厚めに布を重ねた袴や、倍の長さの指貫で、いわゆる「強装束」だ)

 

369 このごろ京に流行するもの 柳黛(りゅうたい)髪々ゑせ鬘(かづら) しほゆき近江女(あふみめ) 女冠者 長刀(なぎなた)持たぬ尼ぞなき

(このごろ街で流行している女性ファッションは、眉は眉墨で書き、髪にはしばしばウイッグを付け、海水浴に行く近江の遊女のような恰好で、男装をした女もいて、尼さんたちは、みんな長刀をもっている)

⦅なお、「此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀謀(にせ)綸旨・・・」は同じ今様ではあるが1334年の二条河原の落書(らくしょ)で、368,369とは別物。⦆

 

460 恋ひ恋ひて たまさかに逢ひて寝たる夜の夢はいかが見る さしさしきしと抱くところ見れ

(恋しくて、恋しくて、その恋人とやっと逢えて抱き合ったその夜の夢は何を見よう。互いの腕と腕を差し交わし、きつく抱きあう、そんな夢を見続けてたい。)

 

461 つはり肴に牡蠣もがな ただ一つ牡蠣も牡蠣 長門の入海のその浦なるや 岩の稜につきたる牡蠣こそや 読む文書く手も 八十種好紫磨金色足らうたる男子は産め

(つわりに苦しむ妊婦が夫に牡蠣が食べたいと甘えている。牡蠣は牡蠣でも長門の入海の岩の角立った所にある牡蠣でなくちゃだめだと贅沢を言う。その牡蠣を食べさせてくれたら、読み書きが仏様なみの、万能で、光り輝く、男の子を産むと断言する。

  

当日、解説されなかったが、私も知っていたもっとも有名な歌は以下。

 

359 遊びをせんとや生れけむ 戯(たわぶ)れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ

(私たちは遊びをするためにこの世に生まれたのだろうか?それとも戯れをしようと生まれてきたのだろうか?無心に遊ぶ子供たちの声を聞くと、自分の体も自然と動き出すように思われる。)

⦅貴族や武士が権力争いに明け暮れているとき、その犠牲になっている庶民は、子供が遊ぶように一心に、たくましく人生を楽しもうとしていた(のだと良いが)。⦆

 

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