hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

(十何年前の)最後から2回目の引越し

2020年11月10日 | 個人的記録

 

東京谷中で生まれ、3歳で代々木上原へ移り27年住みついた。所沢などを経て、横須賀、横浜で30年足らず、東京に戻って15年程になる。この間の引越は8回になる。
引越しがとくに多い方ではないと思うが、オーストラリアやカナダで1、2ヶ月のロングステイを繰り返すうちに、浮き草生活が身について、常に仮の住まいという感覚が抜けなくなった。引っ越しに伴う住所変更手続きなどの手間は気が重いが、新しい環境はいまや変化の乏しい日常の中でワクワクするものがある。

 

前々回の横浜の一軒家から東京の狭いマンションへの引越しは大変だった。子どもが家を出て二人だけになると、二階はいらないし、庭の手入れも面倒だ。最近のマンションはバリアフリーになっているし、年取ったらマンションに限ると引っ越すことにした。

しかし、一軒家には長年詰め込んだ荷物が一杯ある。昔、父母が亡くなったあとの荷物整理が恐ろしく大変だったことを思い出す。こんなものまでと思うほど大量の荷物が戸棚の奥から出てきた。かといって、あれこれ昔を思い出すと、やみくもに捨てるのはためらわれた。残された荷物の整理、破棄は大変な労力を要し、精神的にもタフな仕事だった。我々は引越しを機会に、いずれ遺される子どものためにも思い切って荷物を整理することにした。

 

大きな家具は有料の粗大ゴミで出したが、部屋から外に持ち出すために分解しなくてはならない物もあった。久しぶりの肉体労働だ。7個の木製家具をハンマーで壊し部屋中を木屑だらけにした。3個の鉄製家具の数え切れないほどのネジをはずして分解した。

衣類、本、その他、まだ使えるもの、未使用なものなどただでも誰かに使って欲しいものもたくさんあった。外国ならガレージセールをやるところだ。リサイクル店にも何回か通ったが、大半の物は目をつぶって処分した。自分ではもっと価値あるものと思っているのに、見た目のきれいさだけで評価されるのには抵抗があるが、この際、従うほかない。

各部屋にある戸棚の中には空のダンボールを詰めておいてやたらと荷物が増えないようにしていたのだが、徐々に荷物を詰め込み、高密度実装してしまうことになっていた。連日の肉体労働で、本番の引越しが始まるころには疲れのピークになってしまった。あらかじめ荷物は大幅に破棄したにもかかわらず、ダンボールは75個。とりあえずそのまま運んで引越し後に整理する予定の物もけっこうあった。
引越し自体は、残りの荷物のダンボールへの詰め込み、ダンボールから取り出して棚などへの収納を業者に依頼したので、細かな作業だけで大きな苦労はなかった。

 

参考:身の周りの整理 (1)考え方(2)本、書類、アルバム、(3)その他、 子どもは3歳までに親孝行を終える(アルバムの整理)

 

一年後、女房の実家近くに引越したが、同程度に狭いマンションだったので、引越しは簡単だった。引越し日の朝8時に引越屋さんの箱詰め部隊5名が我家に来て、どんどん箱を車に詰め込み、11時前には積み込み終了。途中、奥様は余裕をこいて病院へ出かけるしまつ。1時過ぎには完了した。
一年前に75個あったダンボールが今回は45個。引越し終了の翌日にはほぼ空になり、ともかくどこかに押し込んだ。当分、「あれはどこ?」「前はあそこにあったんだが」などが続いたが、部屋を使いやすい状態にするのは、急がずのんびり進めた。

 

やはり断捨離は元気なうちに実施し、年とったら物欲と思い出の品は抑制し、シンプルな生活を心がけるべきだと思う。

 

次の9回目の引越し先は多分6畳程の老人ホームの一室となるだろう。つまり、今回が最後から2回目の引越しだったのだ。

 

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