ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

修験開祖の白髭のじーさん

2010-11-19 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
どっかのじじぃが伸びきっていた。きゅ…ん、と。
河合「お、おい、じーさん、大丈夫か?」と声を掛けても返答なし。しかし、息はあるから生きている。じじぃの額に八角頭巾(ときん)をしている所を見ると…、
義経「ここの山伏か?鳥海山って修験の山なん?」火山で霊力火力は在りそうだが…、
河合「確か…遠い昔、かの有名な役行者(蔵王権現 修験開祖)も弘法大師(真言密教開祖)様も円仁さん(その弟子、立石寺開祖)も登ったらしいぞ」
義経「へぇーへぇー、そうなん?佐伯さんもぉ?どこの山でも登る人だな…」ただの書道家でただならぬ登山家なんだぁ。佐伯さんって。ふぅん。そうぉ。
河合「…このじーさん、ここにほって置くわけにいかねぇな」手当てしないと。
義経「よし。じゃ、負んぶして山小屋までLet’s Goだ!ほれ、河合さん」負んぶ!負んぶ!
河合「俺がぁ?」
義経「俺がするのか?どう見たって子供(義経 148cm)が白髭ご老体背負う形になる。ヤだ!」
俺、弁当持っているし、こっちのちっこい赤鬼を抓んで持ってく。ひょいっと首根っこ掴んで持ち上げた。ぷらんぷらんとちょっと揺すってみたけど、起きない。完全伸びてら…。
河合「…ちぇっ」どうせなら女子を負んぶしたいなぁとブツクサ言いながら、白髭のサンタクロースには程遠い貧相な顔の貧乏神っぽいじじぃをひょいと背負った。
とり憑かれたくない有り難味の全く感じられないじじぃだよ…。ヤダヤダ。
義経「ま、そういうなって。そうそう幸福の女神には出会えないって。そうだ!ほれ」と懐から取り出したのは、瑠璃のバックからこっそりくすねていたお面と佐伯さんお手製の蜂蜜梅飴で軽症の青鬼くんにあげた。(90ページほど前 参照)
河合「それ、瑠璃姫の…」メーテル面じゃねぇ!?
義経「あぁ。あいつ、機嫌と調子が悪くなるとすぐお面被るから没収した」今頃、あたふたしてんじゃね?顔色隠せねぇって、真っ青になった瑠璃の顔が眼に浮かぶ。ひひっ。
河合「…しらねぇぞ、後どうなっても…」気功で飛ばされっぞ。
義経「大丈夫。もう見切った。同じ手、二度はくわん。ほれ、河合さんも」飴をあげた。
青鬼「けけ♪」と飴に喜んで、じじぃのモノと思われる登山ステッキの元祖 木杖をひょいと持ち上げ、義経の後から着いて来た。
ちなみに、この木製ステッキはいつしか金属製になり、金剛杖と呼ばれる様になった。
それより、岩石投げられ地面に叩きつけられ、有らぬ因縁付けられたことすっかり忘れている青鬼くんだった。

鬼退治

2010-11-18 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
義経「それもそうか…ま、いいや。そういう普通じゃない超人的な力を持つ奴がこの山に入っているって事だろ」って、地面に落ちてる岩石?をひょいっと取り上げて、
河合「え!?」
義経、カッと目を見開き、美しい投球フォームで、
義経「てやぁ、鬼はぁ!!!」と意味不明な気合一声と言霊と共に岩石投げ、
カッーツーンと、「ぎゃ!」とおでこに、
河合「当たった…」
ヒュー…と落ちて、ドッサ…と地面に叩き付けられ、重傷かな?赤鬼くん。
赤鬼撃退。で、もう一匹の鬼も、
義経「外ぉー!!!」と岩石投げて、やはり、おでこに命中!
「きゅんッ!」
と赤鬼の上にドテっと落ち、地面に叩きつけられる事を免れ、辛うじて軽症かな?青鬼くん。
青鬼白旗降参した。両手を挙げてる。
義経「しゃ!ちょっと時節が違うが、豆まき完了、鬼退治!」一件落着ってな♪
河合「何が落着だ。豆でやれ、豆で」溶岩岩石じゃ…鬼だって痛いだろ。
義経「だって…じろじろ見られて不愉快だったし…丁度いい豆サイズ岩石がなかったし…」と苦しい言い訳をした。
ちなみに、豆(まめ)とは『魔を滅する』ことが由来の陰陽道だ。神社仏閣で行われる祭事、時節の行事は陰陽道が由来していることが多々ある。というか…元が陰陽道だ。
それから、ちゃんと大きな声で「鬼は外ぉ!」と言おうね。これは陰(隠)を外に出す呪文だ。
呪文…息(イキ)は神霊であり、魂が宿る。言霊(言葉)に魂が宿る由縁だよ♪
河合「しっかし、可哀相に…」伸びちゃってる鬼に、怖がっている鬼で「なんもいちゃもんと因縁とご縁付けられる筋合いはないだろうに…なぁ」と鬼の傍に駆け寄り手当てしていた。
義経「なんでここにいるのかっと思って…」
河合「素朴な疑問を岩石で投げ掛けんな…直接聞けよ」青鬼くんなら、軽症で話せるぞ。
義経「なぁ、なんで俺らを見てた?上空から俺らの位置を確認してたな?」
青鬼「きゅん。きゃきゃっ、けけ!」と向こうの茂みを指差した。
義経「言葉が通じん。意味分からん。なんて??」と河合を見たが、
河合「俺が分かるかよ」と鬼の指差す方を見たら、
義経「あっ!

息吹は魂

2010-11-17 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
鳥海山上空で、奇妙な鬼さんが旋回中。
鬼の数え方が一匹 二匹でいいのか分からないが、一角鬼が赤青二匹いた。
河合「な、なんだ、あれ?」妖怪か?初めて見たぞ。
義経「…式神(しきがみ)…?」
河合「敷き紙?」
義経「…漢字が違う。が、似たようなもんか…」紙で作るし…。
大祓いの6月、ある神社で人形(ひとがた)を象った紙にフッと息を吹き掛け、その人の神霊(魂)が入れて御祓いするって聞いたことないか?
紙に人の役(厄)を移して依り代…ま、身代わりってやつを作るって役流し厄払いだ。
ほら、平安時代「流し雛」って風習があったろ。
3月3日雛祭りに雛人形に息を吹き掛け川に流す。人形に役を降ろし身代わりを作って子供の厄災を流し、子の成長を願うって無病息災の祈祷で役は厄の意味に変化したが雛人形(依り代)の起源だ。
この時代、薬なんて高価なものは普及しておらず、予防接種ワクチンなどある時代ではなく、子供の病を治す術は両親の祈り、神仏への祈祷くらいだった。免疫力のない子は大人になる前に亡くなることが多く、我が子がただ健康で長く生きていられるだけでも…とただ、ただ切に願って作られた親が子を思う風習なんだ。
河合「江戸でいう飾り雛だな」流すちゃもったねぇから豪華絢爛な雛人形にして飾ってる。
義経「そう。流す飾るで風習は変ったが意味は同じ」
式神の式は『降ろす』という意味がある。
例えば、神事を舞う神楽巫女は直接“自分の体”を依り代にして神を降ろし、神意を伝える。そん時、表情人相が変化して、声が超音波みたいに変に聞こえるのは憑依しているからだろ。
簡単に言えば…神さんに憑依されてるんだ。あぁあ、乗り移られちゃったって思ってよ。
義経「ま、それは冗談だが、ただ…」
河合「ただ…?」
義経「噂じゃ…人形は吹き掛ける息によって、善にも悪にも成り得る。息吹は魂…」
式神は息を吹きかけた主 マスター(主人)に忠実で、全身全霊でマスターを守護するらしい。
善なる心で息を吹きかければ善鬼(ぜんき)となり、邪な心で息を吹きかければ邪鬼(ごき)となる。普通は善鬼(ぜんき)と邪鬼(ごき)のどちらかを手玉に取るっていう…が、
河合「いや、待てよ。普通の人は鬼を手玉に取らねって」普通じゃない人がいるんだろ?

親と子の間

2010-11-16 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
義経「人を見るの…得意だろ?頼むよ」と人様にモノを頼む態度と目上の方に対する姿勢がなっちゃいねぇのは百も承知で、お願いした。「な♪」って。
松尾「…まぁ、いいけど」義経に頼まれちゃ…断れねぇ。後がこえぇ。
義経「よし、海尊。本番じゃキレイな花でも詰めて賀茂女に見せてやれよ。ほれ、洗濯ばさみ。じゃ!松尾さん、海尊をよろしく!」と河合と連れ立って先に山小屋を目指すことになり「行こっ、河合さん!」と促した。
山小屋目指してスタスタ狭い登山道一列で歩いていると、後ろから話し掛けられた。
河合「なぁ。海尊に直接指導してやりゃいいんじゃねぇの?」いい腕じゃねぇ?と素朴な疑問を投げ掛けられた。
義経「…ん」腕がいいだけでいい指導者になれると思ってるのか?と首を傾げたが、何も答えずいると言葉のキャッチボールの出来ない痛い子か?と思われそうだったから、上手い回答か分からないが投げ掛けられた疑問を本音で返した「身内に教えるって…面倒くせぇっ。なんつーか、その…余計な感情が入って、な」
河合「ふぅん。俺には先生(松尾)しかいねぇ…教えたことねぇし。そんなもんか?」
義経「まぁ…イラッと来て、口と手が出やすくなる。静観 楽観 客観的に見れねぇんだよ」とちょっと顔を曇らせた。
河合「義隆も?」
義経「教えてないよ、海尊に任せてる。けど…」(あ!そういえば…約束、忘れてた)
河合「けど?」
義経「あ、いや、あいつ…それが気に入れねぇみたいで…」ぽりぽりと頭を掻いて「ちょい複雑で込み入った深いふぁかーい息子との事情があって、あいつの心に大きな溝と俺が八艘飛びで飛び越えるにゃ難しいでっかい壁があってね…」と河合さんに愚痴をこぼした。
河合「ふぅーん」さすがの義経も息子の心に侵入するのは難しいってか?周りを囲む深い掘りと強固な城壁で…まるで難攻不落の白鷺城(姫路城)を父に対して心に作ったかと思った。「俺、結婚してねぇし子供いねぇし、弟子すらいねぇ。そこらへん分からんが…」
義経「色々あるんよ」傍から見て幸せそうな家庭だが、複雑な問題が度々浮上するんだ。
河合「4歳だっけ?年頃だしな…」第一次反抗期か?
義経「二次反抗 停戦期だ。もう5歳か…年々、顕著に現れて来た…」ふぅ…とお空を眺めた。
ら!?
義経「あれ!ちょっと河合さん!上」とお空を指差した。

感覚(センス)

2010-11-15 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
海尊「分かっかよ…」って即答した。
義経「そうか…」俺にはネーミングセンスってモノがないのかも知れん…。
河合「って、俺さ。ここにいなくてもよくね?」と素朴な疑問を義経に直接投げ掛けた。
義経「…ま、いいにか。なら!松尾さん。海尊を見てやってくれ」と頼んだ。
松尾「お、俺?その“なら”って言う意味が分からん。自分で教えろよ」
義経「誰が教えてくれって言ったよ。見てやってくれって頼んでんの!多くのお弟子さん見てんだろ?人を見るセンス、抜群じゃん。松尾さん♪」それに武術ってセンス(感覚)は教えて出来るもんじゃない。感覚を心に理解させ覚えさせるもんだろ。
剣術兵法教本にも秘術奥義の伝承伝達は“道場にて!”とか“稽古で”って書いてある。つまり、感覚的なものを言語化、または、書籍文章化して“教える”には限界がある。
例えば、長嶋監督がバッティングの教本作ったとしよう。ボールを見て、パッとスバッとグッと来たらバーンと持ってくんだって…感覚を擬態語並べて説明した教本発売したって売れん。どうしてか?それは、感覚的なことを擬態語で説明されても、他人の感覚には伝わんからだ。しかし、その“バーン”とした手応えあり的感覚は分かる人には理解できる感覚らしい。それはごく稀だが、そういうセンスを見出すための表現ってのは難しい。一人ひとりの感覚が異なる。個人差があるんだ。個々の手の大きさや力の抜き方、入れ具合や体骨格的なつくりは個々バラバラで、見たもの、感じたものを体感が違う。そういう違いを自分なりに納得した上で研磨し体得していくのが武の道だと思う。そこから、己の感覚が自分の技になり得え、自己流を作る。そういう自己センスと個人エッセンスの枝分かれが独自の流れを作る流派だ。
京八剣流剣術には教本がない。
それは、基礎の型をある程度覚えさせたら、後は自分の感覚を大切にして、腕を磨けって言われているからだ。
義経「鞍馬曰く、脳が“いい!”って判断で出来る、感覚(センス)を呼び覚まってな♪」
その第一歩が“人は鏡”だってことだな。人のフリ見て我がフリ直せ、見て真似て学んで得る感覚が己の技。体得の学の極意だが、センスって元々持ってる感覚で潜在能力だ。それを繰り返しの訓練で伸ばして磨いていくもんで後天的な能力だ。天才って言われる奴は、努力の才能があるだけだ。引き出されたセンスを伸ばす活かすのは己の努力の才能次第ってな。
こうすればどうなるか?あぁしたらこうなったの想像性と創意工夫で身につけ、脳で描いた自己暗示的想像力の産物 理想像に近づくための日々努力が大切なんだ。

まっつあん

2010-11-14 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
肩に力が入っている。それに手首のスナップ利かせんでもいい所でスナップが利いてる。
飛ばさず腕の力と手首スナップで投げてるから、的の手前で落ちて獲物に当たらないんだと注意した。つまり、スプーン&フォークボール変化球だな。
むかーし、昔の手裏剣は掌サイズすっぽりサイズの10cm八角短剣で縦に構えて飛ばすものだった。しゅるしゅるしゅるぅ~クサッと横投げ回転させつつカーブさせて的に当てる今流行(ばやり)の対極星型ではなく、いつも心と一緒で?ストレート勝負するもんだった。
投げると飛ばすでは力作用が違う。力を抜いてリラックスして飛ばせ!
義経「腕力有り余ってっから力で持ってく癖が出ちまう」と松尾にほれほれと手で合図して、
松尾「あん??何(の合図)?」とすっ呆けているから、
義経「鈍っ!懐の手裏剣貸せって意味だ!」俺、普段は手裏剣持ってないんでね。
松尾「あ、はいはい」って、お前さ、傍にいる奴、誰も使うんだな。
義経「使える時に使っておくのが人材で、(役)立ってる奴は親でも使う(主義だ!)」
河合「…(この先、こき使われそうだ…)」と後ずさりしたから、
義経「河合さん!ちょっと」頭の巻いてた白い布を借りて「で、向こう行って!」
河合「えぇ!冗談でしょ?」俺を的に?
義経「俺って悪い冗談が大嫌いで、コソコソされんのはもっと嫌い」俺らを嗅ぎまわった狸にお仕置きだ!へへって♪て、そこらへんの草をごっぞり掻きむしり、借りた白い布にクルンで瑠璃に昨日借りた洗濯ばさみで閉じた。
松尾「…」
河合「えぇ!こわぁよぉぉ」とそこらへんに逃げ惑って「助けてぇ!」と右往左往していた。
義経「なぁ、まっつあん。これ、耳が長い兎に見えるかな?」と笑って、布を松尾に渡した。
松尾「え!?」(まっつあんって…それはマズイ。だって、それは…)と困惑していたから、
義経「見えないかな、兎に?ま、いいや。俺がOKサイン出したら河合さんの頭を通過するように“投げてくれ”」と頼み「いいか、(松尾)投げると(俺)飛ばすの違いを見ろ!」と海尊に言いつけて、松尾にOKサインを出した。くるりくるりん遠心力で回る野兎もどきの丁度首根っこ洗濯ばさみにストレート手裏剣は大当たりで、カッツーーンと洗濯ばさみだけをどっかに飛ばして、ド・バッサァ…ンっと上手い具合に漫画みたいな出来事だが、河合の頭から草を振りかけた。もうどっかその辺の水辺で生息する河童みたいになったから、
義経「あははっ。なぁ、あだ名は河童の河やんだな。いいか?」と海尊を見た。が!?あだ名がそれでいいのか?投げると飛ばすの違いがいいのかってどっちか分かりゃしねぇから、

弁慶 捕り物七つ道具

2010-11-13 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
松尾「海尊じゃねぇか」何やってんだ、あいつ?
義経「シッ!」と二人を諌めて、息を潜めじっとして気配を消して、草むらに身を隠した。
海尊はシュッと手裏剣を投げた。
がーん!?ショックだ、獲物を取り逃がした。
野兎「くくっ」とほくそ笑んで走り去った…。タッタカタ、タッタッターと。
義経「…兎にバカにされたぞ、あいつ。飛び道具、苦手なのに何で?」得意の長柄で捕まえろよと思った。海尊は投剣、弓矢が下手だった。どうしてか?力むからだ。
弁慶・海尊共々、絶対に飛び道具を持たない主義で練習もしないから上達するわけもなく、努力という苦労と忍耐を放棄した奴らで…俺だけ個人的に困っていた。さらに、余談であるが、義経を守る『弁慶の七つ道具』には手裏剣のような飛び道具を入れない。どうしてか?苦手だからだ。ちなみに紹介するが弁慶七つ道具とは、さぁ、江戸時代劇を思い出そう!
「御用だ!御用だ!」と叫びつつ、突っ走っては犯人が逃げて当然だが、そういう江戸警察部隊 御用聞き、または岡っ引きと呼ばれる人たちが持つ長柄の寄道具の一つ、犯人を追い込むI型突棒通称「アイ棒?」と犯人の首根っこを掴むY型さすまた通称「ワイ指す?」で犯人指し示し、捕獲した犯人をぶち込んでおく檻を作るための大工道具のきこりさんが持ってるような鉞(まさかり)で必要最小限の木を薙ぎ倒し、大型鋸(のこぎり)で木を均等に切り、木に穴を開けて釘?なんて使わないが縄を使うがま、いいとして犯人に「これ以上、嗅ぎまわるな!」と釘を刺さしておく?もじ錐という穴を開けるきりと、枯葉を集めるフリして、そこらへんに犯人をかき集め犯捕獲奨励金 懸賞金をごっそり貰う?鐵(てつ)熊手が弁慶七つ道具である。少々無理な説明だったが、分かったかい?分かるかって?
ま、どうでもいい。これは後から出てくる大工七つ道具だ。そんなことより、
海尊「あぁ~あ…」兎にバカにされガックリ肩を落とす海尊。そんな悲しげな後姿に、
義経「おーい、かーいそーんっ!」と見かねて声を掛けた。
海尊「あっ!」見てたの?きゃっ(#・・#)恥ずかしっと顔に紅葉を散らしたが、
義経「可愛くねぇ。それは女がやるから可愛いんだ。何やってんだ?」
海尊「あ、いや…その、賀茂女が餌付け用の肉を捕って来いって、手裏剣、渡されたて…」
義経「さすが師匠、お前の苦手をちゃんと分かってるだな」
いつか苦手は弱点になり、そこを突かれる。早いうちに克服しておけって事だ。
海尊「…ん」としょげていた。志鷹の手前、獲物を仕留めたいし…でも、取り逃がすし…。
義経「そう力むな。いいか?投剣を投げるな、飛ばせ」狙いはOKだった。ただ、ちょっと

陰の存在

2010-11-12 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
その休憩中に鳥海山の説明を入れるが、この山は日本百名山の一つに数えられ、富士山と同じく成層火山であり、複数回繰り返された噴火により円錐状に隆起する山となった。
その美しさは秋田富士、出羽富士とも呼ばれ、その影が日本海に写るさまは「影鳥海」と呼ばれている。鳥海山には固有の花である5弁の白い花チョウカイフスマ(月山にも咲く)、紫色のチョウカイアザミが咲き誇る。その山野草を見て、
義経「可愛い花だなぁ」可愛いからって摘んで持ってっちゃダメだぞ。これは絶滅危惧種だ。
河合「ちぇっ…」薬草に出来るかと思って…伸ばした手を引っ込めた。
松尾は、じー…と砂地でも育つという芯の強そうな女を思わせる大和のナデシコ科(か?)のチョウカイフスマを見て、淡い若緑と強い風に揺れ動く女心を詠んだ。
松尾「…松島は笑うが如く、象潟は怨むが如し 
寂しさに悲しみを加えて、地勢魂を悩ますに似たり」としんみり詠んで、日記に認めた。
さらさらぁ~と。
松尾が見た頃の風景は、八十八潟 九十九島が広がっていて、かの松島を思い起こさせたのだ。
義経「ふぅん…で、それが巴の気持ちなわけ?」悲しき影の象潟(さきかた)って…
松尾「…」
義経「巴って…影武者…」ただ、三姉妹ってのは初耳だ。
松尾「…(下手に詠えないな、自然と人の心を)」バックに気付いた…?
河合「さっ!そろそろ行こうかっ!」と話を強制打切して「山小屋まで急ごう!」と促され、チョウカイフスマの群生を後にした。
鳥海山は、1804年に噴火大地震を起こした。それが「象潟(さきかた)の大地震」である。
この地震&噴火により大地が隆起し、現在のような陸地になったとされる。
この山に祀られる大物忌(おおものい)神さんは穢れを清める神であり、今でも多くの人々の信仰を集め、祀られている。まつりごとは、もちろん、噴火地震が起きないように、と。
地震噴火は神のストレス?と怒りの表れと考えられていた。そのストレスを宥め?怒りを鎮めんがために、噴火地震の度に神級進級?(神の位をUP)昇格させていた?という話もある。
人間も神も同じで、ストレスに弱い。溜め込んだらダメだ。本音を吐こう!
心を落ち着かせるために?神意神位神威をUPさせるために?時には地震と噴火を試してみてはいかがかと思う。ただ、小爆発に限るぞ。ぼっかーんとでっかいのは、手に負えん!
義経「あ、ちょっと待て!」と河合の腕を引っ張った。ムズン、グゥインッと強引に。
河合「ン?」と義経の視線と指の先を追うと、

異端児・風雲児

2010-11-11 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
その三段重豪華弁当を受け取り、
義経「女将さん!こいつが悪さしたら遠慮なく叱っていいよ。面倒掛けます!」と礼をして、
女将「あぁ。(なんて律儀な子だろう♪と騙され)大丈夫よ。行ってらっしゃい♪」とにっこり笑って、右腕に山吹を抱え、左手で義隆の手を取り、見送ってくれた。
クルッと振り返って、義隆に呼び掛けた。
義経「義隆!いいか、子供は風邪の子?元気な子!風邪(ウイルス菌)と仲良くなって免疫付けて強くなれ!子供ってな、(病原菌に)反抗的な方がいいんだ。腕白でもいい、逞しく育ってくれ…俺みたい!」とにゅっと親指突き立てて、洞窟を後にした。ばいばーい、と。
義隆「俺…父上みたいになりたくない…」サバイバル上手な武者修験者とその一味で野山を駆け巡り、野性の勘がどんどん育つ山岳修験の元祖 役小角の信仰者集団だって言われている。
女将「役小角ってあの蔵王権現呼び出した元祖 山岳修験者?あんたのパパって…一体?」
義隆「いたんじ!漢字書けないけど意味は何となく分かる。ちょっといたい子だって…」
ちなみに、弁慶(義経の従兄弟)は延暦寺、海尊(一応、義経の子)は立石寺の風雲児だって。
女将「鎌倉の風雲児なら知っているけど…」倶利伽羅で中国戦法『火牛の計』を使った武将で、この時代中国戦法は斬新過ぎ危険視され、頼朝に目を付けられ、妾の子も殺されたって。
義隆「あ、それ義仲おじさんだよ、会った事ないけど母上がお話してくれた」
女将「おじ?ちょっといいかい?パパの名前って…義経?」
義隆「うん!…でも、本当のパパじゃないよ」俺は義隆って名前だけど、また従兄弟(源 義高)と同じ呼び名にしたって。でもね、俺が生まれて一ヵ月後、義高が死んじゃったって。
(160ページ前ぐらい参照)
女将「…(本当のパパじゃない!?)」
義隆「母上…」と目を細めて、山吹を見たから、
女将「…中に入ろ。一緒にパパが迎えに来るのを待ってよ、ね」ママが恋しいのをじっと堪える義隆を見て、ギュッと小さい手を握った。そして、「…(子供は正直ね、ちょっと真実を聞こうかな…)」と密かに思った。さてさて、義隆の出生秘話は後のお楽しみに…。
義経は松尾らを引き連れ三人仲良く、鳥海山に登っていた。お空は少々雲がかっているが午後には晴れるだろう。登山には最適な気候で軽快なステップとアップテンポで、約2時間で頂上付近に到着した。ちなみに一般巷の元気な人は約3時間で頂上に着くそうだ。
山小屋までもうちょっと(たぶん)という所で一旦水分補給と休憩を取ることにした。
もちろん、鳥海山から見える象潟(さきかた)景色を拝みたかったからである。

人生も料理もいい塩梅?

2010-11-10 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
義経「これ、どうしたんだ!?」ともちろん店内がめちゃくちゃだったから聞いただけ。
女将「あぁ、後から片付けさせるから気にすることないさ…」今日は大掃除でお休みだね…。
義経「そっか。キレイになるといいな…」足の踏み場もないから、そこらへんカウンター席だけでも座れるように物をずらし、椅子を三脚立てて座った。松尾らにも座るように促し、
松尾「ツンツン(なぁ、義経…)」
河合「コソ(これ、やばくねぇ?)」と言われたから、これ?が医学的にやばいのかと思って、
義経「それ何?」と指差して女将に訊ねてみた。“これ”がそれだって分かるように示した。
女将「これ?裏で飼ってる山羊のミルクちゃんの乳よ。山羊乳って人間の母乳成分に近いの」と山吹に与えている山羊ミルクの母乳成分について教えてくれた。
義経「そうなんだ。ありがとう…」ヤギのミルクちゃんの乳だって…と河合に教えた。
河合「いや、そうじゃなくて」聞こえたし…。ただ、伸びた二人の安否を問うたのに…。
松尾「(仕方なく…)この伸びている二人は大丈夫か?」と俺らの疑問を自分で女将に訊ねた。
知りたいことは自分で聞いたほうが手っ取り早く、すんなり納得できる。それより、義経とは論点疑問点視点が大幅にズレてる事が分かった。“?”マークが付く場所が違うんだ…と。
女将「あぁ、(ちょうど)いい感じいい具合の塩加減いい塩梅に仕上げてやったのさ」くくっ。
人生も料理と同じでいい塩梅が決め手だよ♪と塩を一つまみ、ぱらぱら~と振っていた。
松尾「な、何をしたんだ?」と二人を指差し「こいつらの人生に塩味利かせた?」
女将「ちょっとだけね。うちの子にちょっかい出したから、(懲ら)しめたのさ」きゅっとね。
義経「…うちの子…って、ハッ!?いっけねぇッ、上の奴ら忘れてた!」と後頭部を叩いた。
女将「あんた、まだ、たかの子がいるのかい?頑張ったねぇ。何なら下の子ら見てるから、たかの子、見ておいでよ」と言われたから、お言葉に甘えて下の奴らを、
義経「じゃ、お願いします!あ!厨房借りて弁当作らないと!」ポロッとペロッと言ったら、
女将「まかないでいいかい?」と訊ねた割には義経の答えを待たず、サッと義隆に山吹を渡して乳を飲ませるの交代し、エプロンをササッ装着しササッサーと手際よくブランチ弁当を作ってくれた。己の疑問を即行動で解決するタイプだな。
しかも、義経らの朝食まですばやく手早く素早く神業早業で超人的な美味さだった。神の味を再現できるのは神以外のやつなんだと素直に思った。神さんって料理、しなさそうだしな。だって、人間の美味いもん=お供え(人間の御心)で心と腹満たしてんじゃん。
義経「ありがてぇな。あったけぇ、このおみをつけ…お袋の味だな」と三人仲良く食べた。
もちろん伸びてる弁慶・富樫のことを一時間忘れ、お重弁当をしっかと食ってもらった。