ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

異端児・風雲児

2010-11-11 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
その三段重豪華弁当を受け取り、
義経「女将さん!こいつが悪さしたら遠慮なく叱っていいよ。面倒掛けます!」と礼をして、
女将「あぁ。(なんて律儀な子だろう♪と騙され)大丈夫よ。行ってらっしゃい♪」とにっこり笑って、右腕に山吹を抱え、左手で義隆の手を取り、見送ってくれた。
クルッと振り返って、義隆に呼び掛けた。
義経「義隆!いいか、子供は風邪の子?元気な子!風邪(ウイルス菌)と仲良くなって免疫付けて強くなれ!子供ってな、(病原菌に)反抗的な方がいいんだ。腕白でもいい、逞しく育ってくれ…俺みたい!」とにゅっと親指突き立てて、洞窟を後にした。ばいばーい、と。
義隆「俺…父上みたいになりたくない…」サバイバル上手な武者修験者とその一味で野山を駆け巡り、野性の勘がどんどん育つ山岳修験の元祖 役小角の信仰者集団だって言われている。
女将「役小角ってあの蔵王権現呼び出した元祖 山岳修験者?あんたのパパって…一体?」
義隆「いたんじ!漢字書けないけど意味は何となく分かる。ちょっといたい子だって…」
ちなみに、弁慶(義経の従兄弟)は延暦寺、海尊(一応、義経の子)は立石寺の風雲児だって。
女将「鎌倉の風雲児なら知っているけど…」倶利伽羅で中国戦法『火牛の計』を使った武将で、この時代中国戦法は斬新過ぎ危険視され、頼朝に目を付けられ、妾の子も殺されたって。
義隆「あ、それ義仲おじさんだよ、会った事ないけど母上がお話してくれた」
女将「おじ?ちょっといいかい?パパの名前って…義経?」
義隆「うん!…でも、本当のパパじゃないよ」俺は義隆って名前だけど、また従兄弟(源 義高)と同じ呼び名にしたって。でもね、俺が生まれて一ヵ月後、義高が死んじゃったって。
(160ページ前ぐらい参照)
女将「…(本当のパパじゃない!?)」
義隆「母上…」と目を細めて、山吹を見たから、
女将「…中に入ろ。一緒にパパが迎えに来るのを待ってよ、ね」ママが恋しいのをじっと堪える義隆を見て、ギュッと小さい手を握った。そして、「…(子供は正直ね、ちょっと真実を聞こうかな…)」と密かに思った。さてさて、義隆の出生秘話は後のお楽しみに…。
義経は松尾らを引き連れ三人仲良く、鳥海山に登っていた。お空は少々雲がかっているが午後には晴れるだろう。登山には最適な気候で軽快なステップとアップテンポで、約2時間で頂上付近に到着した。ちなみに一般巷の元気な人は約3時間で頂上に着くそうだ。
山小屋までもうちょっと(たぶん)という所で一旦水分補給と休憩を取ることにした。
もちろん、鳥海山から見える象潟(さきかた)景色を拝みたかったからである。