フラワー&トール展で
義母が亡くなって10ヵ月、ようやく車で20分足らずの近くの霊園に義母の納骨をした。
これで義母も落ち着いただろう。
お墓の敷地枠も大小あり、うちのはひしめきあった中クラスだが、でかいお墓に草ぼうぼうというところもあって、こじんまりと草生える余地もないほうがマシである。
10月に松江のお墓を処分して、収まっていた骨壺を2個(義父の母と次男)持ち帰り、11月初めにこちらのお墓に納骨の予定だったのに、松江のお墓を解体の時、また、下からお骨が出てきたということで、再度夫が松江まで出向いて火葬してもらって、全て合わせて今日の納骨になった。
誰が誰やら、文字通り先祖代々です。(笑)
お墓って一種のモニュメントみたいに思って気ぃよくお参りしていたけれど、松江のお墓の下からお骨を取り出すときに思った。
嫁いでのち、いくら同じ名前を継いでいるとはいえ、もし仲の悪かった間柄なら、こんな狭くて暗いところに一緒に入りたくはないわなぁ。
だいいち、せいぜい知っているのは親世代くらいまでで、あとは縁もゆかりもない過去の他人である。
死んでも姑といっしょのお墓に入りたくはない、憎い夫とは別の墓にしたい、という気持ちもわかろうもんだ。
散骨やら樹木葬や、お墓不要が流行るわけ。
せめて、外国みたいに個人個人のお墓ならいいのに、場所がなければ小さな銘板でもいい。
だけど、長生きするともう知り合いも友だちも居なくなり、有名人でない限りは、だれもお参りに来なくなったら、土に埋もれるだけで、それならば、子孫にとってはやっぱり、場所も名前もわかりよい先祖代々のお墓でいいかとか…
ま、どっちにしろ、死んだら魂(あるとすれば)はお骨にはあらず、どっか行っちゃうんなら、お墓なんて別にどこでもなんでも好きなように、残った者が考えたらええことです。