日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

水の歌

2011年06月10日 | 日記
 衣替えの季節、梅雨になり、しばらくぶりの晴れ間に森を歩くと、緑が濃くなったのに驚きました。そのときに詠んだ歌です。

雨の間に 森は緑を 装ひて 流れも見えぬ 絶え絶えの音
(降り続いた雨が止み、いつの間にか濃い緑に覆われた森の中で、どことも見えない低いところから、水の流れる音が途切れ途切れに聞こえてくる)

このような、流れの見えぬ水の音を詠んだ歌は、玉葉集にもいくつか佳作があり、玉葉集の特徴を表わしています。夏の歌から、三つ見てみましょう。どれも、暑い一日が暮れた、夕暮れから夜ふけの情景で、暗い空間に響いてくる水の音を響かせています。

松風も すずしき程に 吹きかへて 小夜ふけにけり 谷川の音(法印覚守)

風の音に すずしき声を あはすなり 夕山かげの 谷の下水(従三位為子)

小夜ふけて 岩もる水の 音きけば 涼しくなりぬ うたたねの床(式子内親王、)

 闇の中を聞こえてくる水の音は、瑞々しさに満ちています。夜の闇も、昼間の乾燥した空間と違って、水のような密度を持っているように感じられます。夢の空間も、そのような濃い水に湿っています。目覚めてから思い出す夢が、干からびて感じられるのは、夢が内的空間の水分で湿っているからではないでしょうか。つぎの歌は、そのような気持ちを、最近ようやく言葉にできたものです。

さめ際の 夢に潤ふ 花も風も 目覚めも果てに 色薄れつつ
(覚め際の夢では、花も風もすべてが瑞々しく潤っていたのが、まだすっかり目覚めきっていないのに、色を失って干からびていき、潤いを取り戻そうとして追いかけても、捉えられない)

 二句目の「夢に潤ふ」は、これまで感じていた夢空間の水々しさが、腑に落ちるような表現を取っています。何気なく出てきた言葉は、長年の推敲(無意識の、あるいはバックグラウンドの)が、表面化したものなのでしょう。

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