故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

思い切り

2016-11-25 05:50:04 | プロジェクトエンジニアー

中々の男前ぶりです。
平成の文太とでも言いましょうか、渋くて決まっています。
これからもきっと良い仕事をしてくれるでしょう。
三日前に描いた人と同一人物です。
ふとした仕草にその人らしさが現れます。
これからも、この表情をとらえていきたい。


今日のタイトルは「思い切り」です。
「思い切り」とは、思い切ること。あきらめ。断念。(広辞苑より)
想像よりは、ネガティブな印象です。

ぐずぐずと寝床から出られない。
まだまだ、まどろんでいたい。
この状態が続くのが良いとも、思い切りよく起き上がりたいとの葛藤が続きます。

転職の時がそうでした。
自分が求めている方向へ進みたい。
しかし、今の生活もまんざらではない。
案外でした。心配ご無用でした。
転職後のことです。
求められているから、必要だから採用してくれたのです。
入ったその日から、多忙を極めました。
新たな人付き合い、周りの状況確認、詰込みのような勉強といろんなことが同時進行でした。
このエネルギーがどこから出てくるのか。

これしかない。
あきらめのような「思い切り」でした。

起きれば、寒いので身体を動かします。
暖が取れるよう、知恵を働かせます。
動くことで、お腹が空いて来て、何か食べたいとなります。
誰も用意はしてくれません。では、自分で作るしかない。
ここまでたどり着けます。

「思い切り」があったからでしょう。

ぬるま湯のような彼女との関係。
別れるに別れられない。
そうかと言って、昔のように好きではない。
どちらに、「思い切り」をするのかは、人それぞれ。

この人しかいない。
と思うことで、優しくなれるかもしれない。
改めて良いところを発見するかもしれない。

どの例も、現状維持がしたいという淡い気持ちです。
そんなことは、ありはしない。
毎日変化(成長)しているし、気持ちもすれ違います。
快適になれるよう、毎日の工夫と努力しかないようです。

子供が、両親を鍛えてくれます。
段々重くなり、知恵がついてくる子供は手ごわい。
両親も成長する。せざるを得ない。待ったなしの毎日です。

いろんなことを「思い切り」よく捨てて(断念)きました。
まだまだ捨てきれない。
整理をつけておけばよいのですが、なかなかままならない。

一年も使わないものは捨てる。
一年間、人に会わなくても、これは無形の気持ちゆえ大事にする。

茶を勧め 飲んでほっとし ありがとう

2016年11月25日


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いただきます

2016-11-24 04:14:12 | よもやま話

風に吹かれて自由にのびたベランダの玉ねぎです。
たまねぎのダンスと題をつけました。
露地植えの時は、霜柱で浮いてくるので押さえるようにと、
先輩からアドバイスをいただきました。


昨日は、「新そばまつり」でした。
新そばが収穫されました。
そば粉は緑色がかったいかにも美味しそうな色でした。
風味も高い。
腹がいっぱいでも、揺すったらどこかに入るんじゃないかと、
お腹いっぱいになっても食べられました。
これこそ、新そばです。
新しいコメが美味しいのと同じです。

私が担当したのは、洗い場でした。
寒風吹きすさぶ野外での水仕事でした。
一緒にやっていた辛抱強い女の方が、「会社でもこんなことはないでしょう?」
私は、「あるとしたら、間違いなくブラック企業です」と、腰を痛めないように懸命に洗いました。
朝11時開始の、120の蕎麦ご膳が、お替わり付きで、昼の部に繋がります。
膳の上には、器が5つ。食べる方にはいかにも楽しいお膳です。
楽しませていただきました。

私達は、「いただきます」(今日のタイトル)と命を食します。
おかげで生きていけます。
「いただきます」までの長い時間があります。
「ごちそうさま」までのなんと短い時間であることか。
感謝はお腹にたまり、明日の活力になります。

この地に来て、「いただきます」までの長い時間を知りました。
畑で作物を作る、鳥を撃ち肉にするまでの苦労を考えると、
「いただきます」と頭(こうべ)を垂れるのが当たり前と思うようになりました。
さらに、誰が面倒くさい料理をしてくれますか。誰が、食べた後の皿洗いをしてくれますか。
全部、自分以外の人です。

小さい頃、葬式でいただくご飯がまずいと感じました。
どうして、水加減を間違えたのか。
母は、大勢の賄い飯を作ったことがなかったのでしょう。
気が動転して、いつものようにできなかったのでしょう。
亡きじいちゃんの弔いは、大勢の人の参列で終わりました。
人が集まるどんな時でも、食事はつきものです。
その食事をいただけることが、葬式で集まった人達のこころを慰めます。

私は、「いただきます」と女の方に会わせて頂きました。
ここまで来るのに、どんなに一生懸命であったか、両親に感謝です。

これからは、より一層「いただきます」が重いことになるでしょう。
朝を無事に迎えられる。毎日が感謝です。

おはち下げ 仏に感謝 生きつなぐ

2016年11月24日
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お父さんは面白い

2016-11-23 05:18:53 | よもやま話

「若めかな」とタイトルをつけた自画像です。


お父さんは、今なにしているの。
女のけつを追っかけてると言うこともできず、真面目に答えることにした。
少し、待っていた感もあった、にわかプレゼンテーションが始まった。

娘もどれどれと加わった。
あれやこれやと活動報告をした。
娘が、憐れんで泣きそうな顔をしている。
こんなにやって大丈夫?
身体が心配だとのこと。

ほう。心配をされてる。

二人が食いついてきたのは、B級品を利用した特産品づくりの件(くだり)であった。
摘果桃で特産品にチャレンジした話に興味を示した。
息子は、お土産の福島産りんごで、何とかタルトを作ってくれた。
売れ残った果樹類をこうすると美味しく食べられるよ。

へえ。
食べてみた。美味い。

娘が、トマトの中にチーズを入れて、肉巻きの名も知らぬ料理を作ってくれた。
重たい料理に見えたが、トマトの酸味がすべての「重たく見える」を爽やかにしていた。
美味い。

土産に持ち帰り、妻と二人で試食した。
なるほど、こうすればと二人で納得顔でした。

できたたくさんのB級品を息子に送ることにした。
息子が試作して、返してくれるとのこと。


私たちが作った試作品の一部です。
子どもたちが作るものは、発想が違うような気がします。


それぞれの年代の美味しいものは、違います。
私が知らないだけかもしれません。
チュニジアの方にお願いすれば、また違うものになるでしょう。

ふーん。これだ。
息子がチャンスをくれました。

私は、六次産業化に替わるものを考えています。
私が求めるものは、「つながり」です。

息子は、B級品の試作に燃えていました。
筍をお菓子にできないか?と父の質問。
うーん。と考える息子。
きのこはどうだ?
うーん。うーん。と唸るばかりの息子。

とにかく送ってよ。と答える息子。

今日のタイトルは、「お父さんは面白い」でした。

蔭椿 あんこ(姉っ子)の夢が ひそと燃ゆ

2016年11月23日 

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平常心

2016-11-22 18:41:37 | よもやま話

この方の写真は選挙ポスターみたいによく映っています。
それでは面白くないと、笑っている写真を選びました。
そうすると、眼が無くなってしまいました。
この絵が、この方の良さが出ているように思い、載せることにしました。


今朝は、びっくりしました。
長い地震でした。
福島原発で使用済み燃料の冷却プールへの送水が、止まったと報道されました。
被害のことより、何事だと地域の方は怒っておられました。
津浪の被害は今のところないようでした。
これから一週間は、余震に注意しなければなりません。

今日のタイトルは、「平常心」です。
普段通りに平静である心。(広辞苑より)
今日のような地震があると、平常心を保つなんておよそできないだろうと考えます。

私は、きっと平常心は保てないだろうなとあきらめることにしています。
どうせ、自分を見失うに違いないと思っています。
平常心を保つプレッシャーが重荷です。

疲れた時は、休む。
耐える精神力を養うために。
心に負担があると、余裕がなくなり少しのことでも心はカサカサします。
負担を無くすことは出来ないけど、笑える勇気があれば少しは楽しめるかもしれない。
どうやって、窮地を切り抜けるかな。と、自分に問いかけられるかもしれない。

リカバーするには、時間が足りない。
出来るところまでやったら、後の人に任せます。

私の平常心は、自分を知ることです。
出来ないものはできない。と言える力を残しておきたい。

ミノムシが 風に吹かれて 糸を出す

2016年11月22日
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心の羅針盤(Part3)

2016-11-21 09:21:34 | プロジェクトエンジニアー

「心の羅針盤」を持ちたいとPart1で書きました。
「心の羅針盤」を狂わせるものは何とPart2で書きました。

今日のテーマは、「心の羅針盤(Part3)」です。
羅針盤が差している方向を見誤ることがあります。
羅針盤を見ようとしない時があります。

私は、何がしたかったのか。
私は、何をしにここに来たのか。

遠い記憶は鮮明に思い出すけど、昨日の食事メニューはもう忘れた。
ではありません。

プロジェクトを始める時、最初にやることは「基本方針(コンセプト)」を決めることです。
「安くて、機能的で短納期」というように具体的ではありません。
「心が通い合うような研究施設」とか、「もう一度停めたい駐車場」とか、
よく解らないけど、なんとなくわかるんじゃない。
つまり、抽象的。
だけど、皆が思いを込められるようなキャッチフレーズです。
皆の想いはそれぞれだけど、一つにまとまると楽しいじゃないか。

心の羅針盤が差す方向は、ピンポイントではない方が良い。
漠然とこちらの方向を指している。
羅針盤は、遠くを指している方が良い。
近くだと、ジグザグになりぶれてしまう。

なんか違うんじゃいと感じることがあります。
これです。求めていることと違う。
大筋、この方向。差しているフォーカスから外れたなと感じます。

羅針盤を無視するくらいなら持たぬ方が良い。
うそをつくくらいなら、黙っている方が良い。
心の呵責が重荷にならぬよう、羅針盤の土台を元に戻し、もう一度磨きましょう。

多くの人が忘れてしまう。
自分は何がしたかったのか。
心の奥底と話しましょう。
そうだったの。違うでしょう。

それは辛いことだけど、
「心の羅針盤」のおかげで、早く歩もうとした道に戻れるかもしれない。

疲れたとか、うまくいかないとか、いつもあること。
できることから始めれば、心の羅針盤にかかっているもやもやが段々と晴れてきます。
そうしようと決めたら、うじうじしないでまたやってみることです。

たんぽぽの 決めたんだからと じゃりに咲く

2016年11月21日

2015年5月2日投稿記事「心の羅針盤」を参照ください。
2016年10月22日投稿記事「心の羅針盤(Part2)」を参照ください。

<投稿後の感想>
私は、エアーポケットのような時間を感じることがあります。
何にもしたくない。できないような気がします。
どうしてこんなことに。と疑心暗鬼になります。
すべて、自分の至らなさです。
心の整理がつけばと、ブログを書くことがあります。
今日も、そんな一日でした。
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