「母ちゃん、とおちゃん遅いね」という題名の絵です。
狛犬も人の世界も、一旦出かけた父ちゃんはあちこちのしがらみに
いつも帰りが遅くなってしまいます。
寒くなってきました。
「おりゃっ」てなもんじゃ起き上がれなくなりました。
「これっくらいか」と気合を一段バージョンアップしないと寝床からはい出せなくなりました。
さらに寒くなるそうです。
「こんなもんじゃない」と脅かされています。
経験したことがないので、恐怖はつのるばかりです。
4月に越してきた時は、とても寒いところだと感じました。
畑を耕している軍手の手がかじかみました。
東京から東北へいきなり来たのですから無理もありません。
これからは、徐々に寒くなります。身体も慣れ準備もできます。
今日のテーマは、「違いが判る」です。
私の好きな言葉です。
工場を診てくれと頼まれ入ります。
「おおっ、宝の山じゃない」と不具合が向こうから目に飛び込んできます。
それを次から次に頭にメモリーします。
見学が終わって、一時間もするとレポートが出来上がります。
私は、その直筆レポートを渡します。コピーはとりません。
工場の秘密とKnow-howが外部流出するのを、見せる側は怖れているからです。
なぜ、不具合が飛び込んでくるか。
「私ならこうする」と自分の中にモノサシがあります。
モノサシに合わないものが、不具合となって情報端末に記憶されるだけなのです。
「こうなっているべきだ」と確認します。
ははあ手を抜いたな。考え不足だなとなります。
洋の東西を問わず、違いが判る人に会います。
私は、言葉を発します。
こう答えるだろうなと、あらかじめ推測します。
答えが、私の推測を超え、新たな発見をする瞬間があります。
これが、心に刺さります。記憶端末にメモリーされて行きます。
それは、一つに留まらず次から次に宝の山の言葉となって記憶されて行きます。
違いが判るのは、お互い様です。
相手の外国人の方にも私の言葉が記憶となって残ります。
次に会ったときには、旧知の仲となっています。
これは、いつも瞬時に起こります。
ここで先輩が来られました。朝の6時です。
この地域にある文化財「狛犬」のことを何とかみんなに報せたいと願っておられます。
本「神の鑿(のみ)」とビデオ「狛犬の棲む里」を英訳にしたいと考えています。
インバウンドは文化からです。
遠い昔、高遠藩から移り住んだ石工、小松寅吉から受け継いだ狛犬(一刀彫)の文化を
国際的に報せたいと考えています。
最初に載せた絵が狛犬です。
狛犬の 槌音響く 柿暖簾
2016年11月6日