故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

言葉のちから

2015-03-16 03:26:29 | よもやま話

私は、50年振りに想いを言葉にできました。

小学生高学年の頃、貧しくてズボンを買ってもらえませんでした。
多忙な母に、繕いをお願いできませんでした。

自分で針と糸を使い、繕いました。
学級会で、自ら縫った話をしました。
当時の恩師から褒められました。
私は、泣いてしまいました。

恩師は、何故泣くのかと聴かれました。
私は答えることができませんでした。

当時は、複雑な気持ちでした。
本当は、母にお願いして縫ってもらいたかったのです。

私達が60歳になり、同窓会が開かれました。
出席してくださった恩師に、当時の複雑な心境を説明できました。
何故、涙が出たのかも説明できました。
やっと肩の荷が降りた気がしました。

言葉は、力を持っています。
人の心を動かすことができます。
だから、言葉を選んで大事に使わなくてはなりません。

同時に、想いを半分も伝えられない言葉です。
半分だとしても、言外の思いをくみ取らなければなりません。

2015年3月16日
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「こんなに」と「これだけ」の違い

2015-03-16 03:04:16 | プロジェクトエンジニアー


腰がいたくなって働けなくなった時に、助けられたことばがあります。

「コップに半分だけ、水が入っています。
まだ、こんなに残っていると考えるか。
もう、これだけしか残っていないと考えるか。」

という言葉でした。
格言はとりようによっては、ただの言葉遊びになってしまいます。
事象は変わりません。
しかし、心の持ちようによって180度違う状況になります。

いじめのことを考えてみます。
今まで仲良くしてくれた人が急に冷たくなり、
仲間外れにされたり意地悪をされ始めます。
何とか病(症)を考えてみます。逃げ場を求めました。
いつしかのめり込んでしまいました。

問題は、これまで通りの暮らしがしたい、
もっと楽しいことがしたい、できると思ったことです。
変化に対応できなかったのです。
助けてもらってばかりいて、転換できる知恵がなかったのです。

最初は、ほんの小さな逃避でした。
私にも、数限りなく同じような経験があります。
でも、潰れなかった。
周りの人たちに助けられたからです。
一からやり直そうと、新たな出発点に立てたからです。

こだわりは誰にもあります。
それを、「お前、馬鹿だな。」と一緒に笑ってくれる人がいます。
これが、大事なことなのです。
早目に、少しの毒を吐き出すことが大事なことなのです。
中に溜め込まないことが大事なのです。

今はできなくても、いつしかできるようになるのです。
だから、失っても嘆くことはないのです。
どんなに失敗しても、生きていればやり直すチャンスはあるのです。
不足を嘆くことはないのです。

これしかない「小さなちから」ですが、それが役にたつのです。
コップに半分残っている水は、これから生きていくために貴重なのです。

2015年3月16日

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