奥多摩にある周遊道路を回って見ました。
開通して間もないのか、あちこちで修復工事がされていました。
頂上付近の道の両脇は、まだ雪が残っていました。
奥多摩も深くなるほど広葉樹林帯が多くなります。
生活するには厳しいだろうなと思われます。
空き家が、ちらほらと認識できました。
私の故郷でも、空き家が目立ちます。
一人で住んでおられたおばあちゃんが亡くなられました。
おばあちゃんの子供の一人が住み始めました。
その方も亡くなられて、孫が時々帰っておられます。
田舎に住んだ経験のない方は、田舎に住むことに躊躇します。
価値観を見出さないと踏み切れません。
子どもの頃、田舎に住んだ私達には抵抗感はありません。
都会の便利な生活に慣れていますが、一方窮屈さも感じています。
都会では、未だに近所づきあいをしておりません。
道であったら、お互いに声をかけたり近況を話したりします。
余ったものは、おすそ分けします。
でも、お互いの事情には入りません。
田舎では、顔を合わせると
「どこへ行くのか。」とあいさつが交わされます。
こういう理由で、どこそこへ行くと答えます。
これは、都会ではありえないことなのです。
空き家に関する法律が昨年改正になりました。
相続して固定資産税を払うか、放棄して縁を切るか。
こんな事を考えなければなりません。
田舎を出た子供達は、独立して都会の周りで生活しています。
帰ることはないのです。都会でさえも田舎になりつつあります。
かつて、華々しくオープンした食品スーパーや郊外レストランが
店をたたんでいます。
多くの家族が住んだ郊外団地も高齢化が進んでいるのです。
一局集中の動きに歯止めをかけなかった。
経済を優先したためになったのです。
自然の成り行きだったのです。
そうでしょうか。
田舎は、口減らしのために多くの人材を放出したのかもしれません。
かつては、その地域でその人口で地方経済は回っていました。
次世代につなぐときに、周りには引き継ぐ人材がいなかったのです。
貧しくても、豊かな環境だったとユーターンする人もいます。
私達は、知恵を絞らなければなりません。
経験者の匠を活かさなければなりません。
元気な地域もあります。誇りを持っておばあちゃんが働いています。
私は、遅ればせながら「故郷再生」のプロジェクトに参加したいのです。
モザンビークに出張されている先輩が書かれていました。
「自分のために仕事をやるのではなく、今まで十分やったからね。
人様のお役に立てることを精一杯やらせていただくことにしようと!」
何もかも日本と違う環境で仕事をされていて、尚そう思われるのです。
2015年3月10日