すっかり涙腺が弱くなりました。
人前でも平気で泣くようになりました。
韓国に、泣き屋さんがいます。
葬式を盛り上げるために、雇われるのでしょうか。
宗教上のことのような気がします。
下村湖人の次郎物語に、葬式に並んでお菓子をもらうことを
生業のようにされている方が出てきました。
余談ですが、下村湖人さんは東大卒だったのですね。
「ツレがうつになりまして」を観ました。
途中居眠りをしていました。見ながらやはり涙が出てきました。
病気は恥ずかしくない。病気になったから、違う自分に出会えるのです。
境雅人さんも、宮崎あおいさんも好演でした。
姉が亡くなった時、かみさんを亡くしたとき、母が亡くなった時、
遠い記憶になった父が亡くなった時、私は泣きませんでした。
泣くほど成長していなかったのだと思います。
一方、人前で泣くことを潔しとしないと思い込んでいたのでしょう。
私達の生活は、泣くことが多いような気がします。
笑うことが、圧倒的に少ないのです。
これはどうしてでしょう。
心の中で、いつも恨んでいませんか。
演歌は泣き節が多いのです。別れる歌が多いのです。
私は泣いています。
りりいの歌が思い出されます。
あのかすれた声がたまらなく郷愁を起こさせました。
声をあげないで、目をあけたまま涙だけが頬を伝い落ちる。
これから何度こんなことがあるでしょう。
私は、堂々と人前で泣けるようになりました。
とろけるように、母の胸に抱かれるように、浄化していくのです。
辛い気持ちを流してくれるのです。
こんな便利なことは他にはありません。
同じように笑いたいと思います。
ワクワクさせてくれます。
笑うことが増えると良いと思います。
泣いている人は、現実と向き合っているんじゃないかと思います。
逃げている人に泣く人なんかいないのです。
感動は 椿の花が 落つるごと
2015年3月30日