自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

2015年,ありがとう,さようなら

2015-12-31 | 随想

本日付け記事の第3話。


わたしにとっての2015年が静かに静かに閉じていきます。ああ,今年もまたなんとか健康でいられて,たのしいひとときを積み上げてきたなあと感謝したい気持ちでいっぱい。こうしてブログに記事を書くだけの対面をあちこちで重ねてきたなあと感慨深く感じています。

そんな中でこころの残ることをいくつか。

まず,なんといっても自然との新鮮な出合いが続いたなあと強く感じています(下写真は今日大晦日撮影)。自宅庭で出合い,隣りの畑で撮ったアサギマダラなんかサイコーでした。それも近接撮影できたのは感激。モンキチョウの生態に迫れたのも大きな収穫。野で交尾,産卵,孵化,……,そんな風景を目の当たりにしました。出合いを切りとって作品に仕上げ,写真展を開いたのもつい昨日のことのよう。例示すれば切りがありません。


出合いが続けば,たのしいものです。たのしければ,好奇心が湧き続きます。

次に,自然をステージにして子どもたちと交流を深めたなあと思うのです。これは地域のおっちゃんの役。

わたしが今抱く最大の関心事は,地域人の目線で子どもと自然をつなぎ,将来にわたって生き続ける力の基礎の基礎を育む点にあります。田舎の公的施設でも,活動内容を工夫しさえすれば,かなりのことができるのを実感した一年でした。自然が材料をたっぷり準備してくれています。


2016年は,「子ども」「自然」をキーワードにしてまた新しいことにチャレンジしようと密かにプランを練っています。いずれ記事にできるように努めていきます。

3つめ。わたしよりずっと年配の方の創作意欲・活動意欲から刺激を受けたこと。複数の大先輩が浮かびますが,どの方も最高の価値を見出そうとして絶え間ない努力を重ねられているご様子を拝見。なかでもK先生と絵画展で立ち話をして,作品解説をしていただたことは思いがけない機会となりました。絵を描くことを通してこころ・表現の美を一体化しようとされている姿はわたしを圧倒しました。観る者を引き込む確かな歩みがそこにありました。謙虚で,情熱的な先生の語りにすっかり心を打たれたのでした。

いつまでも,ずっとずっと追求の虫であることがどんなにたいせつか,改めて感じさせていただきました。お手本の先輩に感謝。

4つめは,それら話題とかかけ離れた悲しい出来事“訃報”との出合い。先輩Yさんの訃報に接したのは秋。ご遺族の話では「かかりつけ医も他病院も,大丈夫だとおっしゃっていた。異常のおおもとがわからないまま,あれよあれよという間に悪化の一途をたどった。組織をアメリカに送って調べてもらったが,病因は不明のまま。今も納得ができないし,こころの整理が付かない」ということでした。無念でしかたがないというのは,こういうことをいうのだなと痛感しました。

Yさんとの出会いは30代で他市の小学校に赴任したときに遡ります。一年生を一緒に担任したときの主任でした。わたしは後にも先にも,これが唯一の一年生担任の経験となりました。そのときにご一緒できた強烈な印象は今なお残り続けています。教え子との交流も続いているぐらいなのです。

Yさんの趣味である能面作りの作品が,玄関にたくさん,きれいに並べられていました。いずれ個展を夢見ておられたとか。Yさんはとことん納得できるまで追求されるタイプでしたから,さすがの腕前だと感じ入りました。そんなことを思いつつ拝見すると,また悲しさ,はかなさがよみがえって来ました。

健康を保つことがどんなにたいへんで,むずかしいか,それを感じた別れでした。

わたしは今はなんとか元気です。好奇心も保ちつつ,刺激を求めてあれこれ考え,行動しています。ブログを通してつながりができ,アクセスをしてくださっている皆さん,この一年,こんなわたしに辛抱強くお付き合いいただきありがとうございました。2015年に感謝。

 


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