古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

ブログを書き渋っています。

2013年12月21日 04時51分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いつもこのブログを訪ねてくださってありがとうございます。
 12月1日ブログの最後の行に、こんな文を書きました。

 「PPKで逝きたい」とのん気に言っても「逝く」のは大仕事のようです。

 いま身近な人がホスピスに入り、終末をむかえようとしています。この年の瀬にどうなるか。
〈そのとき〉はせまっています。すると平凡だった日常が吹っ飛んでしまいます。だれもが終末をむかえるというのに、自分との距離によってまわりの風景までちがってきます。
 ことしの春にはぼくの身近な80歳の先輩が亡くなりました。
 道子さんはやはり身近な先輩を8月におくりました。
 どちらの方もふだんから親しく交流しており、お見舞いにも行きました。
 そしてどちらの方も「矢尽き刀折れた」ように逝かれました。

 母・妙子さんはショート・ステイしていた夜、トイレに行こうとしてベッドから起きあがったとき「転んだ」のはたしかなようです。痛がるのでレントゲンを撮って「骨は大丈夫」と診断してくださいました。帰宅してからシップを貼り、痛がるので介助して食事や着替えを手伝っておりました。
 そして「これからは全面的に介護が必要になるな」と腹をくくっておりました。ところが時間が経過し、打った痛みがうすらぐと、妙子さんは起き上がり、トイレに行き、洗面所で入れ歯と顔を洗い、玄関に新聞をとりに行くようになりました。
 打ったところはどんな具合か尋ねると「打ったりしとらん。なんともありゃせん」ともう完全に記憶から消えています。「打ったことが記憶から消える」と「骨折や痛みも消える」なんてことにはならんでしょうが、それにしても立派。「不死鳥の如く」ふたたび起き上がりました。
 そのうちぽかぽか陽気の日には「花切り鋏の入ったカゴをかかえてふたたび裏山に登るのではないか」とさえ「竹切り孝行息子じいや」は思っています。
 
 ブログを書き渋りながら、さまざまな人生模様を眺めているところです。
コメント
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