古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

ひと仕事おわって「やれやれ」と腰を伸ばしてます。

2013年12月05日 03時26分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 わかりにくいですが、この3畝にはタマネギを4条で植えました。全部で1000本。道子さんの仕事です。我が家で1000個も食べませんが、来訪者にちょっとお渡ししてもよろこばれます。大豆畑トラストで出会った石川さん推奨の『タマネギステーキ』もおいしいです。近くの村で野菜をつくっておられる方は5000本植えるそうです。手作業でやるしかない仕事で、「プロはちがうなー」と感心するばかりです。
                  
 こちらは畑の南の土手です。来年の3月まで土手の草はあまり伸びませんから、足場にのってていねいに刈りました。秋から伸びはじめた曼珠沙華も刈りました。また伸びてくれるでしょう。これでことしの「土手の草刈り」はおしまいです。4月から11月まで8回の草刈りが無事にできて、ホッとひと息ついています。
 そうそう、佐の広池を周回する散歩道の草刈りにまだ手をつけていません。蛇やマムシはとっくに冬眠しているので年内開通をめざして刈ることにします。
 このブログ『古希からの田舎暮らし』は2009年3月に発信しはじめ、この秋で1000回を越えました。何か大きな事業を目標にしたり、何かを達成しよう、とするブログではありません。老人の地味な日常をお伝えしているだけです。それでも1000回書くことがあったのは、古希になってから田舎暮らしをはじめたからです。1本の樹木も路傍の石ころのようなお地蔵さんも、新鮮な気持ちで眺めることができました。裏山や休耕田の畑でツルハシを振り上げたり、草刈り機を振りまわしたりして、全身をつかって自然と大地になじんできたし、それをお伝えすることができました。
 もうひとつ、お伝えしたいことがあります。
 それは「こころ」です。神戸の街に暮らしていたときは退職後毎日散歩しました。毎日のように道を変えて住宅街を歩きました。でも見知らぬ人と出会って声をかけよう、話しかけてみよう、という気になりませんでした。ご近所以外にはあいさつもしませんでした。
 田舎に暮らすようになって、自分の「こころ」が知らぬ間に「外に向かって開いている」ことに気づきました。なぜかわかりません。村で人に会えばあいさつする。村の中の道を車が通れば運転者の顔を見るし、野良仕事をしている人があれば自分から話しかける。無理にするのでなく、自然にそうなってる。そういう状態がいまもつづいています。人間同士だからそれが自然です。風景の自然だけでなく、人間同士の自然が田舎には息づいています。だから「こころ」が「知らぬ間にひらいている」のでしょう。
コメント
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