古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「本日ただいまより私的制裁は禁止する」

2011年10月04日 22時05分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 日本の軍隊では召集されて入隊するとまず初年兵いじめに遭った。ぼくが子どものとき、敗戦後復員してきたおじさんに聞いた話だが、彼も初年兵としていじめられた。わけもなく因縁をつけられ、殴られ、初年兵同士で殴り合いをさせられ、兵舎の柱に蝉のようにとまって(抱きついて)「ミーンミンミン」と鳴き声を延々とやらされた。それがどこの連隊の兵舎でも当たり前になっていた。
 上官に絶対服従という名目で人間の心の尊厳をメチャメチャに破壊することが、新兵教育だった。だからいざ戦闘となると、上官は先頭に立って「突撃!」と号令を掛けることをしなかった。恨みを込めた味方の銃弾が後ろから自分をねらうから。敗戦後、元兵隊が街角で襲われて殺される事件がときにあった。戦時中の上官の仕打ちを恨んだ者の犯行だったといわれる。作家・結城昌治にはそんな作品がある。
 そうした状況下でも「いじめ」を厳禁した上官はいた。根本博中将である。以下ネットから写す。


 大正11年(1922年)12月、根本は陸軍大学校を卒業して旭川の第27連隊第一中隊長として赴任した。根本は着任した日、第一中隊全員の閲兵・分列式を行い、次の第一声を放った。
「私はただいまから君たちの中隊長である。中隊は軍隊の家庭であるから、私は君たちのおやじというわけだ。楽しい円満な家庭は繁栄する。第一中隊も中隊長、隊員が心を合わせ、大きな和をもっていささかも隠し事のない清らかな心で毎日ご奉公するようにしたい。
 ついては私的制裁について厳命する。本日ただいまより私的制裁は禁止する。軍隊生活になれない初年兵は、地方の習慣を兵舎内に持ち込むこともあろう。軍務を怠るつもりはなくとも古年次兵の目には軍務怠慢と映る場合もあるであろう。
 かかる場合、古年次兵は教育に名を借りて初年兵に暴力を振るうことがある。初年兵の恐怖はつもりつもって怨念に変っていく。こうなれば、軍隊教育の目的を逸脱する恐れがある。
 古年次兵は『陛下のご命令によりお前たちを教育する』と称し、打ち、ちょうちゃくするようであるが、陛下は決してそのような暴力を命じてはいない。陛下の御名を借りて暴力などもってのほかである。今後かかる野蛮な行動をとる者あらば断じて放置しない。
 どんな些細なことでも、中隊長は君たちの相談に乗り、中隊員全員と苦楽をともにするつもりだ。数日後には君たちの弟ともいえる初年兵が入隊する。どうか温かい心で迎え、苦楽をともにしてほしい。君たちも初年兵のとき、古年次にいじめられたことがあるだろう。自分がうけた不愉快な出来事を弟たちに味わせてはならぬ。新しい伝統をつくろうじゃないか。初年兵いじめのない、さわやかな中隊をつくり、後世に伝えよう。
 ああ、着任時にまずこのような訓示をした中隊長がいたであろうか。いじめは日本社会の通病であり,現在も新聞等をにぎわす。特にそれは戦前の軍隊において蔓延していたという。
 初年兵いじめの先導者は、下士官候補生あがりの伍長、兵長、上等兵あたりでその実態は想像を絶するものがあった」と小松茂朗氏(根本博中将を高く評価した著書がある)はいう。
 衣服整頓不良、銃の手入れを怠ったなどの理由でリンチ(私的制裁)が行われた。たとえ精魂込めて整頓していても、留守時古年次塀がこれを崩し、銃も一生懸命整備しておいても、わざわざゴミをつけて手入れ不良と因縁をつけてリンチすることがしばしばあったという。
 将校はこうしたいじめを見ても見ぬ振りをしていたから、古年次兵はますます増長する。それはまた自分たちが受けてきたいじめを、上官に絶対服従の中でやり返すことでもあった。
 根本中隊長はこの私的制裁を絶対的に禁止するにあたって諄々(じゅんじゅん)と説諭した。そして「初年兵いじめのない、さわやかな中隊をつくり、後世に伝えよう」と言った。……。


 根本博中将は、昭和20年北支方面軍司令官として、八月十五日の敗戦後、占領してくるソ連軍をわずかな軍勢で戦って食い止め、日本から入植していた4万人の一般人を集めて、後方輸送した司令官です。満州国の関東軍は開拓民を見捨てましたが、根本中将指揮下の北支軍は現地入植者を守り抜きました。しかしこのたび根本中将のことを書いたのは、「私的制裁を真正面から禁じた」からです。もっと広く賞賛されるべきことなのにされなかったのは、後ろめたい元軍人があまりに多過ぎたからでしょう。



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『クララ』です。

2011年10月03日 04時03分07秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
『クララ』と聞くと、クララ・シューマンを思う人は少なくないでしょう。夫ロベルト・シューマンのつくった『トロイメライ』(夢)を弾く美しいピアニスト、クララが見えるような響きがあります。
 さて写真の草ですが、『クララ』といいます。野山に自生するマメ科の雑草です。ネットで調べてみると、「クララ」というのは和名です。クラクラするほど苦い草だから眩草(くらくらぐさ)といい、それで「クララ」になったそうです。全草が有毒で、死に至る猛毒も含まれてます。なーんか夢(トロイメライ)のない話になりました。
 実はこのクララを原料とする有機農薬として『アグリクール』という商品が売られていました。天然素材の有機農薬としてよく売れていたようで、当時わが大豆畑トラストでも購入して散布していました。小さい瓶で1000円ほどする液を何百倍にも薄めて散布するのですが、効き目があるような気がしていました。
 ところがこの『アグリクール』から殺虫剤のアバメクチンが検出され、NHK夕方の番組『クローズアップ現代』でも取り上げられ、発売禁止になりました。有機農薬をうたいながらそんなものを混入させていたとは実にけしからん。2007年頃は、この農薬をつかって園芸をたのしんでいた人が、この報道に腹を立ててあちこちのブログに書いておられます。
 天然自然の素材を使ったムシ防除効果のある農薬なんて信じてはいけない。自分でつくるしかない。そこで道子さんは、アセビを中心とする煎じ薬にニンニクやらトウガラシやらのエキスを混ぜ、散布しています。さいわいアセビは裏の山にいっぱい自生しています。何十年も竹薮だった山ですが、シャシャキ、アラカシ、サカキ、アセビなどは生き残って増えており、アセビの葉を入手できるのです。
 ところで写真のクララはどこに生えているかって? 我が畑の入口の橋のたもとに一株だけ。どこかのホームセンターに売ってあったのを植えました。一年目は一本の茎が30センチ伸びただけでしたが、二年目の今年は三本の茎が60センチを越えて伸びています。ムシ防除に使うつもりはありませんが、どんな草か知りたかったのです。6月には花が咲くそうです。来年は見られるでしょう。
 オオルリシジミは、現在長野県の安曇野あたりと阿蘇のどこか(秘密ですって)だけで見られる蝶で、近い将来に絶滅する危惧種に指定されています。そのオオルリシジミはクララだけを食草とします。つまりクララがないと生きていけない。草刈りのときに気をつけて刈らないようにして増やし、「おーい、ここにあるぞー!」と知らせてあげたいな。
 安曇野といえばついでに、あそこを舞台にしたNHK朝の連ドラ『おひさま』が終わりました。ほっとしました。戦前生まれで戦中戦後を生き抜いた物語を期待して見ていたのに、「見ちゃいられないほどありきたり」なドラマ展開になっていたからです。教室で弁当を盗み食いした女の子とそれを見ていてかばった男の子が結婚することになったり……。ま、批判はやめとこ。でも一つだけ。
 道子さんの知人が姑とどうしてもいっしょにおれないので占ってもらったんですって。そしたら「あなたと姑さんは前世で敵(かたき)同士でした」と出たそうです。占いは、ほんとにそう出たのか、そういっておけば世間では大抵当たると思ってそういうことにしているのか。わかりません。でもあんな仲良しの嫁と姑ってないよなー。ぼくでも思います。
 
 
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イノシシが畑に下りてきませんように。

2011年10月02日 03時52分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 我が家から100メートル上は、ゴルフ場との間に田んぼが広がっています。そこに「イノシシが出るようになった」と散歩していた村の人に聞き、見に行きました。写真のような稲刈り前の田んぼにイノシシが稲を漕いで通った痕があります。100キロを越えるイノシシがもしうちの畑に入って暴れたら、作物はひとたまりもないでしょう。アライグマの檻は仕掛けていますが、そんなものではどうしようもありません。
 大豆はサヤがびっしり付き、ふっくらしてきました。枝豆として食べるならいまです。二本抜いて枝豆としてゆでてみました。粒はちょっと小さ目ですが味はいいです。いまつくっているのは『サチユタカ』で、木は低くサヤがびっしりつく品種です。でも例えば北海道でつくってる『鶴の子』大豆なんかとちがって大豆としては粒が小さい。
 今年も苗立てをして植えなおしたときに、根元をしっかり固めました。また草削りをしながら三度土寄せをしました。だからよく根を張っていて、土はしめっていますが抜くのに一苦労します。去年と同じくらいの作付けですから収穫も同じくらい見込めるでしょう。味噌づくりと煮豆には十分です。あとひと月で刈り取って稲木に架けて干します。
 昔の先輩や仲間数人に集ってもらい、バーベキューをしようという計画が実りました。4日(火)は天気もまずまずだし、たのしい会になりそうです。そんなことがあると「片付ける・整理する・掃除する」パワーで出てきて、この数日家のまわりや裏山の掃除に精を出しています。いずれそのうちやるつもりだった仕事が、見る見る片付いていきます。娘や孫が来るくらいでは出なかったパワーが、久しぶりにわいてきて、もりもり仕事をしている感じです。でも無理せんとこ。あとでこたえるから。
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