日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

狙いは別?東京ガールズコレクション

2009-03-08 11:31:21 | ビジネス
先にエントリした「東京ガールズコレクション」だが、朝日新聞など違った記事を読むとどうやら、「ファッションショー」という名を借りた「企業PR」活動もあったようだ。

朝日新聞の記事を読むと、会場には「花王」や「トヨタ自動車」などの企業ブースも併設されていたようだ。
となれば、ファッションショーではなく「展示即売会+企業PRイベント」と言ったほうが正しいだろう。
いずれも10代~20代前半の、若い女性をターゲットにした商品を展示し、商品の認知度や親しみ度を上げるためにブース出店をしていたと言うのだから。

「花王」などは別にして、「トヨタ自動車」は女性をマーケットターゲットとして積極的な展開を見せている。
その分りやすい例が「PASSO Sette」だろう。
以前エントリさせていただいたのだが、「わたしたち、主婦でママで女です」というキャッチコピーで、30代~40代の女性をターゲットにしている。
しかもそこには「おしゃれで、生活をエンジョイする(経済的余裕のある)主婦(≠ワーキングマザー)」層を描いている。
軽自動車の愛用率が高い地方と言うよりも、ある程度の都市部に住んでいる主婦層という気がする。
そして、この層を対象とした「東京コレクション」という企画もあったはずだ(URLを見て、驚いた!トヨタはこのブログを「口コミサイト」として使っているのだ)。

それが今回は、一世代若い層をターゲットにした「ヴィッツ」を展示していたようだ。
それが良い悪いではない、様々な機会を捕らえ販売促進に結びつけようと言う、企業姿勢と考えれば、当然だろう。
だが、その事に違和感を感じてしまうのは私だけだろうか?

実はここ10年ほど感じていることなのだが、日本の若い女性達のファッションが、どんどん安っぽくなってきているように感じるのだ。
「ユニクロが好調」と言うのとは、関係ない。
実際、「東京ガールズコレクション」に参加しているブランドの服は、決して安くは無い。
「キチンと感」のある服装、上質感のある素材、仕立ての良さと言うファッションスタイルを、見かけなくなってきたと言うコトなのだ。
一時の流行に踊らされた服ばかりを身につけていると、本当のファッションが分らなくなってしまうのでは?と言う、危機感を持っているのだ。
それが、一種の「安っぽさ」に見えてしまうように感じている。
「人は見た目ではない」とは言うが、「見た目が大事」とも言う。

見た目が安っぽい日本人では、世界から一目置かれないのでは?
そんな疑念すら湧いてくる。
そして、そのような場を借りて企業PRをすると言うのは、どうなのだろう?
企業そのものも、安っぽく見られてしまうのではないだろうか?

不振のアパレル業界の救世主?それとも・・・

2009-03-08 10:00:00 | ビジネス
昨日、「東京ガールズ・コレクション」が東京・代々木第一体育館で行われた(紹介記事は産経新聞)。

拙ブログに来てくださる方の多くが、男性諸氏のようなので「東京ガールズ・コレクションって????」と言う方もいらっしゃるかも知れない。
実は日本で行われる多くのファッションショーは、パリやミラノ、ニューヨークなどで行われているファッションショーとは大きく違う点がある。
それは、入場チケットを販売し一般の人たちが見られると言う点だ。
その点で、海外のファッション業界の人たちからは、ショーとしてあまり高い評価を受ける事が無いといわれている。
それでも以前は、デザイナー志望の学生などが自腹で見にきていたのだが、最近では開催期間も短いために、「東京コレクション」自体の人気がなくなり始めているとも言われて久しい。

そして今回の「東京ガールズ・コレクション」だが、ファッションショーと言うよりも「展示即売会」と言うほうが正しい。
なんと言ってもその特徴は、目の前で繰り広げられている洋服を、携帯で即買いできることだ。
1回の買い物で、数万~10万円を使う女の子達は、ザラだと言われている。
もちろん、そのためには事前に登録をする必要があるのだが、今や携帯で買い物をするのが当たり前と言う、若い女性達にとっては難しいことでも何でも無い。
そのため、不振のアパレル業界では救世主扱いとなっているショーでもある。

しかし、ここで考えなくてはならないのは、このような状況で販売された商品がファッションショーの本来の目的である「トレンドを創る」コトと結びつくのか?と言う点だ。
と言うのも、写真を見ていただければ分ると思うのだが、一種の熱狂状態の中で「ポチ」と送信ボタンを押して、洋服を買ってしまっているのだ。
ショーのランウェイを歩くのは、自分とはまったく違うファッションモデル。
自分が同じ服を着ても、同じ様なイメージになるとは限らないのだ。
むしろ「え゛」と言うコトにも考えられる。
それでは、本当のファッション文化が日本に根付くとは考えられないのだ。

1970年代~1980年代、川久保玲さんや山本耀司さん、三宅一生さんなどファッションの本場パリで、そのデザイン性やファッションに込められたメッセージ性、精神性が高く評価された。
残念ながら、その後を追うような日本人デザイナーが登場していないのも事実なのだ。
その事を考えると、果たしてこのようなショーが本当に日本のファッション産業にプラスなのか、やや疑問に感じるのである。

新しい医療の試み

2009-03-08 00:33:35 | アラカルト
讀賣新聞のWEBサイトをチェックしていたら、新しい医療の試みを感じる記事が掲載されていた。
それが、「鎌倉の医師会立産科診療所で初の赤ちゃん」と言う記事だ。

産科医師不足が言われるようになって久しい。
その間に、妊婦さんの脳疾患による救急搬送が断られ、亡くなるという事件が度々と報道された。
その度に、残念と言うだけではない心寂しいモノを感じていた。
それは、経済大国といわれる日本の貧しい医療現場という状況を、まざまざと見せ付けられたような気がしたからかも知れない。

産科医だけではなく、小児科や救急医療に携わる医療現場の劣化は、日本の将来にとって決してプラスではない。
それは分っているのに、現実には希望する医師は少ない。
「激務」と言うのが、その大きな理由だと言われているが、だからと言って医師個人を責めるのはどこか的外れのような気がする。
なぜなら、制度上の問題点も再三指摘されているからだ。
と同時に、行政が運営する病院などでは、高額な報酬を提示してまで、医師の確保する努力をしている、と言うニュースも当たり前のように聞かれるようになった。

反面、産科についてだけなのだが「助産婦」さんの活用と言う動きも出ているようなのだ。
実は、私は助産婦さんに取り上げてもらった赤ん坊だった(と言っても、当然のコトながら記憶は無い)。
昭和30年代の頃は、助産婦さんが赤ん坊を取り上げると言うコトは、珍しいことではなくむしろ、助産婦さんが産後のケアや授乳方法、育児相談などを丁寧に指導していた、と言う話を聞いた事がある。
むしろ病院出産が一般化し始めたのは、ここ30年くらいの間の事のようだ。
とすれば、助産婦さんと産科医、小児科(病院)をネットワークで繋げるという方法もあるのではないだろうか?
それによって、ここの分野の医師の労働環境が改善されれば、医療従事を希望する医師も増えてくるのではないだろうか?

そんな考えの第一歩が、今回の市医師会の施設と言うコトのようだ。
高度な治療や難病に関しては、やはり大学病院などの専門科目の充実した病院が必要だろう。
だが、何が何でも大学病院などの総合病院の専門外来を受診しなくては、病気が治らないわけではない。
ネットワーク化するコトで、それぞれの病院の特性を活かした医療の充実ができれば、それがベストなのではないだろうか?
そんな動きが、医師の中で生まれ始めていると言う気がしている。
もちろん、私達生活者の意識も大きく変わる必要もあるのだが・・・。