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日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

イオンの反省文広告

2009-03-19 22:18:42 | マーケティング
今日、新聞各紙に「イオン反省文」と言う広告が掲載された。
ご覧になられた方も、多いのではないだろうか?
このような広告を、「ネガティブ広告」と呼ぶのだが、人目を引く反面その効果については、様々な反応がある広告だと言える。

20年ほど前、ソニーが「ベータマックスは、無くなってしまうの?」という、ネガティブ広告を新聞に掲載し、話題となった。
広告の内容をよく読むと、「ベータマックスは、無くなりません」という、ベータマックスユーザーに「安心してください」というコトだったのだが、結果はご存知の通りである。
広告そのものは、それなりの効果を生んだのだが・・・。

もう一つ有名な「ネガティブ広告」がある。
それがボルボの「私たちは、環境を破壊しています」という広告だった(紹介記事は読売ADリポートオッホ・「海外企業のブランド・キャンペーン」より)。 
この広告では「騒音や公害、環境破壊」と言う切り口で、「これから少しでも、騒音、公害などの環境破壊を減らす努力をしていきます」というコトを、宣言する内容となっている。
もちろん、この広告によってボルボはネガティブどころか、社会的責任に対する意識の高い企業として、ユーザーだけではなく多くの生活者に印象付けることに成功している。

そして今回の「イオンの反省文」だが、内容を読んでいただければ直ぐわかると思う。
ボルボと同じ手法をとった広告なのだ。
「反省文」としながら、実は「より生活者、社会に対して敏感な企業として商品、生活を手案していきます」という一種の「企業宣言」という内容となっている。

一般的に「ネガティブ広告」は、諸刃の刃のような二面性を持っていると言われている。
それは、ソニーのベータマックスの広告のように、広告虚しく生活者の支持を得ることが出来ず(と言うよりも、この場合映画などのソフトがVHS方式を選んだと言う理由が大きいのだが)終わってしまう場合と、ボルボのように生活者が共感し、支持する場合だ。
その判断がされるのは、今後のイオン次第と言うコトになるのだが、景気後退の中、このような大胆な広告を打った理由の一つには、自信があるからだろう。

改めて「企業は誰のものか?」を考えたい

2009-03-19 08:25:43 | ビジネス
電機・自動車の賃上げ等の集中回答日が、昨日だった。
その内容は、既にニュースで報道されているので、改めて書く必要はないと思う。
「実質的賃下げ」というのが、その結果なのだが、今の経済状況や「派遣切り」に象徴されるような、非正規社員への企業の冷酷な態度を考えれば「雇用が確保されるだけ良し」というコトもあったかも知れない。

その中で、フッと気になったことがある。
それは、「役員はどうなの?」というコトだ。
企業の役員の人数が減ったとか、給与が○%カットと言うコトがあまり聞かれない、と言うコトはないだろうか?
もちろん、そのようなコトを公表する必要はない、と言う意見もあると思う。
思うのだが、これだけ経営環境が悪くなっているコトを考えれば、「経営陣は、どんな血を流して、経営維持に努めているのか?」という点も、重要になってくるはずだ。

1千万円近い年収を得ている役員1人が退任すれば、経費的には単純に2人~3人の雇用が確保されるはずだ。
その程度では焼け石に水だと思うのだが、企業姿勢を見せると言う意味で必要なコトだと考えるのだ。
役員をしているのだから、当然それなりの仕事を果たしていると思うが、役員の職務内容を含め見直しをした上で、雇用や従業員の給与と言うモノが検討されなくては、問題なのではないだろうか?

一時期大企業の不祥事が多発した頃、株主総会などで、壇上の十数人の役員が一斉に頭を下げると言う場面を、テレビのニュースで見た方も多いのではないだろうか?
私などは、意地悪く「そんなに多くの役員がいて、謝罪する以前に問題が把握できなかった事のほうが、企業組織として機能不全なんじゃ・・・。大体、役員が多すぎるから、不祥事が起きやすい環境になっているんじゃないの?」と、思いながら見ていたほどだ。
と同時に、それほど多くの役員がいると「役員のための企業」になってしまうのでは?と言う懸念すら持ったほどだ。

経営環境が厳しい時代だからこそ、企業内の組織を見直す必要があるだろう。
そして、内部留保にばかり走る経営が本当に企業にとってプラスなのか?と言うコトも、考えなくてはいけない。
その根本にあるのは「企業はいったい誰のものか?」という、企業の社会理念だと思う。

このような論議になると、しばらく前までは「企業は株主のもの」という考えが、一般的に言われた。
そのため、より安価で都合の良い労働力を求め、企業収益を上げ、内部留保に努めた。
だが、それは「歪んだ経費節減」によってもたらされた、収益であり、内部留保なのだ。
そこには「企業が社会の一員として、果たさなくてはならない役割」という考えはない。
そして今、企業に求められているのはその「社会的役割」であり、「社会的責任」なのではないだろうか?

従業員一人ひとりに、それなりの役割があり、その役割にあった責任がある。
役員と言う立場であれば、一般社員よりもその責任は重く、企業が果たさなくてはならない社会的責任の意味の理解度も深いはずなのだ。
とすれば、そのような生活者の疑問に、具体的な答えをするのも企業の役目だと思うのだ。