~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
「己の意識・魂を磨き」
先の続き・・・
そうしますと、お一人お一人はみな神様ですから、
もし喧嘩をして人を責めたり、謗ったり恨んだり憎んだりしますと、
それはとりもなおさず神様を謗り、
神様を侮った行為に繋がっていきます。
お一人お一人はみな神様なのだと思わせていただいたら
間違いありません。
ただ問題なのは、このスモッグやカーテンによって、
神の意識と人間の意識を遮っているということです。
これを取り払う修行をするために私たちは生まれてきております。
カーテンを取り払った向こう側の神の世界は、
永遠にして不滅、永久に滅びることのない生命そのものが、
私たちの魂の奥底に脈々として生き続けております。
なぜかというと、
神のご意志が私たちの中にそのまま与えられているからです。
「死」というのは、
ただ傷んでしまった肉体の船から私たちの船頭さんが
下りるだけのことです。
船は傷んで使いものにならなくなり、朽ち果ててしまいます。
しかし、傷を受けて滅んだのは肉体だけで、
その肉体を動かしてくれていた船頭さんは健康にして傷むことなしに、
全く肉体とは別なもので健康体で生き続けているのです。
この神理を知らないで、肉体が痛い痛い、
苦しい苦しいと言って死んでしまいますと、
死んだ後までその苦しみが続いていきます。
あの世もこの世も、生きている時も死んだ後も
「想いの世界」に生き続けるのです。