幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

比べない

2011年07月23日 17時35分59秒 | ひとりごと
 NHKの朝の連続ドラマ「おひさま」を観た。

毎日観たわけではなく
たまたま見た回があるとういだけだが・・・


 その中で私の心に強く響いた言葉があった。

きちんと、書き留めたわけではないので
既に私流の解釈が入ってしまっているとは思うけれど
それについて書いてみようと思う。


「おひさま」主人公の祖母の言葉より


〝 苦労のたいへんさは誰かと比べて語るものではありません

  誰かと比べて、大したことがないとか思う必要は全くありません。

  あなたは苦しかった、あなたはたいへんだった、苦労した、

  それだけでいいのです。 ”



 この言葉を聞いて
私は涙を流した。

なぜだかよくわからないが、
おそらく
何かが癒されたのだろうと思う。

「苦労」に対しても
「大変」とか「苦しい」とか思っちゃいけないという何かが
働いているせいかもしれない。



 人はよく

「そんなこと、○○に比べたらたいしたことないわよ。
 ○○はもっとたいへんなんだから」

と口にする。

確かに、大したこともないのに大げさに「大変がる」人もいる。
本当は
随分幸せなのにそのことに気付けずにいたりして。




 でも
このおばあ様の言葉にも
真理があると思った。



「たいへん、苦しい」などの重さは人によって違う。
「苦労」の内容も人それぞれ。



Aさんには苦労な事もBさんには普通かもしれない。
でも、だからといってBさんがAさんより強いとか優れているとかは言えないのだ。

ただ、
「苦労」と思う尺度が違うだけ。

自分が「たいへん」なら
それは「大変」なんだろうし
自分が「苦しい」なら
その人にとっては「苦しい」のだ。

だから「自分」以外のものが
「そんなことぐらい」と言ったり思ったりするのは
想像力の欠如による思いやりのなさになるのかもしれない。



 
 そもそもが
私たちは喜怒哀楽のすべてを味わうために生きているのだから
「大変」で「苦しい」なら
それも素直に「大変」で「苦しい」と認めて、

「ああ、これが苦しいということなんだな」と
思い切り味わえばよいのだ。



だからおばあ様の言うように

「私はたいへんだった。苦しかった。・・・それだけでいいのです。」

に違いないのだ。





 苦労も幸せも他と比べるものではないということ。


自分の、今の、その感覚を味わうことこそが大切なのだ。


第一、せっかく持っている幸せが
他と比べたとたんに幸せに見えなくなってしまうことは多々あるし
苦労と思っちゃいけない、と自分を制することはとてもしんどい。

だから
幸せも苦労も比べないに限るし、
他がとやかく言うものではないのだろう。



 ただ、
せっかく持っている幸せに気付けずにいる人にそのことを提示してあげたり
見方ひとつで苦労ではなくなる方法を教えてあげるのは
「有」かな・・・とも思うけれど。




久しぶりの夫婦喧嘩に考える  その5

2011年07月20日 15時31分30秒 | ひとりごと
 フラワーエッセンスについては
私はあまり詳しくないが
どうも38種類あるようだ。


イギリスの医師であり
細菌学者でもあった
エドワード・バッチ博士によって考案された治療方法で
花のエッセンスを使って
人間のネガティブな感情をコントロールし
同時に体の病気も治してしまうものらしい。

自然界にある花から抽出され
種々のネガティブな感情に対応したものが決められている。

興味のある方は是非
ご自分で詳しく調べてみてほしい。

それがもし、
今のあなたに
何らかのお役に立てば
こうして自分の経験を書いた事の意味もでき
私にとって
とても幸いなこととなる。





 以前に書いたかもしれないが
昔々も大昔
笑ってしまいそうなことだが
どうも私には「妖精」だった時代があるようだ。


「妖精」とは「女神様」よりは下だが
「ニンフ」よりは上で
植物や動物たちのエネルギーを統括している存在らしい。


私がその妖精であった時
夫は自分勝手な魂を持つ「樵」だったとか。


・・・これは
以前に
ハーブティーとアロママッサージによる
ヒーリングを受けたときに告げられたことだ。



その時
私の大事な花々や木々
昆虫や動物たちを
その樵がことごとく殺してしまった。

「こんなもの邪魔だ!!
 邪魔だ!!邪魔だ!!」

そう言って
私の目の前で
私の大切な全ての物たちを殺してしまった。

私は大きなショックを受け
世の中の誰をも信じられなくなり
現実が嫌になって
深い穴の中に潜ってしまった。
そして
その時以来
今もなお
じっとうずくまり、孤独をレポートしている。

あの樵に対する大きな恨みと怒りを抱きながら。



その時、そのヒーラーは言った。


「孤独のレポートはもう十分です。
 これは天に返してしまいましょう。

 (しばしの間)

 はい、切りました。終わりです」



?????
・・・なんのこっちゃ?!

この人バカと違うん?!


と、思った。


しかし
事実として
私はそれまで
いつも意味不明の孤独感にさいなまされていた。


家族といるときも
仲の良い友人たちと一緒の時も
そして
夫に恋をし
結婚しても
なぜか
時々
意味不明の孤独感に襲われていた。


幼いころから
繰り返し見る夢があった。

両親、姉妹と一緒に
高い木立と塀のある道を歩いているのだが
気付くと
突然にみんな姿を消していなくなり
幼い私は一人ぽっちで取り残されてしまう。
そして
みんなを探して泣き叫び
涙でぐちゃぐちゃになって目を覚ますのだ。


新婚当初は
びっくりした夫が揺り起こし
泣きじゃくる私を優しく抱いて眠らせてくれた。
 

けれど
頻繁に起きるその現象に
やがては夫も
「またか」という態度を示すようになっていた。


この夢を見た時は
目が覚めた後もその孤独感に覆われ
とても悲しく辛い思いが続くのだった。





 ところが
不思議なことに
その彼女のヒーリングを受けた日から
私はその夢を一度も見なくなってしまったのだ。

物心ついてから40歳過ぎのその頃まで
ずっと見続けた夢を
一切見なくなったのだ。

おまけに
あの意味不明な孤独感も消えてしまっていた。



何がどうなったのか、
それが本当なのかウソなのか
そういう力を持たない私にはわからない。
でも
孤独感がなくなったという事実だけは確かなのである。



その彼女は

「あなたはその樵を〝許す”という課題を持って
 今生で彼を夫に選んでいます」

とも言った。
そして
こちらについては
「天へ返す」とも「切りました」とも言ってはくれなかった。





 馬鹿みたい、
と当時は思ったが
よくよく考えてみれば
それはまるででたらめとも思えないのである。

若い頃からの夫の口癖のひとつが
「邪魔だ!!どけ!!」
「こんなもの邪魔だ!!」
だ。

その言葉に私はといえば
異常なほど敏感に反応し
嫌悪感と軽蔑心でいっぱいになるのだ。

今でも彼は
植物や動物に対して愛情も興味もを示さない。

人に対しても自分の都合に合わないものは批判する。
相手の立場を考えるということが苦手なようだ。


そして
そんな彼の一挙一動がものすごく苦になり
悲しみと嫌悪に包まれてしまうのだ。



だから
あのヒーラーの言ったことは本当かもしれないと思う。

この頃とみに
夫の言動への軽蔑心が増えてきている。

夫婦は他人なんだから
相手との違いを受け入れてこそだということも
自分の思いを押し付けては夫がかわいそうだということも自覚しながら
ますます心が離れていくのだ。


愛せないでいること
受け入れてあげられないでいることに
申し訳なさを感じながら
でもだめなのだ。

そんな自分が嫌にもなるし
こんな自分と一緒に暮さねばならぬ彼を
とても気の毒に思ってしまう。
相手が私でなければ
彼ももっと幸せかもしれない、と思ってしまう。


もし、この結婚に破たんをきたすとするなら
それは私が悪いに違いない。

「許容」できない私に
より多くの責任があるのだろう。
私さえもっと寛容な心になれれば二人の関係は改善されるかもしれない。



が、その原因が「妖精と樵」であるならば
理性で何とかしようとしても無理な事。

だから
フラワーエッセンスの力を借りてみようと思ったのだ。

Beech(寛容)を選んだのはそのためだった。


もし
これに効き目があれば
私は病気と夫婦関係の両方を改善できるのだ。





久しぶりの夫婦喧嘩に考える  その4

2011年07月20日 09時35分35秒 | ひとりごと
 フラワーエッセンスのBeech(ビーチ)とVine(バイン)を買ってみた。

それを服用し始めて今日で三日目。

ほんのニ、三滴を飲み物に落して、一日に2,3回飲むだけ。
本当に少量なので
味も香りもなく飲んだか飲まないかわからないほどだ。


 なぜ、これを始めたかというと
〝「見えない力」で健康になる” 川嶋朗(東京女子医科大学付属青山自然医療研究所、クリニック所長)著 サンマーク出版

という本を読んだからである。



 脊髄管狭窄症に近い症状の出ている私は
日常生活にも支障が出るほどになっていた。

西洋医学のみの医者には掛かりたくないので
整体施療院という名で波動(エネルギー)治療してくれる先生に診てもらっていて
回復の兆しはあるのだが
自分でも何とかしなくては、と思っているときに出会った本だ。


この病気がなぜ、今急に症状を発してきたのか、
いくら、老化とは言えども急激すぎないか、


自然治癒力を高める方法はないのか、
自分でなんとかできないのか、


などなど、いろいろ考え模索しているときだった。




 治療院の先生は直接的原因は
数種類のウィルスだという。
おそらく、外科的にはわからないようなウィルスだと。

たくさんのウィルスが繁殖し
毒素をだし
筋肉や神経を痛めつけている、
というのだ。
そして、それは
一番弱い所に表れる、ということらしい。


だから、そのウィルスを取り除き
エネルギーを補充して
蓄積された毒素と炎症ををとりのぞいて下さるのだ。


彼に言わせれば
たいていの病気はウィルスに負けている状態となる。

私には
その摩訶不思議な
体に触れもせず、薬も飲まない治療で
流感や関節炎などは目に見えて回復した経験が何度もある。



西洋医学のみを信じる人には
眉唾に聞こえるかもしれないが
しかし、これは本当のことなのだ。


 とはいえ
いくら、彼に治してもらっても
ウィルスに負けない免疫力とエネルギーを
自分で作り出せない限り
病気はまた再発する。



病気は医者が治してくれるものではない。

自分で何とかしない限り
いったんはよくなっても
また再発してしまうのだ。

怪我はある程度の手当てをしてもらえれば治ってしまう。
しかし、病気はそうはいかないだろう。

その人の中にある根本的な何かを解決しない限り
治癒できないに違いない。

考え方や生き方、生活の仕方などなど
どこかに変えねばならない問題があるから病気になるのだ。


それを
この筆者はとても明快に書いて下さっている。


「病気とは高次な自分がケガをしている状態である」 P.204

〝人間のケガが自然に治るのは、エーテル体より上位が傷ついていないからです。
 体が傷ついてもエーテル体という鋳型があれば、もとの形に戻ることができると考えられます。
 そして、エーテル体の上にはアストラル体があります”
 
             中略


 エネルギーは高いところから低い所に流れるのが基本ですから
 魂から物理的身体に指令を与えたり
 働きかけたりするのは簡単です。
 しかし
 物理的身体からアストラル体やメンタル体、コーザル体、魂に働きかけるのは至難の業です。

 高いレベルの自分がケガをしている状態が病気だとしたら
 物理的身体にいくら治療を施しても治るはずはないのです。

 もっと上のレベルに直接働きかけるような治療をしなくてはなりません” 





 だから、彼は西洋医学のみならず
統合医療として、東洋医学や、ホメオパシー、波動など
ありとあらゆる治療を試みている。


その中の一つとして「フラワー エッセンス」も紹介されていたのだ。


 一昨年悩んだ半年間の便秘も
今回のこの症状も
原因はただひとつ。

それが、私の中にある「夫への感情」であることは
嫌というほどわかりきっている。

「寛容になれない、認めてあげられない、許せない」

この根本的感情が私の魂を痛めつけ
彼をも痛めつけていることを
私はとっくの昔から知っている。


それなのに、
自分の意志だけではどうしようもない、というのが現実なのだ。



 ところが
この「フラワーエッセンス」は
心の問題が原因になっている時に
高い効果を表し
しかも危険性も副作用もないらしい。

医薬品でもないので誰でも扱え
普通の飲み物と一緒に飲むだけの
とても簡単なものらしい。


で、ならば、ということで
さっそく試してみることにしたのだ。


Beechは「寛容」にしてくれ
Vineは「相手に自分を強要しなくなる」のだそうだ。


私がもし
夫のことを
心から許容し、受け入れることができれば
私たちの関係は改善され、私の症状も改善されていくはずなのである。




なんといっても、そもそもが
「許す」ことを目的として
夫との今生のカリキュラムを組んだらしいのだから。






久しぶりの夫婦喧嘩に考える  その3

2011年07月18日 20時27分22秒 | ひとりごと
 喧嘩してから今日で5日間。

私たちが交わした言葉は今日の夜の

「お夕飯どうします?」

「いらない」

の一言だけ。

狭い家なのに
顔も合わせないでいる。




 彼の〝天の岩戸”ならぬ〝自己中な怒りの岩戸”籠りは
今に始まったことではなく
過去の最長期間は一か月。

その間
彼はひたすら怒りつづけ
自分を肯定し
相手を否定し続ける。

「悪いのはお前だ!!
 怒らせたのはお前だ!!」

という思いの中にどっぷりとつかっている。

自分の何に問題があり
相手のどこを直してほしいのか・・・
などという冷静な思考にはまずなれない。





 それでも
若かったころの私は
彼への「恋心」もかなりあったので
それはそれは辛く
早く何とかしたいと焦り
あれやこれやと試みてとりなし
そのたびに悲しい思いやら悔しい思いやらでいっぱいになってきたのである。


今思えば
なぜあんなに下手に出ていたのだろうと思う。



 ただ、
今回
敵は
いつもにも増して怒っているらしく

「お前なんかに何もしていらない!!」

モードたっぷりで
今までのように
ご飯を食べない、口を利かない、顔を合わせない、のみならず
自分の汚れ物も自分で洗濯しているのだ(正確には洗濯機が洗濯しているけれど)

これは
初めて。

う~~~ん、
あやつ
いつもよりかなり重傷だぞ!!





 ま、
向こうも私に対する「諸々の許せないこと」をかなりため込んできたのだろう。


毎回、話し合おうとする私をスルリとかわし
追及も改善もされてこなかった夫々の「ケンカの些細な原因」は
積もり積もって互いの間にかなりの隔たりを作ってしまったようだ。


「恋心」に緩和されて
どうにかつないできた亀裂は
それがなくなった今
パックリと口をあけたのかもしれない。





 喧嘩は必ず双方に問題がある。
私が生意気な女であり
従順な妻でないことは百も承知している。

だから、彼が切れたり怒ったりするのも仕方ない。



が、
喧嘩になることはともかく
そのあとを
男らしく、大人らしく、夫らしく
前向きに対処しようともせず
まるで〝ガキ”のような〝岩戸籠り”を繰り返す彼に
私は、いいかげんうんざりするばかりなのだ。



「勝手に好きなだけ続ければ?」

という気分になっている。


それどころか
だったらちょうど良いから
しばらく別居してしまおうか・・・

とさえ思うほどだ。





 私の経験に限って言えば
夫婦喧嘩において
「恋心」があるかないかの差は実に大きい。

「恋心」のある喧嘩はとても辛くてせつない。
そして、ちょっぴり甘くドラマチック。
「恋心」があれば喧嘩の後は甘い蜜となる。


しかし
「恋心」の微塵もない喧嘩は
相手に腹が立って、
相手の欠点をなおさら意識し
いいかげん嫌になって
挙句の果てには
どうでもよくなってしまう。



ホント、
どうでもよくなる。




「雨降って地固まる」とし
喧嘩前よりも理解しあい
良い関係を築かなければ・・・
などという
殊勝な考えはどこかに飛んで行ってしまうのだ。




それどころか
もしこれが「離婚」ということになったとしても
それはそれでしかたないか・・・とさえ思ってしまうから怖い。




 で、ここからが
本題となるのだが
「引き寄せ」の法則的に言うと
「離婚も仕方ない」と思ってしまうと
やがてそういう現実がやってくる確率が高い。

だから
まだまだ夫に未練がある場合
決して「離婚」などという言葉をイメージしてはいけない。

「だいじょうぶ。
 私たちはちゃんとうまくいくわ」

と信じて言葉にしたほうがよい。



でも
「万事如意」方式で考えれば
結果がどうなったとしても
それは私の魂の学びとして
流れていくべき道だったんだ、
ということになる。


だからといって努力しなくてよいというわけではないのだが
それでも
「結婚の継続」にも「離婚」にも
意図的にこだわる必要はない、と思うのだ。


なるようになるということなのだ。


そして
なるようになってしまったら
それが自分の生きる最善の道だと理解し
受け入れることが大切なのではないだろうか。




 


 岩戸籠りをしている我が家のおぼっちゃまに合わせて
右往左往しては馬鹿を見る。

喧嘩を売ったのは私なのだから
その私の手落ちを冷静に指摘し
しかし
なぜ、私がそういう行動に出てしまったのかを分析し
何かに気付いて態度を変えるまで
私は
心をかき乱すことなく
じっと待てばよいに違いないのだ。


ただ淡々と
いつものように過ごせばよいのだ。
心を乱さず平穏の中に過ごす。

そうすれば
私はいつもと同じ
幸せの中にいることができるのだはないだろうか。






 あえて「岩戸」を開こうともしない代わり
「岩戸」の前からいなくなるという冷たい仕打ちもしないでおこう。

彼が自分で戸を開くまで待とう。



「おかげさまで
 このパターンは
 もう十分に経験させていただきました。

 ありがとうございました。

 彼も早く、この経験を卒業できますように。


 いつも
 一番良い結果を与えて下さり感謝申し上げます。

 ありがとうございます」


と、自分を導いていて下さっているものを信じ切ってしまおう。

そして
与えてもらえる次なる展開を
ワクワクして待つことにしよう。






 人生においては
魂が成長することが大切に違いない。

けれど、また、「その経験そのもの」が大事でもあるという。



だから、
うまくいってもいかなくても
「その経験」事態が大切であるならば
私は紛れもなく、
今この瞬間でさえ
人生を堪能していることになるのだ。

のら猫ユウちゃん 病気になる その10

2011年07月17日 09時38分17秒 | ひとりごと
 次の朝、いつもなら早朝に来て
開き待ちをしているユウが来ない。

私は気になって気になってしかたなかった。



「仕方ないよ、おかあさん。

 それがあの子の運命だよ。


 そんなふうになるから
 あんまり深くかかわるなと言ったのに。

 全く
 うちのネコでもないんだから」


と、夫はいとも簡単に言い放つ。



 冷たい人だな、と
心の中で思う。


そういえば、彼は
姫子を大切にするようになるのにもかなりの時間がかかった。


「なんで俺が世話しなきゃならないんだ!!」

が口癖で
散歩させるのも嫌がった。




でも、私に責められ、娘の教育上の手前
いやいやながらにも関わっているうちに
可愛いと思えるようになってきたのだった。


そして、
寝たきりの彼女の介護などほとんどしなかった割には
死んだとき
おいおい泣いて

「この子には本当にたくさんのものを貰ったな」

とまで言うようになったのだ。



全くうちの夫は
自分以外を愛することの苦手な人だ。







 9時も過ぎたころになってようやく
ユウが姿を見せた。


身体を引きずるようにして
かなりしんどそうだ。

ますます悪化しているように見える。

戸をあけてやると
ゆっくりと入ってきた。



いつもは
走ってすり抜けるように入ってくるのに
どうも、走ることすらできないようだ。


左前脚が
肩のあたりから
二倍ほどに腫れ上がっている。


餌も、ほんの少し食べただけで
すぐに
いつも寝ている場所に行って横になったまま
ぐったりとしていた。

熱もあった。




 私は決意していた通り
ユウを医者に連れて行こうと思った。

しかし、どう考えても
車の中やお医者様の前でおとなしくしているはずがない。


そこで、
とりあえず電話して
状態を説明し
薬だけ出してもらえるかどうかを尋ねた。



「体重さえわかればいいですよ」


と言われ、
はてさて
いかように体重を測るか、悩んだ。


おとなしく体重計に乗るわけはない。

箱にでも詰め込んで計るか。


今なら、ぐったりしているから座布団ごと載せれば計れるかもしれない・・・





などといろいろ策を練っていたら娘が一言。


「抱けばいいじゃん!!」

   
      



そ、そうね。

抱いて計ればいいんだ、

これだけぐったりしているのだから
数秒なら抱けるわね 




・・・ということで娘が抱いてくれて計ったら
なんと6kgもあった 

猫って、もっと軽いのかと思っていた。






 で、一週間分の薬をもらい
超おいしそうなテリーヌ風の餌を買い
それに混ぜ込んで食べさせた。


うまくいくかと心配したが
割と簡単に食べてくれた。


・・・よかった。食欲の残っているうちで。






それから
ユウは、三日間をひたすら眠り続けた。

トイレに行く以外は
ほとんどを我が家の中で過ごした。



ユウの薬代 2900円余り


たったこれだけで
ユウはみるみる回復していった。


もっと初期の段階で飲ませてやれば
こんなにつらい思いはしなくて済んだのに、と思う。


やがて
噛まれたところから膿も出るようになり
それを自分んでなめて治すようにもなった。





 放っておいても
もしかしたら
自然治癒したかもしれない。

よしんば
運悪く死んだとしても
それは
夫の言うように
ノラ猫ゆえの運命かもしれない。



しかし
すでに
多少なりとも関わってしまっていた。

その関わりは消すことはできない。

そのうえで
してやれることもせずに
彼を死なせていたなら
私は
そんな自分を好きにはなれないだろう。


もちろん
あの段階で
仕方ないよ、と言い放った男を尊敬することもできないのだが。








つくづく思う。

死なないでいてくれてありがとう。
元気になってくれてありがとう。


あなたが死んでいたなら
私はこのことをずっと悔み
早くに的確な決断をしなかった自分を責めているに違いない。



私があなたを助けたのは
きっとあなたのためじゃあない。

私自身のためなのだ。


だから
本当に助かってくれてありがとう。







 ただ、困ったことに
それ以来
ユウは
全く我が家から出て行こうとしない。


昼も夜も
我が家に入り浸っている。


しかも
なにかというと私にくっついて眠るようになった。

一緒に寝ているときに私がトイレに立ったりすると
自分も起きてトイレまでついてきたりするのだ   






ああ、どうしよう。

このままではいけない。

私はこの子をうちの子のする気はないのだから。




元気な今こそ
冷たく突き放さなきゃ!!



・・・・・と思いつつ
安心して
大股開きで腹を見せて寝ている彼を見ると
つい、それを許してしまう。



〝ユウちゃん、勘違いしちゃ駄目よ。
あなたはうちの子じゃないんだからね・・・”

と耳元にささやきながら 



                                   終わり






 P.S. あれだけ、執拗にユウを探し回っていたハナが
    この事件の後は
    我が家に顔を見せなくなった。


    ユウへの恨みを果たして気が済んだのか、
    それとも
    少なからずハナを悪者扱いにしている私たちの思いが伝わったのか、
    以前は
    時々
    デッキで娘にすり寄っていたハナなのに・・・



    猫の世界には猫なりの思いがあるだろうに、
    ハナ、ごめんね。

    お前が悪いわけじゃないのにね。