はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(57)    鰻と天ぷら

2011-05-16 09:20:51 | 日記
お断り

この記事を 真夜中 に観ている人 
少し小腹が空いている人 つまらない酒のツマミで酒を飲んでいる人

そうあなた
すぐこのブログを閉じた方が無難であります

おら~ 知らんからね~










どっかぁ~~ん






どどっか~ん

お願  許して~






本牧「川京」さんの 鰻でした

まだ許さないぞ~






どどどどっか~~~ん


ひぇ~お代官様 おらが悪かった~  許してくんださいままほし~(言葉不明)





ど~だ






恐れ入ったか~   

あっあっあっ  
(水戸黄門の東野英治郎さんの笑い声です)

野毛の「野毛庵」にて

真夜中に この散策を覗いている人  ごめんなさい
お騒がせ致しました 

  おやすみなさい。


コメント (4)
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異国情緒あふれる港町  横浜(81)    嗚呼!!  野毛の 連れ込み旅館

2011-05-13 00:54:27 | 日記
今年の初め頃の事である たまには野毛の神社でも参拝するか
と 思い立った

野毛には「伊勢山皇大神宮」やら「成田山横浜別院 萬徳寺」やら
神々しい丘があり
新年などは初詣で大混雑したりする丘である


その時 ふと昔の楽しい楽しい青春時代の記憶が蘇ってきたのである


その昔 はげまるは この厳かな丘に新年でもないのに
何度か登った事がある
しかも暗くなってからである 真夜中だったりした事もある

おまけに 足取りも軽く ステップ踏みながら
るんるん気分で意気揚々に登るのである

もちろん一人ではなく おね~さんと一緒にである


そうなのです その頃の野毛の丘は 連れ込み旅館が沢山あり
楽しい丘であった そ~だ 40年ぶりに あの丘を登ってみるか
神社の参拝なんか ど~でもいいか~


はげまるの青春時代の思い出の丘 
思い出の連れ込み旅館達の丘は
はたして今でも存在しているのか
はたしてあの丘の連れ込み旅館達の存在は如何に 
 う~ん  盛り上がって来たぞ~





確かコノあたりを登った記憶が おぼろげながら蘇るのである





そうそう この道幅だ! 

夜にでもなると この道の両側に 鮮やかな連れ込み旅館のネオンが
色鮮やかに さんさんと怪しく輝いていたっけ
ひとりでスキップでも踏みながら登ろうか とも考えたが
40年前の脚力はない気力もない

おまけに昼間である 気のふれた人と思われるのがオチである

とぼとぼ よちよちと登って行く







こんな感じの小ぶりな旅館  まだ営業しているのかな
カーテンが下ろされている
人が住居で使っているのかもしれない

ところでみなはん
「連れ込み旅館」なんて名前は最近聞かなっくなったと思いませんか

もう死語となっているのかもしれない
 
今の若い人達は ラブホ(ラブホテル)なんて呼んでいるみたいである
ラブホには カラオケはもちろん 風呂なんかジャグジー付きで
泡も出てくる
オマケで軽食なんかも注文できるそうである

う~ん  今の若いやっらは ピクニック気分でラブホに入っているみたいである
昔の「連れ込み旅館」なんかは 風呂はもちろんトイレも共同
相手のおね~さんなんかも共有(これはウソ)

それにね 「連れ込み旅館」の 「連れ込み」の日本語は
男と女の緊迫感切迫感を見事に現しているのではないか
 どんどんどどどん
(またまたパソコンの机を叩いている)


まぁ どちらもヤルことは同じではあるがね

参考 
<連れ込み = (愛人などを)同伴して入り込むこと。>
   広辞苑より

 



昼間なのでよく分からないが 旅館の看板らしきモノは
ほとんど見当たらない






入口の庇が「連れ込み旅館」風の建物が見える





これこれ  コノ感じ 「連れ込み旅館」跡である
とっくに廃業している感じである





はげまるも このあたりの旅館には何度か入ったのであるが
なにしろ ルンルン気分 ほろ酔い気分 いったれ~いったれ~気分で
旅館に勇んで入ったもんで どの旅館に入ったのか
まるっきり覚えてないのが 今となっては残念だなぁ

おね~さんの顔は 全員鮮明に覚えているのだがな
(お断り  ほんの数人です)






他にも数軒 昔の「連れ込み旅館」跡が残っている










入口のタイルが その当時の連れ込み旅館の香をかもし出している





今は民間アパートみたいであるが 庇が 連れ込み感溢れている






坂の中ほどから下を撮ったモノ

さて もう少し登ってみる事にする






「成田山横浜別院 萬徳寺」  である

恥ずかしながら この成田山横浜別院を知ったのは ここ10年位前である

はげまるは 我に返り 厳かに中に入り
厳かに ハゲ頭を下げて 「ちゃり~ん」と百円を入れて
毎度のお願をしたのであります

  ど~か 母と猫ともども 元気で過ごせますよ~に。
コメント (2)
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東京上野   最後の同潤会アパート(2) と  スーちゃん

2011-05-10 10:40:02 | 日記
「同潤会アパート」のカラー版に入る前に
 
浅草散策の時に昔からある 小さなプロマイド屋さんの店先で見かけた
「キャンデーズ」の写真

今は亡き スーちゃん そう 田中好子さんの写真を乗せますね





はげまるがまだ結婚したての頃
たしかテレビで夕方やっていた銀座ナウ (たぶん)で可愛い女子高生三人組みが
出ていて見たのが初めである

「キャンデーズ」

ひゃ~  かわいいなぁ^^~
と思ったのが懐かしい思い出である





ス~ちゃんは明るい笑顔が ぴか一 の可愛い女性であった
ホント素顔がいいのである
今の若いタレントみたいに 塗り壁ではないのがよかった


あの 顔全体がデカクて 目が細く鋭く 白眼が多くて怖顔の
自民党の 石波茂元防衛大臣でさえ
若い頃 ス~ちゃんのフアンであったそうだ
テレビでそうコメントしておりました
顔は 相変わらず怖顔であった
(少し 優しい顔してたかもな)







オマケに 岸辺シローさん タイガーズ時代のモノだと思われる
その写真あたりに 「冷蔵庫の中に・・」
とコメントが書いてある  これはこれには写り込んでない
その下にある写真 「佐藤蛾次郎」さんの 若い頃の写真のモノであり
若い頃から むさくるしい顔をしているのが分かる
(おおきなお世話だな)


サテ「同潤会アパート」カラー版といきます

<カメラ キャノンS90>

コメントはほとんど書きません







































前回モノクロで載せた 木製のドア





ほれね 本物木製ドア
渋すぎる~





すごい!!

飛びますぅ~  飛びますぅ~






本来なら 共同トイレなど必ず撮るのであるが
今回は 母を車に残したままの 早足散策であり あきらめる事とした
くやしい~





同潤会アパートの目の目にあった 昭和の建物






同潤会アパートに隣接している銭湯

同潤会アパートには風呂が付いてないので
ここもきっと歴史がある銭湯なのであると思う





次回はのんびり この銭湯に入り~の  同潤会アパートの共同トイレで
ウ○コなんどし~て~の
見ず知らずの人の部屋のドアをノックして~の  上がり込んで お茶でも飲み~の
布団などひいてもらお~の 

やってみたいものである。
コメント (2)
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東京上野   最後の同潤会アパート

2011-05-07 11:22:51 | 日記
こなさん  みんばんは(みなさん こんばんわ)
おかが いすごしですか (いかが おすごしですか)

おかしい出だしであります
上の感じが分かる人は はげまる同様 おかしい人です
これは YMOが絡んでいた スネークマンショーを知っている人なら
だぶん分かるフレーズであります

サテ話は本題に入る事にします
「同潤会アパート」と聞いた事ありますか
(出始めがおかしいから なんか書き方がおかしくなってきたな)

先日パソコンをいじっていたら なんかの記事で
「今でも残る最後の「同潤会アパート」という記事が目に止まった
よく見ると上野に現存していて 今でも人が住んでいるというのであると言う

母を浅草に連れて行く予定であったので
そのついでに よ~し 行くぞ行くぞ~行くぞ~ 
古いものに異常な執着をみせる おらが行かずでどぉんするんだべ(鼻息あらし)







上野下アパートメント(1929年) 下谷区(現・台東区) … 現存する
ただひとつの「同潤会アパート」である

例によって参考記事を載せる事とする

<同潤会アパート(どうじゅんかいアパート)は、
関東大震災後に発足した財団法人同潤会 が東京・横浜に建設した
鉄筋コンクリート造の集合住宅のこと。
近代日本で最初期の 鉄筋コンクリート造集合住宅として貴重な存在である>


ひゃ~ 昭和初期 今から82年前である
東京で14棟   横浜で2棟造られ 横浜でも なんとなんと
あの幻の駅跡が残っている「平沼町」と中区の山下町に建てられたそうである
浅草上野あたりは戦火でかなり焼失したのであるが
このあたりは焼失をまのがれたみたいである

こんな歴史がある建物を撮るには
フィルムカメラの6X6版 モノクロフィルムがいいな~




(このマンガは前にも使用した)


テナ事で
カメラは6X6版 リコーフレックスⅦに モノクロフィルムを 用意万端
ととのえないで
  (ガクッ)
小さく軽いデジカメ(リコーのデジカメGX100)で
わざわざ正方形画像モノクロ写真で 重々しく慎重に撮った




リコーのデジカメGX100のファインダーあたりには
RICOHLEXのワッペンが貼り付けれている


そうなのです  カメラは気分で撮るもの
気分が乗らなければ いい写真なんかは撮れないのである
酒を飲む時もまたしかり 美人が隣にいて
「ね~ うっふ~ん 私にも少し飲ませて~ね」

なんて会話をしながら飲んだら 普段はお銚子2~3本しか飲めないのが
お~ いったれ いったれ~  
と軽くバケツで2~3杯は飲めるのモノである
(はげまるの温泉仲間の工○君である)


さて  では「同潤会アパート」の付近からカメラ散策と行きますか
コメントはほとんど書きません
ごゆっくり 浅草下町散歩してくださいね













ここからは同潤会アパートです










































人が沢山住んでいるのがわかる








木の扉です






戦前の写真と思われる 青山同潤会アパートの写真 (無断転載)

同潤会アパートは共同トイレ 風呂無しである
(すぐ裏に銭湯がある)
次回はカラーでそのあたりをお見せしますね


コメント (6)
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異国情緒あふれる港町  横浜(80)    太田なわのれん

2011-05-04 12:35:34 | 日記



この前に「イセビル」を散策して 2階3階が牛鍋屋さんがあった
う~ん牛鍋か~  そうそう横浜の牛鍋の元祖と言えば
  「太田なわのれん」  

テナ事で なんと今回は
 「え~ぃ 控えおろ~ ずが高い~  この牛鍋をなんとこころえる~っ
 恐れ多くも 天下の天下 横浜の明治元年創業元祖牛鍋屋 ごっくん(つばを飲んだ音)
太田なわのれん様であるぞ~ 」(久しぶりの登場であります)

 はっはっはっ  ふっふっふっ  あっあっあっ  






と笑いながら ふっふっふっ(湯気か立っている音)あっあっあっ(アツアツ熱)の元祖牛鍋である

入口に入ったとたん モウ 本題の味噌仕立て横浜元祖牛鍋の写真である

なんでぃ。 これではつまらないではないか
もっと店の歴史とか 店の中の写真とかね
いろいろ書いてね  最後に本題の元祖牛鍋の写真が出て来るのがね
筋ではないかいの~

とお思いになると思うのが筋ではある (なんか難しい日本語だなぁ)

しかたがないではないか 前後不覚こうなってしまったのである
後悔先に立たず チ○○後に立たずである(おいおい)
勢い余ったのであるな  ははは
お願 許して~





<横濱は洋食文化という印象が強いのですが、
開港以来、肉食の外人の風習を真似て和洋折衷料
理たる牛鍋が明治の始めに一世を風靡しました。
現在の鉄なべ使用の牛鍋は弊店初代「高橋音吉」の創業になるもので、
その元祖は音吉ということ
になり、明治元年(1868年)のことです。
 現在の建物は、1996年(平成8年)6月に改築しました。>


これらは「大田なわのれん」のホームページからのモノ

事を終えると 男は急に冷静さを取り戻したのである
さてと 次は何書くかな~

そうそう この「大田なわのれん」のお店がある場所は
大岡川から一本道を隔てた場所にある
あたりには ラブホテルが沢山あり 夜から深夜になると
外人のおね~さん達 がちらほら 片言の日本語で 「おに~さん 二万円~」
(みなさん綺麗 南米系北欧系)
と声をかけてくる  (やたらと詳しいでないかコノはげ)

これより関内駅方面にもどると中国系の かわいいおね~さん達が
「おに~さん一万円~」 (ほんと詳しいではないか)
これより関内駅方面から離れると 綺麗なオカマさん達も
「おに~さん」とドスの効いた声で話しかけてくるそ~だ

以上はすべて 人に聞いた話であります


とにかく暗い夜に 普通の一般人は「大田なわのれん」の近くを
ふらふらしないでくださいね
(例外  顔が怪しい人。 にゃけ顔で気がふれた様な人。)








入口を入って靴を脱ぐ そう和式のお店である
足の臭い人は 下足番に頼むと足を洗ってくれる 靴下も (大ウソです)
店に上がると まず正面に飾ってある 額縁入りの横山隆一氏によるマンガ
「ふくちゃん」が目にとまる
ここ「大田なわのれん」の店のキャラクターでもある

着物に下駄、大学帽という容姿で早稲田大学のマスコットキャラクターとしても知られ
1936年(昭和11年)~1971年(昭和46年)朝日新聞の全国版4コマ漫画で有名になった

はげまるも子供の頃読んだ記憶が多々ある

きっと先代の先代あたりの ここの店主がここの常連客であった横山隆一氏に
懇願して書いてもらったのかもしれないな~ なんて思ったりするのである





ふくちゃんの皿まで販売しているのである
もっとも今の若い人達にはその存在さえも知らないと思う

そう戦前から戦後の昭和の時代を なごませてくれた 
有名マンガキャラクターなのである


それでは「大田なわのれん」の牛鍋懐石 行きますか





箸である





これは先ほど載せた 味噌仕立て横浜元祖牛鍋の写真である

ほらね 最初の写真ほど感動しないし驚かないでしょ~(イチローさん風に)
おね~さん関係と同じでしょ^^ 

(お断りここで
 うんうん と うなずかない人は元気な人です)

味はもちろん味噌仕立て ウマかったな~

前に書いた「ジャックス」のステーキ同様 値段が高いと
詳しい味をよく覚えられない 並みの庶民の悲しい性(さが)である





お味噌汁




前菜





なんだか忘れた
もうコトが終わって 早く寝たい気分である






デザートのアイスクリーム

  おやすみなさい。
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