はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(35)  ゲーリック球場と横浜野音

2009-12-09 02:10:18 | 日記
 横浜スタジァムの前身が 「ゲーリック球場」とか「平和球場」
なんて呼ばれていた時代があった

はげまるがマダ高校一年生の頃 母校の野球の応援で一度だけ行った事がある
その頃はもう 「平和球場」という呼び名であった
対戦高は記憶にはないが  ぼこぼこに負けた思い出がある

とにかく老朽化した球場であった事は はっきりと覚えている






その「ゲーリック球場」の写真である (得意の無断掲載である)

「ゲーリック球場」の名前は アメリカの有名な投手である
ルーゲーリックの名前を冠したものだ
日本でも戦前 親善試合で投げている大投手であり  日米開戦直前に死去している

写真からは 路面電車(横浜市電)のレールも確認出来る
左側の橋の下は この当時もちろん 川が流れていたのである

その歴史であるが 
下の記事は 他の記事からの抜粋である (無断記載したもの)

<関東大震災復興事業の一環として1929年に横浜公園球場が竣工。
第二次大戦後の1945年には進駐軍接収とともに「ゲーリック球場」と改称され、
日本初の夜間照明塔が完成。>

と まぁ実にあっさりと書いてある
もう少しなんとかならんのかいな~  なんて思う人は
おのおの各自 調べてくださいまし~な





現在の横浜スタジァムである
(前出の写真と同じ位置から撮る)

根岸線のガードが写りこんでいる
 桜木町>磯子 間が開通したのが1964年である
したがって前の写真には ガードが写っていないのである

この写真の橋の下には 現在は首都高速横浜線が走っている


平和球場と切っても切れないのが  「横浜野音」通称「野音」である
「横浜野音」は 横浜公園内にあり 「平和球場」とほとんど隣接していた

はげまるの青春時代 そう今から40年以上前の話であるが
その当時は 洋楽全盛期の時代であり
日本ではGSブーム真っ盛り (ガソリンスタンドのGSではないぞ)
猫も杓子も エレキギターを持って バンドを組んでいたものだ

ヤマハが主催の コンテストが全国いたるところで行われていて
横浜のコンテスト会場がここ 「野音」であった




もちろん はげまるも エレキ少年であったから
「野音」の エレキコンテストなんぞに応募して 写真のステージで演奏したものだ

その時の一位のバンドには 後のゴールデンカップス ゴダイゴと渡り歩いた
ミツキー吉野がいた
二位のバンドには 柳ジョージとか 陳シンキなんかがいたっけな
とにかく 後の横浜を代表するミュージシャン達がいたのである

はげまるも後々 それらの有名人と遊んだものだ
(この頃はまだ有名人にはなっていなかった) 
 こんなに有名人になるんだったら もっと金でも貸したりして
恩でも売っていればよかったな~

その辺の話は おいおい書いていく事とするが

とにかく横浜の繁華街には たくさんのバンドがあって
いたるところで演奏していたのである

主だった所では
本牧の「ゴールデンカップ」
元町には ディスコの草分け的存在であった 「アストロ」があり
中華街(チャン街 南京町)には 「レットシューズ」「ロマン」
元町の川沿いには 「リバーサイド」

馬車道には「中川三郎ディスコティック」他
とにかく沢山のアマチュアバンドが演奏する場があったのである

したがって はげまるなんかは  「野音」と聞いただけで
「うわ~っ  懐かしいな~」となってしまうのである
はげまると同じ同輩の 横浜の音楽好きの遊び人さん達
じじぃ ばばぁ になった今でも 「うわ~っ 懐かしいな~」とならずにはおられまい

コメント (2)
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